イメージ修正再処理療法を自己実施する

小学校4年生のときのことだった。

放課後、同じクラスの友達ふたりが家に遊びに来た。しばらく遊んだ後、そのうちのひとりの家へ移動した。

「みんなでお料理しようよ」

そう言って、友達はレシピ本を出し、作る料理を決めた。その料理が何だったのかを私は憶えていない。

憶えているのは、そのレシピの材料欄に

「水カップ8分目」とあったこと。

水カップ8分目を鍋に加えるということだった。ところが、友達ふたりは、「8分目」という部分で少し考え、相談した後、コップを取り出し、そのコップに水を入れた。

次に居間へ向かい、壁に掛けられた時計を見た。「今から、8分目だね。8分経ったら、お鍋に入れるんだね」

ふたりは、キッチン台に水の入ったコップを入れ、立ち話をしている。8分もあるのだ。喋っていなければ退屈だ。

どうしよう。

言わなければ、私達は8分間、無駄に過ごすことになる。それだけではない。コップ1杯の水は、カップ8分目の水よりも遥かに分量が多い。言わなければ、誤った分量の水が鍋に投入されることとなり、料理は失敗に終わるだろう。

言わなきゃ。言わなきゃ。

ところが、声は出ない。いつもこうだ。言わなきゃいけないのに、声が出ない。

どうしよう。焦る。早く言わなきゃ、料理が失敗に終わる。ところが、私は一言も発することもなく、ただそこに突っ立っているのだった。(初めて来訪して下さった方のために一応加えておくが、私は子供時代、場面緘黙症という社会場面で声を失うという障害を抱えていた)

声が出ない。焦りが表情に出ることすらない。私は人形のごとく立ちつくすのみだった。誰も異変に気付かない。状況が異常進行していることにも、静止した私の体の中で、精神が焦りと罪悪感でぐらぐらと崩れつつあることにも、誰も気付かない。

8分が経過した。

「時間だ」友達はコップの水をとり、鍋に入れた。

何の料理だったろう。今、懸命に思い出そうとしているのだが、思い出せない。

憶えているのは、その料理が失敗に終わったということだ。だから、その時点で、何の料理だったかなど、既にどうでもいいこととなっていたのだ。失敗は失敗なのだから。

 

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私は今年に入ってから、不安障害のための認知行動療法の本 Cognitive-Behavioral Therapy for Anxiety Disorders: Mastering Clinical Challenges (Butler et al., 2010)[1] を購入して、じっくりと自己治療を続けていた。この本は従来の認知行動療法にとどまらず、近年社会不安障害治療としての効果の高さから注目を集めているイメージ修正再処理療法 (Imagery Rescripting and Reprocessing Therapy) やアクセプタンス & コミットメントセラピー (ACT) の発展から得られた知見を不安障害の最新の治療法として十分に取り入れた治療法を提示している。

その点において、この本は私に合っていた。というのは、不安障害の中でも最も治療が複雑となるとされる子供時代のトラウマに起因した不安障害の治療法に重きを置いているからだった。PTSDと不安障害の共通点および関連性については長いページを割き詳細に論じている。

トラウマと不安障害の関連がどこに認められるのか。

ひとつとして、不安障害の人々の二重の認知がある。というのは、不安障害の人々は自分が不安を感じる場面が、実際には恐れるべき場面ではないと知っている。日常の安全な場面であると知っているという認知がありながら、その場に身を置くと、過去の恐怖体験(トラウマ)と「似た形」の何かを脳が認識し、認知は突然過剰反応を起こし、強大な恐怖が湧き起こるというもう一つの認知が作動する。そこに二重性がある。

正常な認知のみが作用している間、つまり不安場面から距離も時間も離れているときは、不安を感じない。ところがその場面が実際に迫ってくると、過剰反応を起こす方の認知が作動し不安が高まり始める。(“dual belief systems” [Beck et al., 1985])。そんな二重の認知の互いにずれた動きが私にもあることは2012年5月に書いたブログ記事を再読しても明らかだ。

 

不安場面に身を置けば必ず不安発作が起こった

 

さらに、実際にその場面に身を置くと、まるで本当に恐ろしい場に身を置いたかのごとく不安発作を起こす。

 

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不安になるべき場面ではないと分かっていた。だからこそ、できるかもしれないと思ったのだ。客観的に考えて、やれないはずがない。そう考えたからこそ、私はあの場に身を置いた。

ところが実際にその場に身を置いたら、莫大な不安が発動して、倒れた。まるでその場に立ったことで地雷を踏んだかのごとく。

現在の私は、そのとき過去のトラウマから紡がれた認知が強大な力で起爆したことを知っているが、以前は二重の認知システムが起動していたなどとは知らなかったから、怖かった。自分がどうかしてしまうようで本当に恐ろしかった。思えば、自らの症状に対する無知が、さらに社会不安障害を重篤なものとしていた。

実際、私は自分の症状が子供時代のトラウマと関連しているなんて考えたことがなかった。自分自身にトラウマがあるなんて、知らなかった。さらに、私はトラウマ(心的外傷)という概念すら信じていなかった。何それ、胡散臭そう! くらいの認識であり、つまり無知だった。

知ったのは、認知行動療法を継続し、自己にじっくりと向き合い続けた結果のことだった。それは、2013年2月に『社会不安障害を引き起こす二段階のトラウマ』を書いた頃のことだ。

それまで、過去のことについては、終わったこととして私は処理していたつもりであった。封印したつもりではなかった。だから、社会不安障害が悪化してきても、過去との関連などは思いつきもしなかった。

ようやくその関連に気付いたことは大きなターニングポイントではあったが、そこから、進んでいくのは大変困難で、私はトラウマとうまく向き合えていなかった。これは本当にやっかいだった。

努めて向き合おうとしない限り、意識は記憶にまつわる感情を未処理のまま、再び表面からは見えないところに深く埋めてしまうだろう。そこで、何度か努めて向き合おうとした。そうしたら、見えない地雷を踏み、混乱状態に陥ったこともある。過去の記憶は固まっていてびくともしない感じがあって、内部に入り込むどころか、その表面すらも捉え難く、どこからどう始めたらよいのか分からないのだった。

難航していたので、試しに思考記録票を書いてみようとしたことがある。だが、書けなかった。「記憶が固くなっていて近寄れない」などという状況、すなわち過去に起因するものに対して、現在に作用させる思考記録では対処し難いのかもしれない。

しかし、過去の記憶がいかに「もうひとつの認知システム」を発動させているかを、不安障害の患者に対して個別に分析していくこと(ケースフォーミュレーション)は、焦点の合った効果的な治療を施すために、頗る大切なことだという。不安を生じさせる「もうひとつの認知システム」を発動するの過去のトラウマに変化を及ぼすことで、不安発生メカニズムに直接作用させることとなり、実質上の長期的回復に繋がっていく。

じゃ、具体的に私は何をやったらいいんだ?

まず第一に、不安を感じているときのあの感じ (felt sense) を現在形で詳細に口述・記述してみましょう。

壇上に上がるとき、すでに緊張してはいるが、実際に壊滅的なことは壇上に上がり、聴衆と対峙するときに起こる。

人が見ている。こちらを見ている。

私の発表を聞きに来ている。新しいことを知りたいから、来ている。

壇上に上がり、聴衆と対峙し、この人々は私の話を聞きに来たのだと私の脳が認識する、そのときだ。

私の体の中心で何かが爆発する。まるで地雷を踏んだかのように、ばらばらになっていく。

ダメだ。もうダメだ。

まただ。失敗だ。大失敗だ。

私は役に立つことができないのだ。

何を知ろうと、発見しようと、伝えることすらできないのだ。

無駄じゃないか。私が生きているなんて無駄だ。世の迷惑にしかならない。

私の意識はばらばらに崩れ、立っていることすらできない。意識が崩れていく勢いに巻き込まれ体も倒れていく。

そのときの詳細な「感じ」 (felt sense) が出されたとき、セラピストは患者にこう聞きなさい。

― 「人生で最初にその『感じ』を感じたのはいつですか」

一番最初にこの感じを得た記憶は、子供の頃の場面緘黙症の記憶にある。この記事の最初に書いた「8分目事件」に相当する記憶。

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同じだ。構造が完全に一致している。

同じイメージに共鳴する過去の記憶がたくさんありませんか

と言うのは、そのイメージが、不安を生じさせる不合理な自動思考を紡いでいるのなら、その後の人生の多くの場面に、同じイメージの痕跡を見出すことができるからだ。

なんと、過去のブログ記事にそのイメージの明らかな痕跡があった。2012年6月に書いた『このままでは何も貢献できない』。記事タイトルのみを見てもそのイメージの痕跡と不合理感が漲っているが、内容を読むともっとひどい。

同僚に伝えた方法論。これを引用したいと言われた。だが、その件について公的には未発表であった。その途端、何かに憑かれたがごとく、不合理極まりない思考が展開される。社会不安障害で学会発表を回避してきたから、世に発表することができなかった。何を発見しても、何を開発しても、私は役に立てないのだ、と。

 

このままでは何も貢献できない

 

ひどい飛躍である。「さっさと論文書けばいいだろ、このボケカス!」と思う。ところがこの記事においては、この「論文を書く」ことで誰もが新たな方法論を使えるようにするという合理的な選択肢が、「刊行までに時間がかかる」という不合理な理由により却下され、「学会発表ができないから私は伝えることができず、故に貢献できない」というお決まりの結論に持っていく。

これが認知の歪みのひとつとして挙げられるメンタルフィルターであり、「私は決して世の役に立つことがない」という結論を維持させるために、意識は合理的な思考を不合理にもフィルターにかけ無効化する。その度に「決して役に立てない」という核心信念は強まる。核心信念を否定できるはずの経験や知識があっても、それすらも核心信念が正しいことの証拠へと変えてしまうスキーマの莫大な不合理な力がさらに強められていく (Young et al., 2003)。

誰がどう読んでも、明らかに書いた人(私)が結論を飛躍させていて、理不尽に慌てているのが明らかだ。だからこそ、コメントを書いて助けてくれた人がいた。

 

このままでは何も貢献できない

 

そうだった。その点も、私の認知はフィルターにかけていた。役に立たないという結論は何があっても維持されスキーマを強めるのだった。

これと似たようなことが、同じイメージが、不合理な自動思考を紡いでいたことが、数え切れないほどあったと思う。

このように不安発作・自動思考を心に発動させる場には、共通の構造がある。

PTSDだけではなく他の不安障害の治療においても重要となるのは、過去からの記憶の欠片が現在に発動し物事への認知を歪めていく様子を検証していくことだ。

意識がその場に共通の構造を感知するとき、それは発動する。まるで地雷を踏んだかのごとく爆発する。PTSDと同様に。

だから治療において、その地雷 (hot cognitions) ― 認知に埋められたホットスポットを探し出し、地雷が起爆しないような処置を加えていく。

どうやるのか。その手順として、PTSD治療で行われる感情処理 (emotional processing) (Foa & Rothbaum, 1998) に準じた処理 ― 過去に感情を処理しきれないまま恐怖のあまり意識から葬ってしまったトラウマ記憶への曝露 ― を行う。(参考になる日本語サイト

不安障害治療において、トラウマ記憶への曝露は、先に述べた「二重の認知」を同時起動させ、それらを相互作用させていく (interacting cognitive subsystems: ICS [Barnard & Teasdale, 1991])。

不安を生成する認知を起動させ、物事に対峙するときに抱くあの特異な「感じ」を活性化し、セラピーの間中、マインドフルの状態で患者の意識に維持させておく。その特異な認知が現状と相容れない情報を次々に積み上げていくのと同時に、「現在この場に危険など迫っていない」と分かっている方の認知も起動させておき、それらを交差させていく。

Teasdale, 1999

交差させていく?

過去の記憶を再訪し、過去に起こった出来事に対するイメージを詳細に現在形で口述・記述することで、過去の記憶を再体験する。それを現在の大人の自分が有している合理的な認知と作用させる ― つまり、過去のイメージに含まれる不合理なところを客観的に観察していく。そうやって、過去のイメージを再構成させていき、「地雷の埋まった認知」に「分かっているほうの認知」を段階的に混ぜていくことで、地雷に処理を加えていく。

このイメージ修正再処理療法は社会不安障害の治療に大きな効果を及ぼすということが、近年の一連の研究により明らかにされつつある (Frets et al., 2014; Lee & Kwon, 2013; Nilsson et al., 2012; Wild & Clark, 2011; Wild et al., 2007)。これら一連の研究の示したイメージ修正再処理療法の多大な効果は、多くの社会不安障害罹患者には根深いトラウマがあり、現在に引き起こされる症状は、過去の記憶・イメージと深く関連しているということへの根拠を同時に示しているとも言える。

マインドフルの状態?

マインドフルネスについては語ることが尽きないので、一言で表現できない。それをあえて、今回の文脈のみに限定して、ものすごく単純に表現すると、イメージを喚起しつつ、それに巻き込まれることなく、同時にイメージをじっくりと克明に観察できる状態。

マインドフルの状態でイメージを起動していくのは、ひとつにこの作業が危険であるからだ。過去の記憶を地雷と表現したが、それは近寄ると起爆する可能性のある危険な作業であり、この作業中に喚起されるイメージに意識が巻き込まれ起爆してしまうと、鬱や希死が強まり、激しいパニック状態に陥ったり、そのまま自死に至る危険もある。その危険を考えると、イメージ修正 (IR) に熟練したセラピストのもとでやるか、自己実施するならマインドフルの状態に達することに慣れてから行うほうが、安全かもしれない。

もうひとつに、ふたつの認知を相互作用させていくにはマインドフルの状態で行うのが効果的だからだ。理性的な現在の認知を保ちつつ、地雷をセーフモードで起動することで、思考やイメージを、安全にかつ詳細に観察して相互作用させていくことができる。

さらに、イメージを表現していくときのコツのひとつとしてメタファーを使うことや、イメージを明確に表現するために空想的イメージを挿入することが挙げられている。

メタファーはイメージ修正に限らず、様々な心理療法で用いられる。なにしろ、心の中に起こったことは、表現するのが難しい。心の外で起こったことなら、「バスが来て、バスに乗って...」みたいに、物や動作をそのまま表現していくことができるが、心の動きについては、そこに外界物が欠けているため、日常言語では捉え難い。メタファーを使い、空想的感覚に頼ることで、初めて心の中で起こった動きを、言葉で表現できる。また、メタファーを使うことで、そのイメージが自ずから客観化され、恐ろしいイメージに巻き込まれることなく、同時にイメージの動きを詳細に観察していくことが容易になる。

昔、心の中で起こった「あの感じ」の現実味に欠けたものの輪郭を、空想的記述やメタファーを使って明確に描いていく。

メタファーか、と考えたとき、すでに私の中にイメージに対するメタファーが存在していることに気付いた。

声を出せない状態が、映画館にひとり閉じ込められているような感じだと子供の頃から思っていた。

なぜ映画館なのか。

映画が始まるとスクリーン上でストーリーが展開される。

観客はストーリーを追うことができるが、ストーリーに変化を及ぼすことはできない。

観客はスクリーン上に主人公を密かに陥れようとしている登場人物がいることに気付くこともある。しかし観客は主人公に向かって、「あの人に近づくと危ないよ」などと伝えることはできない。主人公が危険人物に騙されるストーリーを変えることはできない。

映画のストーリーと観客の世界は分断されているのだから、当然だ。

私は現実世界をスクリーン上に見て、何かを見出すことがある。だが、それをスクリーン上の現実世界にいる人々に伝えることはできない。私の世界と現実世界は分断されている。

By: Sarah_Ackerman

私はひとり映画館にいる。

映画が始まる。私は映像を眺めている。

水筒を肩に掛けた小学生が列を作り楽しそうに歩いている。今日は遠足なのだ。

子供の歩く列が動いていくのに合わせて、映像も動いていく。まるで列の中に入って一緒に歩いているかのようだ。

映像に映っている子供のひとりが折りたたみ傘のカバーを落とす。

「落としたよ」私は言う。映画館の中で言う。

けれども子供たちは何事もなかったかのように、何も聞こえなかったかのように、歩き続ける。

道端に落ちている傘カバーに誰も気付かない。

遠足の目的地に至り、お弁当の時間近くになって、傘カバーを落とした子が言う。「傘のカバーがない」

皆が捜す。そこら中を捜す。

見つかるわけがない。ずっと遠くの道端に落ちているのだから。

私はひとりその事実を知っていて、皆が探し続けているその場に立ち尽くしている。

どうしよう。

そのとき私の心に妙な衝動が起こる。私も一緒に捜さなきゃ。

捜さなきゃって、捜したところで、そこにはないって私は知っているじゃないか。私はあの子が傘のカバーを道に落としてしまったのを目撃したじゃないか。

衝動と目撃した場面が重なろうとしたその瞬間、ひずみが生じ、引き裂かれる。

そのとき、私は元の場に戻る。映画館に戻る。そうだった。私が皆と同じ場にいると思っていたのは幻想だった。

声は向こうへは届かない。私が声を発しても、それは映画館の館内に響くのみで、館内を超えて、映像の中に私の声が入り込むことはない。

どこかに出口があるのかもしれない。

私はそう思って、隅々まで探してみる。毎日のように探す。しかし、出口らしいものどころか、小さな穴すらも見つからない。

出口はない。

いや、まてよ。内側から出られなくても、外側には内側と繋がる道があるのかもしれない。その道を通して、出られるのかもしれない。

そんなことを想いながら、今日も映像を眺めている。

そこに大人の女性が現れる。映像の向こうから、こちらを見てにこりとする。そして、小さな女の子を目にした大人たちが慣用的に言うように、こう言うのだった。「お人形さんみたいね」

通常、それだけだろう。しかし、映像の向こうからこちらを覗き込む大人たちは、もうひとつ付け加えるのだった。「喋らないから、本物のお人形さんみたいね」

分かるのかもしれない。私は思う。私が人形の体に閉じ込められていると分かるのかもしれない。

「ここから出してください」私は言う。映画館の中で言う。

外側から、開けてもらえるかもしれない。そうすれば、出られるかもしれない。

女性はもう一度優しそうに笑いかけ、そのまま去っていく。

そして映画館では明日も映像が流されるのだった。

そんなふうにして、年月が過ぎ、私は映画館の中で、あるひとつの可能性について思う。

もしかしたら、日々流れる映像は、フィクションなのではないか。と言うのは、毎日異なる映像ではあるけれど、そこには共通点がある。その映像上に起こる出来事を私は決して変えることができないという共通点がある。

なら、どうして、映像に現れては消えていく人々は、度々こちらを覗き込んで、あれこれ、言うのだろう。あちら側からは私の姿が見えるからではないか。すると、やはりあちらの世界と私の世界はひとつなのか。

いや、しかし、そのような設定のフィクションである可能性もある。カメラに近づいて覗き込む仕草をしたり、話しかけたりするシナリオがあって、映像を眺める観客があちら側からこちらが見えているのだと錯覚するように仕組まれた巧妙なフィクションなのかもしれない。

堅固でびくともしない映画館が突然消えることがある。

学校から帰れば、映画館はまるでそれが幻想であったかのように消える。

何だったのだろう、と思う。

ところが、それは完全に幻想だったのではない。なぜなら、私が学校で喋っていないということを大人たちは盛んに問題とする。ふたつの世界は分断されつつも、回転を終えるとひとつの世界に戻るようだった。

説明したい、と思う。

でも、どう説明したらいいのだろう。私にもなぜこんなことが起こるのか分からないのだ。

声が出なくなる。そんなこと言ったって、誰も信じない。

「そんなバカなこと言ってないで、喋ればいいでしょう」とさらに苛立たせてしまうか、

「この子は本当にどうかしている」とひどく心配させてしまうかのどちらかだろう。

どうしたらいいのか。

せめて喋れるときは明るい子として振る舞おう。声が出ないことなどに言及してはいけない。説明できないのだから。明るく楽しそうに振る舞っていれば、私の周囲で高まる苛立ちや心配も少しは和らぐかもしれない。

喋れる世界。そこは決して声が出ない世界から解放される場ではない。

さらに年月が過ぎ、私は映画館の中で、もうひとつの可能性について思う。

フィクションなのは流れる映像ではないのかもしれない。

流れる映像は現実であり、実際にそこで起こっている。

フィクションなのは、現実に存在していないのは私のほうだ。

映像上で何が起ころうとも、どんな悲劇が起ころうとも、私には見ていることしかできない。

映像上で起こる事件に有効な解決策を思いついても、私には見ていることしかできない。

見ている意識としての存在。そんなものは存在ではない。

映像上に起こる様々な事件を見ていながら、私には状況を決して変えることができない。どんなに頑張って新たなことを考え出したところで、全ては無効化される。それは私が存在していないからだ。

見ている意識だけで構成されている私というもの。気味悪く、無駄なもの。

見ること、考えること、人生の全ては終わることなく続く拷問なのだ。せめて何も見えなければ、何も考えられなければ、完全に死んでしまえれば、楽になるのに。

ここまで。「あの感じ」を最大限に感じつつも、巻き込まれることなく外在化しながら、できるだけ詳細に記述してみた。これだけでも、二重の認知の交差により、既に大きな効果が期待できるという。

この記述をもとに、前述した「不安場面で不安を感じているときのあの感じ (felt sense)」を再訪する。昔の「あの感じ」と大人になってから不安場面で不安を感じている「あの感じ」 ― それらを現在の理性的な認知と交差させながら観察してみる。すると、地雷 (hot cognitions) が不安発作を生じさせていたさらに詳細なメカニズムが明確に見えてくる。

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不安発作が起こったとき、私の見たものは、発表を聞きに来た人々ではなかった。

私が見たのは、映像だった。スクリーンに映し出された人々だった。その途端、私は映画館に閉じ込められる。いちど閉じ込められたら、館内から映像に向かって何を言ったところで、決して伝わらないのだ。

逃げろ 全速力で逃げろ その伸びてくる壁に閉じ込められる前に 逃げるんだ

体は全速力で逃げる準備を始める。心拍は高まり、過呼吸となり、体中の筋肉が緊迫し、思考が止まり、すぐにでも逃げられるスタンドバイ状態となる。この「闘うか逃げるか反応 (fight-or-flight response)」が発動すると、不安発作となり、頭の中は真っ白になり、思考はシャットダウンする。

地雷の周りに散乱する記憶の欠片、イメージ、症状の特徴は、その人の自己観、人生観を脅かす否定的自己定義が発生したその瞬間 (negative self-defining moments) を反映しているのだ。

Conway et al., 2004

ここまでを明らかにしたとき、私は理解した。自分に起こっていた現象を理解した。

あの最も症状が重篤化した頃、理性と不安が乖離していったのは、原因と結果のはっきりした自然現象であり、そうなったのは仕方がなかったのだ。

私が最大の恐怖に陥っていたのは、まさにこの二重の認知の乖離のためであった。わけが分からないまま自分の精神がふたつに乖離していくのが恐ろしかったのだ。

 

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仕方がなかった。そう思えたのと同時に、私はそれまで散々否定的に見てきた自己観を捨てる合理的根拠を得た。

長年の間、堅固な映画館にひとり閉じ込められ、何度も、繰り返し、伝えるべき大切なときに限って、目の前の現実は映像と化し、声を届けることができなくなるのだった。

伝えなければいけない場面に立ち、そこで映画館の壁が伸びてきたら、逃げるしかない。伝えたいのなら、閉じ込められないように全速で逃げなきゃ。

学習プロセスとして、異常なところはない。幼少期に繰り返された恐怖体験が、似たイメージの場面で危険信号を発するようになるのは当然だ。

だから、その学習プロセスにおいて、歪んでいたのではない。まっすぐ機能していた。

私の思考が間違っていたのでも、「ボケカス」だったのでもない。あの恐怖の映画館が迫ってきて私を飲み込もうとしているんだ。あそこには出口がないんだ。いちど閉じ込められたら出られないんだ。これまでやってきたことの何もかもが無効化されるんだ。論文なんて書いている場合ではない。

さあ、何もかもを放り投げて、逃げるんだ!

 

地雷 (hot cognition) を精査すると、本人自身が理解できる。その認知に付けられたタイムコードが異なっていること、コンテクストから切り離されていること、そのために現在の現実との均衡が崩れていること。

次に必要な作業は、記憶と現在の現実との均衡を達成すること。タイムコードを現在に合わせること、現在のコンテクストに合わせること。

そこで、「現在この場に危険など迫っていない」と分かっているほうの認知を、地雷の埋まっていたほうの認知にタイムコードとコンテクストを調整しながら交差させていく。先ほどセーフモードで起動させた、昔の自分の心の中で起こった「あの感じ」を現在の自分の視点から再訪する。イメージを再構成していく。

幼少時に起こったことを、現在の自分の視点から見つめ直しましょう。ここでも空想やメタファーの力を借りましょう。必要があれば、起こった事件に介入し、認知再構成中に思いついた、その事件に対する新たな見解を昔の自分に伝えてみましょう。

ここでも得意科目の空想を使っていいのか。イメージ修正再処理療法って空想癖のある人にはとってもやりやすい。

さて、現在の自分の視点から...となると、話法が変化する。私は現在の自分の思考を一人称で語り、目の前に見える昔の自分の様子を三人称で観察する。

そこは暗闇だ。空気は静止していて、冷たい。

しばらくすると、暗闇に目が慣れてくる。空気が小さく揺れているのが分かる。微かな空気の揺れを追っていくと、小さな女の子がいる。腰をかがめて何かを探しているようだ。

「何を探しているの」私は聞く。

女の子は顔を上げ、私を見る。「出口。映画館から外に出るための道を探しているの。毎日、何時間も探している。けれども見つからない」

「出口のない映画館なんてあるだろうか」

そう言ったら、女の子は怪訝そうな視線を向ける。そうだった。この子は毎日探し続けていたのに、見つからないのだ。出口が隠されていたり、出口のない映画館自体が幻想である可能性を示したところで、何一つ解決しない。だいたい、介入が早すぎるだろ。焦らず、あくまでも距離を保ったまま、現在の自分の視点から観察していくんだ。

私は余計なことを言わずに、ただそこで女の子と一緒に過ごすことにした。映画館の客席に腰かけ、スクリーン上で起こっては過ぎていく数々の出来事を共に眺めていた。

長い時が流れた。何時間、何日、何年が経過しただろうか。私はずっと黙って女の子の横で映像を見ていた。スクリーンに映し出される出来事は次々に変わっていったが、映画館内の様子は何も変わらなかった。女の子が映像を眺め続ける。館内で起こることはそれだけだった。それは状態の継続そのものを目的とする厳粛かつ残酷な儀式のごとく、毎日繰り返された。

「あの人達には、私の姿が見えるみたい」ある日、女の子が言う。「けれども、私がここに閉じ込められていることは見えないみたい」

女の子の言葉が私の頭の中で何かと呼応して響いた。

ものごとは心でしか見ることができない。大切なことは目には見えない。

サン=テグジュペリ

閉じ込められているという大切な、肝心な事実は目には見えない。人々の目に映るのは何ひとつ不自由ない女の子であり、それしか見えない。

「あなたがここに閉じ込められているということが、人々に見えないのは、あなたが存在しないからではない。あなたが悪いことをしたのでもなければ、罪償いのために閉じ込められたのでもない。見えないのは人々が心を失いつつあるからなのかもしれない」

そのとき、スクリーン上に遠足に向かう子供たちの姿が流れる。そのうちのひとりが折りたたみ傘のカバーを落とす。

女の子の顔色が変わる。どうしよう。言わなきゃ。でも声が出ない。

そこで私はこう言った。

「伝えるべきことをどう伝えたらいいのか、大人になった今でも迷うことがある。言葉を選んでいるうちに、言うタイミングが過ぎてしまうことが今でもある。タイミングが過ぎてしまったということが、そのこと自体が取り返しのつかない悲劇のように思えて、伝える機会を失ったように感じられることが、今でもある。それでも、今の私が知っていることがひとつある」

私は女の子の目を見ながらゆっくりと言葉を運ぶ。「大切なことは言葉にはならない」

そのときもまだ、スクリーン上には道端の片隅に落ちた傘カバーが映っている。

「言葉をたくさん重ねていって完璧と見えるほどの凝った形状で完成させても、出来上がったそのとき、それは伝えようとしたのとは別のものになっている。言葉を紡ぐ前に最も伝えたいと思ったあの大切な何かが、その完璧に見える完成品からはすでに抜け落ちてしまっているんだ」

スクリーン上には、まだ道端の片隅に落ちた傘カバーが映っている。

「言葉のことは考えなくていい。声のことも考えなくていい。タイミングのことも考えなくていい。走っていって、拾って、あの子の目の前に立ち、差し出すんだ」

女の子は途端に戸惑う。「走っていったところで、スクリーンにぶつかって、向こうへは行かれない」

「それは、やってみなければ分からない。向こうへ行かれないように見えても、本当に行かれないかどうかは、やってみなければ分からない。大切なことは目には見えないのだから」

女の子は言われたことについて考えているようだった。そのときもまだ、スクリーン上には道端の片隅に落ちた傘カバーが映っている。女の子は束の間傘カバーに視線を移すと、立ち上がり、スクリーンに向かって走っていった。

必ず向こうへ行ける。私は確信した。走っていく女の子の目に映っていたのは、スクリーンではなく、出口であったからだ。それは心でしか見ることのできない出口だった。

それを私の心が見たとき、私の確信は強度を増し、広がる。声が出なくても、言葉を失っても、伝えることはできる。世界を変えていくことができる。

あの女の子は、出口を抜けても数年は声を出すことができないだろう。それでいい。行動で伝えられることを知っているのだから。「ありがとう」と誰かに伝えたければ、近づいて行ってハグすればいいと知っている。それ以上に知るべき大切なことなどあるだろうか。

言葉にも声にもならない大切なものを伝え続ければ、いつか人々は失いつつある心を取り戻し、見えなくなっていた大切なものを再び見出すだろう。そんなふうにして、女の子は自分の接する小さな世界を、日々、少しずつ変えていくだろう。起こるべき価値のある世界の変化は、そのようにしてもたらされる。

女の子はスクリーンの中に飛び込むと、姿を消した。

その瞬間、あれだけ堅固に見えた映画館が消えた。同時に私は理解した。私が映画館に閉じ込められることは二度とないのだと。

 

「不安障害なしの人生に変えることができます。場面緘黙症も社会不安障害も発症しないパラレルワールドでの人生に引っ越しできます。どうしますか」

なんらかの技術的発達により、そのような不可能が可能となったなら、以前の私なら迷わず病を発症しなかった方の世界への引っ越し準備を始めただろう。

そして、たぶん、そうしたほうが、効率のよい人生を送ることができたろうし、苦しみのない、楽な日々を送ることができたのかもしれない。

今の私は、別の世界に引っ越したいとは思わない。病と共に生きてきた記憶を消したいとは思わない。忘れたくない。

それはどういうことか。記憶が私に苦痛を及ぼすものではなくなっている。そういうことだ。それが受容だった。

 

イメージ修正再処理最終段階。

イメージ再処理後、新たに構築されたイメージを意識に根付かせた上で、エクスポージャーを続ける。不安場面への曝露を継続することで、タイムコードとコンテクストの最終調整を行い、現在の自分が身を置いている状況と、昔の状況は異なることを認知に学習させていく。実際に何度も継続してやってみることで、最終的な均衡が達成されていく。

ここでもイメージだ。不安場面に立っている自分を想像し、その場所で自分が見るイメージを構築、そしてしっかりと意識に根付かせていく。具体的には、その新たなイメージをスクリプト化する。それを、セラピストによるガイド付マインドフルネス瞑想[3]として何度も実施する、あるいは、毎日自分で似たようなことが自己実施できるようになれば、それに越したことはない。特に不安場面への曝露直前に、その新たなイメージを自分で反芻できるようなれば、実際に場面に際してその肯定的イメージが自然に浮かぶようになる。

この最終段階に及ぶ際、知っているのといないのでは、大きな差をもたらすひとつの知識がある。それは、いかなる処置を施したとしても、

必ず何かが発動する

ということ。

その場面に身を置けば、必ず、何かが発動する。これは当然だ。記憶があるのだから、何も発動しないということはあり得ない。

しかし、発動すること自体が問題なのではない。何が発動するか、そこなのだ。

そこには自由がある。何を発動させるかを個人が選び、構築していく自由がある。

伝えるべきことを伝える場面に立つ。人々を見る。床から突然壁が出てきて聳え立とうとする。そのときだ。

壁は一瞬のうちに廃墟と変わる。

壁は私の膝あたりの高さで崩れていて、その表面は長年の風雨に晒されてきたせいか丸みを帯び、苔が生えている。それは昔私を閉じ込めていた映画館の残骸だった。

私はそこに碑を建てる。忘れないように。

悲劇は起こる。だからと言って、人は悲劇の記憶を抹殺しようとなどしない。むしろ、決して忘れないように碑を建て、記念日を設け一日をその記憶を反芻することに捧げてまで、過去の悲劇を記憶に刻んでおこうとする。それは過去を変えられないことに対する悲観的で受動的な諦めではない。肯定的で積極的な受容であり、そこから建設的な未来への願いが生まれる。

By: Karl Baron

私の建てた碑の周りは緑豊かな記念公園になっている。

そこはバリアフリーであり、誰一人、囚われたり、閉じ込められたりすることはなく、たくさんの子供たちが自由に遊んでいる。

碑の前に立った私は確認する。スクリーンから出てきた女の子が大人になったのが私であり、心でこの光景を見ているのだと。私はきっと伝えることができる。それは私が現在立つこの場所は、安全で平和であり、再び私を捕らえ幽閉するものなど何一つ存在しないのだと知っているからだ。

何度でも、人前でお話をする機会を持ちたい。その度にこの平和な光景を見ることができるのだから。

タイムコードとコンテクストの調整は終了した。

今年になってからも、たくさんの機会を得て、たくさん人前でお話しすることができた。常に平気だった。発動するものがあっても、それが決定論的に悲劇をもたらすのではない。その発動するものに「不安」と名付け固定したりはせず、開かれた可能性を維持させる。するとそれは平和なイメージへと向けられた、すべての可能性へと解放された、自由で希望に満ちた発動となる。だから平気だった。恐れる対象などは何もない。

全ては私の手の内にある。

 

P.S. 8分目の件に関しては、あれは小4の子供たちの遊びであって、水のことがなかったにしろ、美味しい料理など出来上がるはずがなく、したがって大失敗という不合理な結末をやめて、みんなでお料理遊びをして楽しかったというイメージに再構成した。役に立たなくては生きていてはいけないような人生観はおかしい。そこに、ただいて、楽しめばいい。

P.P.S. イメージ再構成の内容に唯一の正解はなく、最初のトラウマのイメージが同様であっても、再構成されるスクリプトの内容は人の数だけ多様であり、結末も変わる。女の子が映画館を抜け出しても声が出ないのは、それが最終的なイメージ再構成と対応する私の納得できる結末であるからで、人によっては喋れるようになるという結末もあり得るだろう。


[1]以下、イメージ修正再処理に関する本文中に明示されていない引用は Butler et al. (2010) からとする。

 

References


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アントワーヌ・ド サン=テグジュペリ (2005) 『プチ・プランス』 グラフ社

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Mental health blogger, researcher, social anxiety/selective mutism survivor.