自殺防止のために、身近な人たち同士で声を掛け合いましょう。
落ち込んでいたり、普段と様子の異なる人がいたら、話を聞いてあげましょう。
と助け合いを呼びかけることは大切だ。けれども、いざ話を聞くと、大抵の場合、言ってはいけないことを言ってしまう。
世界中で自殺予防策として進められている声の掛け合い運動で重要なのは、身近な人同士で異常に気づき、治療へ繋げることであり、アドバイスを与えたり相談をすることではない。
死にたいと思っている人と話をするのは難しい。自殺したいという思考回路は一般的常識的思考からかけ離れており、普通の言葉が通じにくいどころか、悪影響をもたらすことすらある。
つまり、言っていいことよりも、言ってはいけないことのほうが多いのだ。
だから、声の掛け合いを推奨する場合は、言ってはいけないセリフを羅列しておくものなのだが、日本のものはそうしている所が見当たらなかったので、複数のサイト(文末参照)で指摘されている「言ってはいけないセリフ」を総合してリスト化しておこうと思った。
- ジャッジしない
- 自殺が良いことが悪いことかという議論を始めない
- 死にたいという感情が良いことか悪いことかという議論を始めない
- 人生の価値について説教をしない
- 自分の意見を言わない
- ショックを受けたかのごとくふるまわない
- 相手を否定しない
- アドバイスしない
- 偽って保証しない
- 秘密を守る約束をしない
- 自分の話を始めない
そんなに悪い状況ではないよ。その程度のことで死ぬものじゃないよ。
1.ジャッジしない
2.自殺が良いことか悪いことかという気論を始めない
5.自分の意見を言わない
7.相手を否定しない
状況を過小評価されたら感情を否定されたという思いを抱く。それは、さらなるスティグマを負わせることになるかもしれない。
相手の状況が良いか悪いかを他人には決められない。故に意見したりはできない。どの程度の状況が自殺してもOKかなどという尺度は誰も持たない。
そんなことしたら家族が傷つくでしょう。どんなに悲しませるか考えてごらんなさい。
1.ジャッジしない
2.自殺が良いことが悪いことかという議論を始めない
5.自分の意見を言わない
家族や大切な人のために生きろと言われれば、一時的には死を思いとどまるかもしれない。
しかし問題は本人の状態にあるのだ。家族や大切な人云々は本人の問題の解決しない。人のために義務として生きなさいという意見は、鬱などですでに弱っている心にさらなる重荷を負わせる。
好きで死にたくなっているのではないのだ。これはチョイスではないのだ。
人生とは美しいものだ。辛いときも良い側面を探してごらん。
人生には意味があるでしょう。生きる価値を探しましょう。
4.人生の価値について説教をしない
8.アドバイスしない
人生が美しいかどうか、意味があるかなどの問題ではないのだ。
相手の心が砕けてしまっているのに、特定の人生観を押し付けられる。美しさも意味もまるっきり見えないときに、他人の人生観を聞かされるのだ。これは耐え難い。
自殺まで考えるときに、人生の良い側面など見えない。ポジティブになろうとか、認知が歪んでいるのでは…等のアドバイスもこの時期は危険だ。客観的に状況を見極められるような状態だと思ってはいけない。
あなたは恵まれている。もっと悲惨な状況の人を知っているよ。
1.ジャッジしない
5.自分の意見を言わない
7.相手を否定しない
希死念慮を打ち明けた人が、自分より恵まれているように見えるかもしれない。
自分の欲しいものをすべて持っているのに、死のうなんて馬鹿じゃないか、または、許せない、とすら思うかもしれない。
しかし、希死念慮は比較されジ否定されジャッジされることで緩むものではない。鬱病は富も名声も得た人にも平等に起こるのだ。希死念慮も同じように誰にでも起こり得る。
相対的に恵まれているのだから死のうなどと思うなと怒られたところで、もっと死にたくなるだろう。
死のうなんて甘えている。逃げる気か。
1.ジャッジしない
2.自殺が良いことが悪いことかという議論を始めない
3.死にたいという感情が良いことか悪いことかという議論を始めない
7.相手を否定しない
死にたいという思いを抱くことや自殺が良いことか悪いことかという議論にシフトしてしまい、しかも、甘えだ、逃げだ、というジャッジを施している。
相手は否定され、さらなるスティグマを負い、ジャッジだらけの世の中から早く去ろうと思うかもしれない。
大丈夫。辛いのは今だけ。生き続けて。良いことがあるよ。
8.アドバイスしない
9.偽って保証しない
適切な治療を受けれることができれば、多くの場合、回復するでしょう。
しかし、辛いのは今だけなのかは誰にも分からない。将来良いことがあるかは誰にも分からない。
相手は今このとき、大丈夫ではないのだ。安心させるためだけの目的で発せられた言葉は不誠実にしか聞こえないかもしれない。
ええっ! 死んでしまうなんて、なんて悲しいの!
6.ショックを受けたかのごとくふるまわない
死にたい気持ちを勇気を出して打ち明けたのに、狼狽されてしまったら、ああ、やっぱりやめておけばよかった、ひっそりと死ぬべきだったと後悔するかもしれない。
希死念慮を打ち明けられたら、落ち着いて、話を聞かせてほしいと促したい。
ショックを受けた様子を見せたら、もうそれ以上相手は話してくれない。思いとどまる可能性はさらに低くなる。
ああ、わかる。私もね、そうだったの。首吊ったけど死にきれなくってね…
11.自分の話を始めない
ちょっと待て。相手の話だったのに、なぜ自分の話にシフトしているのだ。
共感を示しているつもりかもしれない。しかし共感には二種類ある:シンパシーとエンパシー。
シンパシーは相手の話から自分の過去を思い出し、そのときの自分の不安、怒り、悲しみ、喜びなどが沸き起こり、相手の気持ちから離れ自分の気持ちの中に入ること。
エンパシーは相手の気持ちを感じつつ、自己を相手に同化させ失ってしまうことなく、相手が必要としているサポートを提供する姿勢を保ち続けること。
上の場合はどちらか。自分が話したい話をしているのだからシンパシー以外の何物でもない。
うん。絶対に誰にも言わないって約束する!
10.秘密を守る約束をしない
相手は瀕死なのだ。
クラスメイトの誰にも私の片思いのこと言わないでね♡という内緒のお話と同じレベルで扱うことはできないのだ。
人によっては他人の秘密を聞くのはワクワクするくらい楽しいかもしれない。しかし希死念慮に興味本位で接するのは悪趣味を超えて危険である。
医療につなげていかなければ、死に至る危険があるのだから、秘密というわけにはいかない。地域の自殺予防相談センター、カウンセリング、精神科等に連れていく。それがサポートを提供するということである。
死にたいという気持ちを打ち明けられたときに、やることはアクティブリスニング。相手の話をしっかり聞くことだ。そこに感情やジャッジメントを交えない。相手に罪悪感を感じさせないよう、ただ、よく聞く。そして、支援につなげる。しっかり聞きたい様子を見せ、相手が自分にとって大切なのだという姿勢を示す。特別なアドバイスなどは不要。
それだけなのだ。
言ってはいけないことを知ってさえいれば、支え合うのは難しいことではない。
P.S. (2015/09/11 加筆)
どう接したらいいのか、何を言えばいいのかについては、政府広報オンラインのページ『3.「いつもと違う」に気づいたら』や内閣府作成のビデオ『もし死にたいと言われたら』を参照してください。
死ぬための具体的な計画を立てているのか尋ねてみることで、状況の緊急度を判断します。
参考にしたサイト
American Foundation for Suicide Prevention
National Suicide Prevention Lifeline
相談窓口