社会的死と不安

まただ、発表中に恐怖を感じ始めてしまった

この恐怖が芽生えると、もう為す術がない

恐怖に呑まれるだけだ

発表は失敗に終わる

大失敗に終わる

この大失敗のせいで仕事も失う

キャリアなんて完全に失ってしまう

一生、このまま、何もできないまま、社会的な繋がりを完全に失い、死ぬまで震えたまま生きていくんだ

 

これが私の自動思考だった。

はじめは小さな不安が心に起こる。

すると、瞬時に、上の一行目にある「まただ、...」が始まり、過去に経験した恐怖の記憶と呼応し、思考は一気に自動的に「一生、このまま、何もできないまま、社会的な繋がりを完全に失い、死ぬまで震えたまま生きていくんだ!」まで到達してしまう。

上の自動思考の最後の3行に思考が行きついてしまったら、不安発作を起こして当然だよなーと最近ふと思う。

だって、これって、社会的な死に対峙してる。

人間は、社会的な動物だから、社会的な死はもしかしたら、身体の死より怖いかもしれない。遥かにずっと怖いかもしれない。

そこまで考えちゃったら、社会的な死まで意識しちゃったら、そりゃ、闘うか逃げるか反応が起こって当然じゃん。

全身に警報が鳴り響いて、不安発作に陥って当然。社会的死まで意識しちゃったんなら。

 

社会的死を意識する → 社会不安障害の発作を起こす

 

この図式の反応が起こること自体は全く病的なことではなく、高度社会的動物に進化した人類にとって、自然なことなのかもしれない。

 

By: antony griffiths

社会的死とはなんら関係ないところで、社会的死を意識してしまう。そこがいけなかった。

発表のひとつやふたつうまくいかなかったって、社会的死には至らない。

私の発表なんて、聴衆にとっては一日のうちの小さなイベントでしかない。

それなのに、「この発表において、自分の能力の100%を超え、300%発揮させる!」なんて姿勢で、肩に300%力入れて挑むなんて、もう完全に馬鹿げています。ええ、確かに私は以前そういう姿勢で挑んでしまっていた...

10%くらいをめどにして、テキトーに、出し惜しみするくらいの気持ちで、軽くしゃべればいいのに。

社会的な死?

私にセクハラした教授だって、まだ教授職のままなんだよ? いまだに先生呼ばわれされてるんだよ? 世間は人の過ちに対して甘すぎるほど甘い。ほんと、ムカつくほど甘すぎる。社会的な死なんて相当悪いことしても起こらない。

発表やら、ちょっとした社会的場面で震えたって、そんなの世間は失敗のうちにすら数えない。と言うか、数える前に忘れちゃって、あ~焼肉食いてえとか思ってるんだ。なんか、寂しくなっちゃうくらいに、忘れてしまうんだ。そんなものなんだ。

作成者: administrator

Mental health blogger, researcher, social anxiety/selective mutism survivor.