場面緘黙症の子が主人公の童話を読んで考えたこと

結末を読んでもハッピーエンドなのか、悲劇的結末なのか、明示されない小説がある。

After Zeroはそんな小説だった。

場面緘黙症の少女を主人公としたクリスティナ・コリンズ著の童話である。日本語翻訳版は出ていない。主人公のエリースはホームスクーリングを経て学校に通い始めたが、学校で喋れなくなる。学校でも少しは声が出せた(ロープロファイル場面緘黙と言及されている)ということもあり、単に大人しい子であると思われていた。

はじめは親切であった周囲の子ども達は、段々とエリースの沈黙に苛立ち始め、エリースはいじめられるようになる。喋らないために濡衣を着せられる。なぜ喋らないのかと問い詰められる。

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私が場面緘黙だったとき生じていた不安

私は子供の頃、学校で喋りたくても喋れなかった。

私の緘黙状態を見て、大人しく可愛く見せようとしてわざとやっていると考える大人もいたが、 標準的な感覚の人達は、 学校という場に対して不安があるのだろう、学校で関わる大人やクラスメイトに慣れず不安で心を開けないのだろう、恥ずかしがりなのだろう、と解釈していた。だが、そういうわけでもなかった。

よく知らない相手だから何を喋ればいいか分からない、怖い、という人見知り的不安ではなかった。慣れない場に予測がつかなくなり緊張するといった場見知り的不安でもなかった。社交パフォーマンス上の不安、すなわち、きちんと喋れるだろうかとか、面白いことが言えるだろうかといった不安からでもなかった。

学校で関わる人達については、新学年が開始からひと月もすれば気心は知れるもので、私としては慣れていた。学校という場も、喋れないので楽しくはなく苦痛であったものの、突拍子のない事件が起こるのではなどという場見知り的な不安を抱くことはなく、その意味において慣れてはいた。

では緘黙モードになるとき、不安がなかったのかと言えば、不安はあった。たくさんあった。どういう不安だったかを下に羅列する。

学校で昨日まで喋らなかったのに、今喋ったら、変に思われるだろうな。

学校で昨日まで喋らなかったのに、今喋ったら、これまで喋れたのに喋らなかったのがバレてしまう。

学校で昨日まで喋らなかったから、今喋ったら、注目されるだろうな。

学校で昨日まで喋らなかったから、今喋ったら、大騒ぎになるだろうな。

学校で昨日まで喋らなかったのに、今喋ったら、これまで喋らなかったのはなぜなのかと質問攻めにあうだろうな。

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選択肢を増やして悪循環から意識を逸らす

私の過去は社会不安障害(SAD)特有の様々な悪循環で満ちていた

と以前書いたが、社会不安障害の悪循環というやつは極めて強力である。

悪循環が生じたと気づく前に自動的に嵌っている。特定のトリガーに対する反応がひとつしかなくて、例えば「電話」に不安がある場合、

  • 電話が鳴る(トリガー)⇒ダメだ、喋れない、電話を取らず無視しようと思う(特定の反応)
  • 電話をかけねばならない状況(トリガー)⇒恐ろしいので先延ばし(特定の反応)
  • 人前で喋らねばならない状況(トリガー)⇒また不安発作が起きるに違いない(特定の反応)

というふうに、トリガーに対する決まった反応へと流れていく。別の反応へ向かわない。もちろん、現実における不安場面は毎回微妙に異なるためトリガーも微妙に異なる様相を呈する。が、多少トリガーが異なっても、反応は変わらない。

  • 震えて全然喋れなかった
  • 震えつつも意図は伝えられた

どちらでも、いつもの「大失敗だ!」という悲劇的ルートへ向かう。

毎回、まっすぐ、もれなく、悪循環ルートを行く。レールの上を自動走行する電車のように。

そこには選択肢がない。

そもそも私はそこに選択肢が生じ得るなど思ってもみなかった。

それでは悪循環から抜けられないのは当然だ。と今では思うけど、SADが最悪の状態の頃は、この鎖の連なりに選択肢やら別の反応やらが入り込む余地があるなんて考えたことすらなかった。

パニックを起こす状況に身を置くと、アレルギー発作のごとく必然的にパニックが引き起こされる

と思っていてそこに疑いすら抱かなかった。

だって、実際にそうだと思っていたから。これまでの経験からして、不安場面に身を置くと必ず不安発作が起こったと思っていたから。「思っていたから」とつけたのは、実は結構うまく話せたことは多々あったのだが、そういう経験は記憶から削除されて、私の意識の中ではなかったことにされていたので。悪循環は成功体験の強力な“delete”キーとしても機能するのだ。

トリガーが導く結果に選択肢があるかもとも、選択肢が生じる余地があるなどとも思わなかった。そこに複数の選択肢があって、それら選択肢の中から私が反応と行動を選び取れるなどと夢にも思わなかった。ひとつの悲劇的な結果が必ず導かれると信じて疑わなかった。そんなふうに、お馴染みの根付いた思考と行動パターンに陥っていた。

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エクスポージャー前の準備は改めてすごかったと思う

数年前に認知行動療法(CBT)を受けたとき、私は不安障害のCBTにおけるクライマックスと言えるエクスポージャーに数回の準備的セッション後に挑み、それがやたらと効果を発揮し、その後不安発作や不安場面の回避もなく比較的普通に生きている。

最近、ブログに記録していた初期の治療の様子を読み返してみた。初期に受けた数回の準備的セッション。これらを改めて振り返ってみた。的確かつ着実にエクスポージャーに至るための認知の準備が成されていると思った。そこにはエクスポージャーの成功に向けたステップがしっかりと仕込まれている。 “エクスポージャー前の準備は改めてすごかったと思う” の続きを読む

不安レベルとパフォーマンスレベル

 グラフはセラピーで見せてもらったグラフを日本語訳簡略化したもの(The Yerkes-Dodson law).不安が最大限に高まりパニック状態になると、パフォーマンスレベルは最悪になる。

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呼吸法を学ぶ

「自分についてどう思いますか」とジャネットさんが尋ねる。

自分について。

社会不安障害がある。

けど、それを除いては、私の人生は恵まれている。よい家族に恵まれ、研究も楽しく、好きなことがやれてとてもラッキーである。場面緘黙時代は大変だったけど、あれこれ文句言うとばちがあたると思う。

「社会不安障害のことを除いてはとってもハッピー」と応える。
では、不安障害のことだけですね~ということで、まずは呼吸法を習う。

呼吸を整えるだけで、かなりの不安をコントロールできるというのだ。 “呼吸法を学ぶ” の続きを読む