少し前のことだ。
そのとき私は、喋れなかったこと、不安障害が悪化し長いこと瀕死の状態であったこと、そんなことについて、ピアの方々にお話ししていた。話し始めは大丈夫だった。落ち着いて話していた。 “喋れなかったことについて喋れるようになる” の続きを読む
少し前のことだ。
そのとき私は、喋れなかったこと、不安障害が悪化し長いこと瀕死の状態であったこと、そんなことについて、ピアの方々にお話ししていた。話し始めは大丈夫だった。落ち着いて話していた。 “喋れなかったことについて喋れるようになる” の続きを読む
場面緘黙症とHSC(敏感・繊細な子)を結びつける記事を検索したら、この一年以内に書かれたものがたくさん出てきたので、簡単に注意喚起しておきたいと思った。
傾向のひとつとして、それらのビジネスは場面緘黙児を育てる保護者により運営されている。HSCで場面緘黙の我が子を克服に導いた親である私が教えてあげましょうというスタンスをとる。つまり、場面緘黙症やその他の不安障害の治療を実施する専門家ではなく、素人である。
もうひとつの傾向として、他の似非科学的な思想や療法を基にした「治療」や「カウンセリング」であること。「思考は現実化する」「親が変われば子も変わる」「栄養をサプリメントで取ればよくなる」など。結局のところ、昔からあるニューソート系の自己啓発セミナーやエビデンスに欠けた栄養療法を、HSCの流行に伴い焼き直した程度のものであり、新しいものではない。
もうひとつ。これはなぜだか分からないが海外在住者がネット上で集客するビジネスに多い。海外在住であることをセルフブランディングに利用して売り上げに繋げるのか、海外で収入に困って日本に住む日本人の場面緘黙症保護者を狙うのか、いろいろと事情はあるのかもしれない。
場面緘黙症の治療について検索すれば、様々なサイトに辿り着く。そのサイトに以下の特徴がひとつでもあったら、記事もサイト主も信用してはいけない。
・場面緘黙症とHSCを結びつけている
・HSC概念に無批判である
・NLP、栄養療法などを勧める記述がある
・場面緘黙の子ではなく親のカウンセリングをやろうとしている
・「私が我が子を克服に導いた知識であなたの子も克服できる」としている
・公認心理師や臨床心理士ではなく、海外の国家資格をもつクリニカル・サイコロジストでもない
結末を読んでもハッピーエンドなのか、悲劇的結末なのか、明示されない小説がある。
After Zeroはそんな小説だった。
場面緘黙症の少女を主人公としたクリスティナ・コリンズ著の童話である。日本語翻訳版は出ていない。主人公のエリースはホームスクーリングを経て学校に通い始めたが、学校で喋れなくなる。学校でも少しは声が出せた(ロープロファイル場面緘黙と言及されている)ということもあり、単に大人しい子であると思われていた。
はじめは親切であった周囲の子ども達は、段々とエリースの沈黙に苛立ち始め、エリースはいじめられるようになる。喋らないために濡衣を着せられる。なぜ喋らないのかと問い詰められる。
私は子供の頃、学校で喋りたくても喋れなかった。
私の緘黙状態を見て、大人しく可愛く見せようとしてわざとやっていると考える大人もいたが、 標準的な感覚の人達は、 学校という場に対して不安があるのだろう、学校で関わる大人やクラスメイトに慣れず不安で心を開けないのだろう、恥ずかしがりなのだろう、と解釈していた。だが、そういうわけでもなかった。
よく知らない相手だから何を喋ればいいか分からない、怖い、という人見知り的不安ではなかった。慣れない場に予測がつかなくなり緊張するといった場見知り的不安でもなかった。社交パフォーマンス上の不安、すなわち、きちんと喋れるだろうかとか、面白いことが言えるだろうかといった不安からでもなかった。
学校で関わる人達については、新学年が開始からひと月もすれば気心は知れるもので、私としては慣れていた。学校という場も、喋れないので楽しくはなく苦痛であったものの、突拍子のない事件が起こるのではなどという場見知り的な不安を抱くことはなく、その意味において慣れてはいた。
では緘黙モードになるとき、不安がなかったのかと言えば、不安はあった。たくさんあった。どういう不安だったかを下に羅列する。
学校で昨日まで喋らなかったのに、今喋ったら、変に思われるだろうな。
学校で昨日まで喋らなかったのに、今喋ったら、これまで喋れたのに喋らなかったのがバレてしまう。
学校で昨日まで喋らなかったから、今喋ったら、注目されるだろうな。
学校で昨日まで喋らなかったから、今喋ったら、大騒ぎになるだろうな。
学校で昨日まで喋らなかったのに、今喋ったら、これまで喋らなかったのはなぜなのかと質問攻めにあうだろうな。
“私が場面緘黙だったとき生じていた不安” の続きを読む幼稚園初日。その日、年少クラスで実施された活動はなんとフリータイムであった。そして私が場面緘黙症を発症したのはそのとき、つまりそれ以来話せなくなった。 “場面緘黙症を発症した日のこと” の続きを読む
小学校4年生のときのことだった。
放課後、同じクラスの友達ふたりが家に遊びに来た。しばらく遊んだ後、そのうちのひとりの家へ移動した。
「みんなでお料理しようよ」
そう言って、友達はレシピ本を出し、作る料理を決めた。その料理が何だったのかを私は憶えていない。
憶えているのは、そのレシピの材料欄に
「水カップ8分目」とあったこと。 “イメージ修正再処理療法を自己実施する” の続きを読む
過去のうまくいかなかった社会的場面を認知行動療法的に分析していくことは大切だが、過去の成功体験、うまくいった社会的場面を分析して、なぜうまくいったのかを認識した上で、成功体験としてきちんと意識に植え付けることも大切だと思う。 “成功体験を分析する” の続きを読む
認知行動療法のためにセラピストの扉を叩いてから一年になる。
セラピーは去年の前半だけ(7回)で卒業したのでもう受けていない。
認知行動療法は私の思考に潜む歪みやパターンを明るみに出していった。
そもそもなぜそんなに病むほどに歪んでしまったのか。 “二段階のトラウマ:緘黙時代に形成された思考” の続きを読む