社会不安障害を引き起こしてしまいがちな思考パターンというものがある。認知の歪みと呼ばれているものだ。
私自身にも多くあてはまる。
成功か失敗かの二元論的思考
黒か白か。成功か失敗か。良いか悪いか。All-or-nothing thinking.
ふたつのうちどちらかしか結果はないという思考。
例)発表していて少しとちってしまった。プレゼンは完全に失敗に終わったのだ。
とちった途端に全てが失敗だと解釈する。
私はこの白黒思考が大きかった。壇上に立つ。すると不安が押し寄せる。
どかんどかんと心臓が鳴り、体が言うことを聞かなくなる。
もうだめだ。
私は必ずそう思ってしまっていた。
いちど始まったパニック発作は鎮めることができない。不安の強力な渦にすっかり巻き込まれてしまった。そう私は思い、さらに、
もうだめだ。完全に失敗だ。
でも、どうだろう。今になって、初めて疑問を呈してみる。この件について、ほかの考え方が存在しうるなんて考えてみたのは、生まれて初めてのことだ。
よく考えてみると、パニック発作を起こしてしまったからって、完全に失敗ということにはならない。
発表の間中、発作に見舞われているわけではないからだ。最初の数分くらいで大きな不安の波は去る。
だから、最悪の場合でも、不安の波が抜けた頃、発表を再開すればいいんだ。「ちょっとパニック発作を起こしてしまいましてね」とか言っちゃってもいい。
あきらめずにコントロールしてなんとか発表を終えることができれば、完全に失敗なんて、それこそあり得ない。発表を終えることができれば、ほとんど成功と言ってもいいかもしれない。
不安を起こしていたのは私の思考の癖だったのだ。完全に失敗だと決めつける思考パターンだったのだ。
不当な一般化
自分はあることが一生できないのだと不当に一般化してしまう。Overgeneralization.
例)私はプレゼンができない体質なのだ。
一生この病気は治らない。一生私はプレゼンができない。必ずパニックが起こる。
私は疑うことなくそう考えていた。「一生」とか「絶対」とか「必ず」とかいう枕詞をつけてしまうときが危ない。考え方が歪んできて不当に一般化している証拠だ。
フィルターにかけて悪い部分のみ記憶に残す
Mental filter (focusing on the negative).
例)友達と楽しくお茶を飲んでいたとき、いちどだけ会話に間が空いた。帰宅後悪い部分しか思い出さない。
“会話に間が空いて、どうしようかとすごい焦ったな。間の空いたときの居心地が悪かったな。あの人は私のことぎこちない奴だと思っているだろうな…”
楽しい会話のことはフィルターにかけられて記憶に残らない。
これについては、はじめは自分の経験では思い当たらないと思ったが、過去のことをよくよくひとつずつ思い出してみると、あるある、確かにある!
ずっと以前にプレゼンをした。
そのとき私はかなり緊張していた。しかし、それはあくまで緊張していたというレベルであった。社会不安障害の発作は起こらなかったのだ。
聴いていた人から後で言われた。
「あのプレゼンはとてもよかった。大成功ですね」
そうだった。あのとき私はなんとかプレゼンを全うしたのだった。言うべきこと、見せるべきことを全てプレゼンで伝えたのだ。
それなのに、私はなんとそのことを忘れていた。記憶から剥がしてしまっていたのだ。
あれは小さなプレゼンだったし。
そもそも国際学会の発表とは規模が違うし。
短かったし。
あんなのは発表に数えられるものでもないし。
そう過小評価して、忘れてしまっていた。実際、きちんと発表できたのに、湧き上がる不安をコントロールできたのに、成功体験として数えなかった。
なんてこった。これじゃ、超不公平な先生が、気に入らない生徒の発表をなかったことにしているくらい理不尽じゃないか。
よく考えてみると、まるで、わざと自分の成功や達成を認めないようにしているみたいだ。
失敗した経験だけ、しっかり鮮明に覚えてて、成功した体験はすっかりなかったことにして、「プレゼンのとき、私は必ずパニック発作に陥る」なんて。
結論が先にあって、データが後で改竄されて、誤った知見を作り出すような不正行為と同じじゃないか。
私は自分自身の認識に対して不正行為をはたらいていたのだった。
過小評価
Discounting or disqualifying the positive.
奇妙な言い訳をつけて、自分がうまくできた事実を否定してしまう。
例)“乗り物は恐いけど今日はバスに乗って出かけることができたのは、混んでいなかったから。だから緊張せずに出かけられたの”
奇妙な言い訳をして、成功体験として数えない。(で、忘れてしまう)
飛躍して解釈する
Jumping to conclusions.
十分な根拠もないのに飛躍して否定的に解釈する。
例)“誕生日に電話をくれなかったお友達がいた。ああ、あの人は私のことが嫌いなんだな”、と解釈してしまう。
心を読む
Mind reading.
なぜか心が読めると思っていて、しかも相手が自分のことを否定的に思っていると考える。そして勝手に考えて相手に確かめない。
例)“あの人は私のことをつまらない人だと思ってるんだ。見てれば分かるよ”
勝手に思い込んで相手を避けるようになる。
占い師の間違い(未来を悪く予測する)
The fortune teller error.
未来を悪く予測してそれを信じて疑わない。
例)“明日のプレゼンは失敗に終わる”
悲劇的になる
Catastrophizing.
自分の失敗と他人の成功を強調して考える。自分の小さな失敗のことを一生の失敗だと思っている。
例)“プレゼンでパニックになった。これで自分のキャリアというものは一生ダメになった”
感情を基にして論理づけする
Emotional reasoning.
感情が考え方の基になっている。
例) 今日は気分が悪いので悪いことがたくさん起こるに違いない。
「...のはずだ」という呪縛
“Should” statements.
これはこういうものなのにという考え方に縛られて自分についても他人についても悪く考えてしまう。
例) 一度読めばわかるはずのものなのに私はわからなかった。 あの人たちは私がどう感じていたか察することができたはずなのに、ひどい人たちだ。など
自分の原因とする
Personalization and “Omnipotence”.
何か悪いことが起こると自分のせいにする。
例)私があのときあそこにいたから悪いことが起こったのだ。
☆
結局、これらの思考パターンを全てやっていることに気づいた。
必ずプレゼンは失敗に終わると自分で予言していた。最初から失敗する、パニック発作が起こると予期して不安を高めているのだから、結果として発作が起こってしまうのも納得できる。そしてそのことについて異常なほど悲劇的に考える。プレゼンに失敗したから、自分の将来はなくなると思い込む。これまでの努力も、研究結果も全て無に帰すと思い込む。そして一生、この社会不安障害のためにまともな仕事すら得ることができないと思い込み、どうしようもないほど悲劇的になる。
人の心も勝手に読んでいるつもりになる。ほら、私のプレゼンを聴いていた人たちは、みんな私が変人だと思っている(に違いない)。もう二度と変人の私には話しかけてすらくれないだろう。話しかけたとしても単なる好奇心で、実は私のことを気のおかしいやばい人だと思っている。そうだ。そうに違いない、なんて気がしてしまう。