今年半ばに鬱になった事件を契機に受け始めた認知行動療法(CBT)のフォローアップは、二年前に社会不安障害治療のときにお世話になったジャネットさんが引っ越してしまった関係で、別のセラピスト、アマンダさんが担当してくれている。
同じCBTと言ってもジャネットさんとアマンダさんのセラピーセッションはかなり感じが異なる。
ジャネットさんは繊細な感じのセラピストで、滑らかに語りながらトークセラピーを進行させていく。ジャネットさんの語りに任せているとマインドフルの瞑想にも楽に入っていける。
アマンダさんは繊細な感じなどは微塵もない。
アマンダさんとの初めてのセッションの日の朝、オフィスのドアの呼び鈴を鳴らすと、誰も出てこない。しかし、中からかなり大きな声が聞こえる。どうやら電話中のようだ。それにしても大きな声だ。
と思いつつ、待つこと10分。ようやくアマンダさんがドアを開ける。
でかい。私の二倍くらい体が大きい。途端に私はたじろぐ。
「ごめんねえ。ベルの音、聞こえたんだけど、電話してたんでね」と大きな笑顔を向ける。
あり得ない... 私だったら、電話中に来客があり、しかもそれが仕事のクライアントだと分かっていたら、ひどく慌てる。アマンダさんは、電話と来客が重なっても、平気で10分間来客を待たせ電話でお喋りしちゃうのか。これはスゴイ。
ぜひ、その強靭で安定した精神の秘訣を御教示賜わりたい。
さて、このアマンダさん。トークはどうも苦手科目らしい。その一方で、やたらと行動療法が得意で、行動させることにより華麗に治療していくのだった。
先日、アマンダさんと、プレゼンの曝露療法 (exposure) をやったときのことだった。
私はアマンダさんの前に立った。アマンダさんは、椅子に座り、ペンを片手にノートを抱え、私を凝視している。一瞬、びくりとする。コワイ。アマンダさん、真剣過ぎるよ。
気を取り直し、プレゼンを始めた。途端に、アマンダさんはすごい勢いでノートに何かを書き始める。それが、もう、音がするような勢いで。
えっ? 何? 初めから指導箇所がたくさんなの?
私は怯む。しかしやはり気を取り直してプレゼンを進めた。やはり、症状は出なくなっている。ほら、怯んでも続けられる。
ところがそのときだった。アマンダさんが吠えた。
「あっ」
うわっ 何ですか? どうなさいましたか? 私は慌てる。
「視線が、視線が固まっている」
視線...ですか?
「あなたは、聴いている人々を見ていない。どこか別のほうに視線を置いたまま動かさない」
... そうだった。私はプレゼン中視線を動かさない。だって、怖いもん。聴いている人々の顔を見るのは。だから、天井の隅の一点に視線を置いたまま、動かさないようにしているんだ。
そのとき、私は気付く。そうだ、これも安全保障行動だ。怖いから、場面を安全に終了させるために視線を固定させていたのだ。ああ、どうしよう。私はまたやってしまっていたのだった。
アマンダさんはおもむろに立ち上がり、デスクの中を漁る。
アマンダさんのデスクからはいろんな役立つものが出てくる。動けなくなってきて鬱になってしまうんですよ~などと言えば、すごい速さでデスクから行動活性化リストが出てくる。ドラえもんのポケットみたいだ。
今日は、どんな便利なものが出てくるのだろうと、少しワクワクしながら見ていると、振り向いたアマンダさんの手には、
くまさん
もう片方の手には
サンタさん
が握られていた。
えっ? 何が起こっているんだ? 私はさらに慌てる。
アマンダさんは、椅子を二脚動かし、部屋の片方の隅と、もう片方の隅に分散するように設置し、くまさんとサンタさんを座らせた。
「さあっ、見るのよ。くまさんと、サンタさんと、私を、順番に見ながら、話しなさい。ひとりにつき3秒以上目を見る。視線をしっかり合わせてから、順々に視線を移していくの。さあっ、やりなさい」
目を見る。イヤダ。目を見るのは苦手だ。こんな課題、つら過ぎる。アマンダさん。厳し過ぎるよ。けど、三人のうち人間なのはひとりで、あとは玩具なのだから、できないことはないよね。
とまた気を取り直してプレゼンを再開する。くまさんと視線を合わせる。なぜかどきどきする。サンタさんに視線を移す。そうか、もうすぐクリスマスだよなと思う。アマンダさん。ああ、相変わらず真剣そうな姿。
これを続ける。話しながら、続ける。嫌でも体が動く。視線が動く。すると、おや? 何だ、この感じは!
頭の中でゴリゴリと音がするような感覚が発生する。すると突然、鎖が解かれ、窮屈であった視界から解放され、体が軽くなるような感じ。一点に集中していた視線が分散され、同時に私の中で張っていたものも分散されていった。
ああ、すごい。こんな感じは初めてだ。
「そう、その調子。続けるのよ!」
なんか、アマンダさん、口調がもう、体育会系のコーチみたくなっている。やるんだ、続けるんだ、転んでも、立ち上がり、続けるのだ、さあ、その調子だ、何も考えることはない、ただ、やればいいんだ...
ああ、なんか...と圧倒されそうになったが、やはり気を取り直して続けた。
結果、視線を動かしながらとても楽に話せるようになった。このセッションだけでである。
曝露を中心に様々な行動療法的なことを自己実施してはいるが、やはり自分でやっていては気付かないことがある。
行動療法に熟練したプロのセラピストが、実際に見て、ここだ! と感知して、ちょうどそこに作用するような適切な課題を設定してくれる。その課題がうまくツボを突いたとき、劇的な効果を発揮する。
認知療法的なやり方で認知に作用させていくと、認知がゆるっとする。けれども、ゆるっとしているだけでは、何も変わらない。ゆるっとした認知を実際に動かし、変容をもたらすのは、やはり行動なのだった。