震えてもいい

年の瀬も近づき、自分の人生で最も大きな転換を経たこの一年を振り返ると、とても感慨深い。

なにがそんなに大きな転換だったのか。それは具体的には、ものすごく単純でシンプルに言えます。

震えてもいい。

2011年の半ば頃、社会不安障害の治療を受ける前、私はこれとは正反対のことを信じていた。

絶対に震えてはいけない。

震えるのはいけないことで、悪いことで、弱さの象徴で、絶対に震えてはいけなくって、人前で震えるなんてのは絶対に許されないし、誰も許さない。

そう信じていた。疑うことすらなかった。

だから、また発表の場で震えてしまうかもしれない、発作を起こしてしまうかもしれないと思うと、それを想像・予期するだけで、不安発作を起こしていた。

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ひとりで部屋で震えていた。

いちど恐ろしいという気持ちが芽生えるとそれは増大するのみで、その恐怖から逃れることも、弱めることもできなかったし、ましてやその異様なまでに膨らんだ恐怖がコントロールできるものだなんて夢にも思っていなかったし、ただ膨れ上がる不安と恐怖の中で震えていた。

そんな行き場のない恐怖の中で、唯一自分なりの解決法として思いついたのは、不安場面を回避することと、強い薬を飲んで不安を感じなくしてしまうこと。

長年回避し続けていたものの、なんとかして薬で良くならないかと藁にもすがる思いで、医者に行き、そうしたら認知行動療法を強く勧められたので受け始めた。そうしたら、思いがけず良くなった。

今思い起こしてみると最も大きな転換は、認知行動療法が進んでいったある地点で、「絶対に震えてはいけない」という認識が「震えてもいい」という認識に変化したときだった。

それは発表前に私が書いたシナリオに表れている。

このシナリオで、私は震えてしまう事態も想定している。大きな不安発作になってしまうことも想定している。そして、そうなったらそうなったでいい、と書いている。なんとかなるよ、震えたっていいんだよ、と自分に語っている。

これは以前の私にはあり得ないシナリオの書き方だ。以前の私が書いたであろう発表のシナリオには震えることは含まれない。だって、絶対に震えてはいけないんだから、そんなことはシナリオには絶対に含まれない。

皮肉なことに、絶対に震えてはいけないと強く思ううちは震えてしまうのだ。それに気付いたのはずっと後だけど。

これは恐怖に対する恐怖だった。それは多くの社会不安障害の人が言っている。震えてしまうことに対する恐怖。それは自分の頭の中で起こる恐怖だから、外界で起こる社会的状況等は実は関係ない。

恐怖への恐怖を解消してしまえば、解決する

そして恐怖恐怖症(恐怖に対する恐怖症)を解消するのは、ちょっとした意識転換で達成できることだった。

それは受け入れること。

震えることを受け入れること。

不安障害を抱える自分に対して自分自身が向ける偏見をなくし、そのままの自分を受け入れること。

震えることが怖くなくなれば、震えることや発作を起こすことへの恐怖がなくなってしまえば、震えなくなるのだった。

こんなことを体験したのは今までの人生ではかつてなかったことで、なんと言うか、突然自分が違う人間に生まれ変わったような、なにかものすごく大切なことを学習したかのような、ほとんど衝撃に近い体験であった。

この体験のおかげで、社会不安障害についてだけではなく、日常のいろいろな場面で癖になっていることなどを認識できるようになったように思う。

まっさらで生まれてきたはずなのに、生きていると無意識にいろいろな習慣や考え方を積み重ねのうちに身につけてしまっているもので、それらは生活に役立つものであったり、自分の健康を損なうのにやめられないようなものであったり、自動的に物事を解釈してしまうような考え方の癖であったりで、そんないろんな癖について、少し離れたところに立って定期的に見直していく、あるいはデフォルトに戻していくような、そんな新たなスキルを身につける素地がやっとできてきたように思う。

投稿者: administrator

Mental health blogger, researcher, social anxiety/selective mutism survivor.