病んだ自分を差別する自己と向き合う


いまだこの疾患に対する一般的な認識というものは無理解に満ちているように思う。そして私がそうであったのだが、社会不安障害を抱える当事者自身が自分の疾患に対して偏見を抱いてしまいがちではと思う。

主に下記の3つの偏見がいまだに社会不安障害に纏わりついているように思う:

 

  • 性格の問題であって疾患ではない
  • 自意識過剰の人が陥る疾患
  • やばい精神病

 

By: miliquin

 

性格の問題 ― 「恥ずかしがり屋で内気だから、社会不安障害になった」

社会不安障害の人たちには、向上心にあふれ、様々なことに積極的に、ときには誰もあえて取り組もうとしないことにすら果敢に取り組む人もいる。そんな大きな課題に対して、あまりにも真剣に取り組んだ結果社会不安障害を発症してしまったりする。社会不安障害になった人たちの性格は多様であり、社会不安障害=内気というわけではない。

社会不安障害を発症したからといって、物事や人生に後ろ向きなわけでも恥ずべき性格でもない。

 

自意識過剰の人が陥る病気 - 「人目を気にしてる。悪く評価されることを極度に恐れている」

社会的場面で震えているので、そう思われるかもしれない。本人もそう思うかもしれない。

しかし、認知行動療法をじっくり続けると、社会的場面に存在している事象 ― 多くの他人、他人の視線、他人からの評価 ― に対しての恐れではなかったことに気がついてきたりする。間接的には評価に対する不安もあるかもしれない。けれども、少なくとも直接的な恐怖の対象はそれら社会的場面に存在する事象ではなかったりする。

むしろ震えてしまうことへの恐怖。同じような社会的場面で再び不安発作を起こしてしまうかもといった予期的恐怖。不安への恐怖。特定場面が恐るべき危険な場面ではないと知っている社会不安障害の人は多い。

不安への恐怖が特定の社会的場面への恐怖を引き起こし、その場面を回避するようになる。

症状は過去の不安発作のトラウマが引き起こしている過剰反応だ。

 

やばい精神病 - 「精神病にかかってしまったら人間としておしまいなのでは」

だれだって、心の病気になりうる。精神病にもいろいろあろうが、精神病にかかったから悪いとか恥ずかしいとか人間失格だということはない。

自分の心がけが悪かったからとか、意志が弱かったからではない。社会不安障害になったことの原因も責任はあなた自身にない。

身体的な病気と同様、恥ずべきことではありません。

精神病に対する差別をもちつつ社会不安障害になったら、恥ずかしいことだと思うかもしれない。耐えられないことだと思うかもしれない。

そして、社会不安障害を発症した自分自身を認められない限り、受け容れられない限り、恥ずかしいことだと思っている限り、症状はさらに悪化する。

自分自身を認めること。社会不安障害や心の病気に対する理解を深めること。社会不安障害になった自分を受け入れること。

まずは自分が自分自身に向ける差別心を解いていくこと。そこから始まるのではないかと思う。