治らなくても解決はできる

治療のおかげで随分と調子がよくなった。

これは治ったということなのか、克服したということなのか。考えてみるけれど、どちらもあてはまらないように思う。

むしろ、解決したと言ったほうがぴったりくる。社会不安障害を自分の中で解決した。

 

治ったと言うと、まるで社会不安体質が普通体質に変わってしまったかのような言い方だから違う。

過去も現在も未来も、生きている限りずっと不安体質だ。

うまく表現できないけど、不安を引き起こしていた心の動きの根っこは、今でもある。以前はすぐに不安に変容したあの鋭い莫大なエネルギーのようなものは、今でもある。

SSRIが抜けてからは、あの鋭利な刃物のようなそれが戻ってきた。ただ、それは私の心を刺さなくなった。背後の見えないところから刺してきていたものが、今では目に見える所にあって、しかもそれは私の手の内にあるので、怖くない。突然勝手に暴れだしてしまうことは、もうない。コントロールできる。

だから問題ない。

克服したのだろうか、とも思う。

それもちょっと違う。克服すると言うとどこか対象をやっつけてしまうような、正義と悪の闘いの結果、正義が勝ったというような図式になってしまうように思う。

社会不安障害の不安はやっつけて消滅させるべき悪ではないから、克服対象ではない。むしろ、うまくコントロールしていれば、正のエネルギーに変えることができるので、心の内に在り続けてもよい。

お気に入りの爆弾を抱えながら生きている。今の心境としてはそんな感じだ。

この爆弾ときたら、爆発してしまうと大変危険なんだけれど、使いようによっては結構便利なこともあり、そのまま持っている。完全になくすことができるよ、と言われても、私はそれをなくしたくない。誰かが買い取りたいと言って1億円積んでも、渡さない。

だから、解決した、と言うのが一番ぴったりくる。不安が生じてもやり過ごせる。私の人生を阻むものではなくなっている。

投稿者: administrator

Mental health blogger, researcher, social anxiety/selective mutism survivor.