今後のためにも自分の認知がどう変化してきたのかを知るために、私は定期的に過去に書いた記事を読み返している。
するとびっくりすることがある。
書いた当時に見えていなかったものが見えてくるのだ。現在では認知が再構成されているために、書いたときとは別のものが見えてくる。
セラピー第一回 の記事を読み返してみた。一年ちょっと前(2012年5月26日)に書いた記事だ。内容として書かれているカウンセリング第一回は記事を書くひと月前に受けていた。
これを今日読んで、私は愕然とした。
コイツ、ヤバイ。
「自分についてどう思いますか」とジャネットさんが尋ねる。
自分について。
社会不安障害がある。
けど、それを除いては、私の人生は恵まれている。よい家族に恵まれ、研究も楽しく、好きなことがやれてとてもラッキーである。場面緘黙時代は大変だったけど、あれこれ文句言うとばちがあたると思う。
「社会不安障害のことを除いてはとってもハッピー」と応える。
何がそんなにヤバイのか。
私が社会不安障害になった全責任は私自身にある。
私だけが悪いんです。
そう言っているのだ。
今の私には分かる。
セラピーで質問に応えていたときはもちろん、ひと月後に記事を書いたあのときですら、なぜ自分がそんな応え方をするのか、それがヤバイ思考の表出であるという認識のかけらもなく、そこに違和感すら感じなかった。自分の言ったことをそのまま記述していただけだった。
これはヤバイ思考だ。分かる。
ハッピーだって。どこがハッピーなんだよ。
「私はハッピーです」
そう言わなきゃいけないと思っていた。だからそう言ったのだ。
「苦しい。つらい」
って言う資格はなく、決して、弱音を吐いてはいけないと思ってる。それどころか、そんなことを思うことすらいけないことだ思っている。
私はハッピーだと思わなければならないと思っている。だからそう思うことにしている。自由であるはずの心の中の思考までがんじがらめになっている。
コイツ、ヤバイ。
これら一連の私の受け応えの裏に潜む自己否定。
分かるのは憶えてるからだ。
「自分についてどう思いますか」と聞かれて、びくっとしたのも憶えてる。
あのときの記事には詳しく書かなかったが、ここで付け加えると、ジャネットさんは私の生い立ちについて尋ねていたのだ。
社会不安障害になる人達は、家族の問題等、生い立ちに関連するトラウマがあることが多いのだが、何か抱えているものがないか。そういう文脈から、「自分についてどう思いますか」という質問になったのだ。
聞かれて、慌てた。
一連の受け応えの間、ぐるぐる、ぐるぐる、私の心の中で巡るものがあった。私は憶えている。
違います。違います。私が社会不安障害になったのは家族のせいではありません。社会のせいでもありません。
私がいけなかったんです。
家族はよくしてくれたのに、不幸な身の上ではなかったのに、
それなのに、ダメだったんです。
この環境でこれほどダメになる人っていません。
私だからダメだったんです。
ダメな奴だなんていう普通の言葉で表現できるレベルではありません。
生きれば生きるほど、迷惑をかけるんです。
何度も不安な場面を回避してきて、迷惑をかけたで済まされるレベルではありません。
真面目に生きている全ての人達に対する冒涜です。
こんなダメな奴がなんとかまともに貢献できるようにと教育資金が投じられてきたのに、まともになれなかった。
私の発表が実現するために、リソースが費やされたのに、回避してしまう。
回避せずに挑めば、発表中にパニック発作を起こす。
簡単なことだってできないんです。
電話を掛けるなんていう簡単なことをやろうとしても、焦ったり、とちったりで、相手に迷惑をかける。
社会から投資を受けてきた人間がそんなことすらできない。
周りの人達はとてもよくしてくれました。
私だけが悪かったんです。本当にごめんなさい。本当は生まれてきてはいけなかったし生き続けていてもいけないんです。
あの短い会話の裏にはこれだけの思考が隠れている。
生きていてはいけない迷惑な奴が生かしてもらっているのに、文句なんて言いません。私はとってもハッピーです。
コワイよね。
狭い檻の中にいる。執拗に拷問を受けている。それなのに、頭の中にはエラーだらけのコードが詰まっていて、恐ろしいのに泣くことすらできない。壊れて、ノイズの混じった不協和音を立てながらケラケラ笑い、「私ったら、もう、こんなにハッピー」
ホラー級である。
今、私はこの思考をコワイと思える自分にほっとしている。
今、この思考を冷静に記述することができたことに安心する。
今、これを終わったこととして、解決したこととして書けること。
外的な要因は何ひとつなかったって本当か?
不安障害児として生まれたのに、普通の子供ではなかったのに、普通の子供と同じように振る舞うことを強要する大人社会。声が出なければダメだと連発する教師たち。明らかに健常児とは違うのにそれを決して認めない親。
常に堂々とした態度で明快に語ることを要求されるアングロ系エリート社会の価値観に偏重した学究の場で競争を強いられ、隙あれば人の研究を盗んでいく他の研究者たちに対してすら笑顔を向けなければならない。
一度たりとも、自分らしくあることを許されたことがない。標準と違っていることを、感じ方が異なることを許されたことがない。
自分以外の何者かになること。それが達成されない限り、許されないと言われ続ける。自己は常に完全に否定される。
次第に、その外的な思考が自分自身の心に流れるものとなった。
許してはいけない。決して自分を許してはいけない。
そして、自己を否定することによってのみでしか自己を見ることができなくなった。
しまいには、社会的場面に際する度に、今回は普通に振る舞えるだろうかという不安が付きまとうになった。社会不安障害の症状が始まり、悪化していった。
社会不安障害になったことのどこからどこまでが当事者本人の責任なのだろうか。
精神を病んだのは私自身の責任だろうか。
障害を持って生まれたけれど、それは私が選択したことではなかった。
そんな与えられた環境下で、障害を抱えながらも最善を尽くしてきた。周りの期待に応えられるよう、役に立てるよう全力を尽くしてきた。それなのに普通にはならなかった。
ひとつだけ、自分の側の要因を挙げるとすれば、それは歪んでいく過程で常に人間の心を持ち続けていたことだ。
こんなふうに育ってきて、精神を病まないでいられるのは人間の心を持たないロボットか何かだろう。
人間ではないから、社会不安障害になったのではない。人間失格だったから社会不安障害になったのではない。
震えるなんて、回避するなんて、責任感の欠如ではないかと罪悪感を抱き続けた。人間だからこそ罪悪感を抱くのだという認識に至らぬまま、自己を責め続けた。
人間だから、その結果として社会不安障害になったのだ。
ひとつ、自分の側の罪を挙げるとすれば、それは自己を責めどこまでも執拗に追い詰めることで、人間性・人道というものに対して罪を犯してきたことだ。
自分の心身ならば徹底的に傷つけて良いのではない。自分の存在だって、人間存在の一部を形成しているのだから、それは他人を傷つけることと同様に、人間性・人道に対する罪となる。
二度とそのようなことはやらない。二度とそのような自分には戻らない。
自分を尊重できるようになって、初めて本当の意味で周りの人達を尊重できるようになる。そんな自己と他者の壁を低くしたところで生きていく。
私はここで完全に責任を放棄しようと思う。
生まれて初めて、社会不安障害を患った件に関する責任を完全に永久に放棄する。
By: Wil Kristin
放棄できる心境になるまでには時間がかかった。
上に書かれた自己否定的自動思考の一行一行について、ゆっくりと丹念に自分を許していくことで徐々に放棄してきた。
ひとつひとつの症状、回避してきた場面のひとつひとつについて許していった。そこに浸みついていた罪悪感を解いていき、それらひとつひとつに関する責任を放棄してきた。
今、不安を感じる自分、症状のある自分を許していった。
一年以上経ち、ようやく解放された自分に気がついた。
とても楽になり、症状も和らいだ。
幸せではないとき、つらいとき、恐ろしいと感じるときに、ハッピーだなんて認識を自分に押し付けることはなくなった。つらいときにつらいと認め、時々ではあるがそう言えるようになってきた。
社会不安障害に悩む人たちの中で当人に責任がある人などいないと私は思う。そして、症状が自責から来るということも確かにあると思う。
ならば本当の責任の所在はどこにあるのか。
それを突き詰めて特定していくのは難しいかもしれない。
あるいは、それは特定の人物から受けた特定の行為であることが明らか過ぎる場合もあるかもしれない。
それほど明らかに特定できる場合、その人物を許す必要などはなく、唯一必要なのは、許せないと思っていることも含めて自分を許すことだろう。
そして、自分を完全に許し完全に解放することが完了したときに、許せない対象との関係は自然に変化していくのかもしれない。
たぶん、当事者個人にとっての社会不安障害になったことの責任は過去ではなく未来に求められる。
当事者個人が社会不安障害について語っていくことや、これからの自分と折り合いをつけていくことで、未来に向けて提示していく。
責任とは未来に向かって発生するものなのだろう。そんなふうに思う。