場面緘黙児保護者を狙うHSCビジネスの拡大に伴う注意喚起

場面緘黙症とHSC(敏感・繊細な子)を結びつける記事を検索したら、この一年以内に書かれたものがたくさん出てきたので、簡単に注意喚起しておきたいと思った。

傾向のひとつとして、それらのビジネスは場面緘黙児を育てる保護者により運営されている。HSCで場面緘黙の我が子を克服に導いた親である私が教えてあげましょうというスタンスをとる。つまり、場面緘黙症やその他の不安障害の治療を実施する専門家ではなく、素人である。

もうひとつの傾向として、他の似非科学的な思想や療法を基にした「治療」や「カウンセリング」であること。「思考は現実化する」「親が変われば子も変わる」「栄養をサプリメントで取ればよくなる」など。結局のところ、昔からあるニューソート系の自己啓発セミナーやエビデンスに欠けた栄養療法を、HSCの流行に伴い焼き直した程度のものであり、新しいものではない。

もうひとつ。これはなぜだか分からないが海外在住者がネット上で集客するビジネスに多い。海外在住であることをセルフブランディングに利用して売り上げに繋げるのか、海外で収入に困って日本に住む日本人の場面緘黙症保護者を狙うのか、いろいろと事情はあるのかもしれない。

場面緘黙症の治療について検索すれば、様々なサイトに辿り着く。そのサイトに以下の特徴がひとつでもあったら、記事もサイト主も信用してはいけない。

・場面緘黙症とHSCを結びつけている

・HSC概念に無批判である

・NLP、栄養療法などを勧める記述がある

・場面緘黙の子ではなく親のカウンセリングをやろうとしている

・「私が我が子を克服に導いた知識であなたの子も克服できる」としている

・公認心理師や臨床心理士ではなく、海外の国家資格をもつクリニカル・サイコロジストでもない

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無実の家族を告発したファシリテーターの手記要約 Facilitated Communication (FC)

1992年、16歳の少女の両親が告発された。告発内容は、この16歳の自閉症の少女―Betsy―を両親が性的に虐待したという疑惑だった。その告発内容は、facilitated communication (FC) という援助手法を通して得られたとされる。FCは発語を困難とする人々がキーボードや文字盤および身体的補助を通してコミュニケーションを取ることを可能とすると謳われる手法であるが、FCから得られる発話内容は障害者本人が発するものではなく、介助者(ファシリテーター)から発せられていることが、科学的に示されている。

以下は Betsy の無実の両親を告発してしまったファシリテーターの手記を日本語要約したものである。

Boynton, J. (2012). Facilitated Communication – what harm it can do: Confessions of a former facilitator. Evidence-Based Communication Assessment and Intervention6(1), 3–13. http://doi.org/10.1080/17489539.2012.674680

ファシリテーターがFCの有効性を信じるに至る心理過程、さらに、FC実践の際、実際にはファシリテーター自身の思いがFCから得られる発話を紡いでいるにもかかわらず、補助を受けている者が発していると信じてしまう心理過程が詳細に綴られている。

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そもそも「恐怖麻痺反射」とは何か:原始反射統合を唱える不穏な動きについて

原始反射の統合ワーク?

「恐怖麻痺反射という原始反射があります。恐怖を感じると動けなくなる反射です。胎児が胎内で生物として進化していく過程で消失するものなのですが、お母さんの胎内にいるときお母さんがストレスを感じたりすると、生まれてからも赤ちゃんに恐怖麻痺反射が残存するため、恐怖を感じると固まり、その子は場面緘黙になるのです。でも大丈夫。残存した恐怖麻痺反射を他の原始反射と統合していけばいいのです。身体アプローチで統合していきましょう」

上記のように 「恐怖麻痺反射」を病気・障害をはじめとしたあらゆる生きづらさと結びつけ「統合ワーク」「身体アプローチ」に誘導していくビジネスは今に始まったことではないが、廃れる様子もないのが気がかりだ。

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カズオ・イシグロ『日の名残り』における信頼できない語り手の秘める社会不安障害的なもの

障害名を得る、精神疾患の診断を得るのは、大切な一歩だと思う。自分の抱え続けてきた苦悩は病気だったのだと知ることで、問題を外在化できる。解決・回復へ向かうために役立つ。幼少時から自分だけが他人とは異なっていたあの感じが一気に説明できる。

他方、診断名はどうしても異常のレッテルとなってしまう。いや、正常と異常はゆるやかに繋がっているんだよと言われても、診断名というやつは強力で、否応なく正常と異常を分断する。

私自身、正常と異常は分断されていないと知ってはいる。精神疾患の診断を受けたことはスティグマを背負うのとイコールではないとも知っている。それにもかかわらず、気がつくと社会不安障害(SAD)の人々とそうではない人々の在り様を分断するかのような思考が生じている。

「フツーの人にはSADの苦悩など分からない!」「フツーの人の不安と社会不安障害の不安は異なる!」とか言ってたりする。

そうだね、ある面では異なる。けど、完全に異なるって言えるかな。SADの私とSADではない人々というのは宇宙人と地球人くらい離れた存在なのかい?

自問してみると、瞬間的にYes! と叫びたくなるものの、正直ちょっと自信がない。診断名を掲げて、これが私とお前が異なる理由だ!と、根本的な違いを主張したい気持ちが生じるのだった。診断名に頼れば全ての理由が得られるかのごとく。うん。診断名って強力だ。そうだ。私がたびたび理不尽になるのは診断名のせいだ、と責任転嫁しておこう。

自分が診断名に呑み込まれがちであることに気づくのは難しい。私はカズオ・イシグロの作品を読むとき、そのことに自然と気づく。正常と異常はふたつの異なる世界ではなく、人間の在り方として緩やかに繋がるひとつの世界なのだという認識に戻される。

カズオ・イシグロの代表作のひとつ『日の名残り』は英国貴族の屋敷に執事として長年勤めてきたスティーブンスの自省的語りで構成される。たぶん、多くの健康な読者はこの作品にSADっぽさを見出したりはしないのだろうと思う。もちろん、本文中にスティーブンスはSADなどというキャラクター設定がなされているわけではなく、私が長くSADを患っていたからこそ、スティーブンスの語りにSADっぽさを見出すのであろう。

新たにスティーブンスの主人(屋敷の主)となったアメリカ人のファラディ氏はアメリカ的ジョークを飛ばしスティーブンスを戸惑わせる。スティーブンスは有能な執事として文化の異なる主人のジョークに上手に対応し環境の変化にも適応せんと努める。

そんな日々を語るスティーブンスの言葉は、SADっぽさ満載なのだった。アメリカ的ジョークを期待されるファラディ氏との次回の会話場面を予期しては延々と思い悩んだり、過去の会話場面における自分の振る舞いを延々と回想しては反省したり…

(以下本文中引用は土屋政雄訳) “カズオ・イシグロ『日の名残り』における信頼できない語り手の秘める社会不安障害的なもの” の続きを読む

私のSAD的観点から見ると理不尽な世間一般の信念とSADの人々に向けられがちな誤解

今日はSADの人々が受けがちな誤解についてまとめてみた。

相手の目を見ない奴は嘘をついている

視線を合わせるのが怖い人々もいます。

視線を合わせるのが怖いのは悪いことをしているからだろう、ですか?

ちょっと待ってください。悪いことをしていたり、嘘をつく人は相手と目を合わせないとか目を合わせるのを怖がるいう根拠はあるのでしょうか。

すたっぷ事件のおぼちゃんや、あれこれ世間を賑わせる詐欺師の多くは、相手の目をじっと誠実な感じで見つめて、信用を得て、騙すけれど、視線を合わせるのが怖い様子はないですよね。まあ、視線を合わせるのが怖い嘘つきもいるかもしれない。それでも、視線を合わせるか否かが嘘つきの指標とはならないんじゃないかな。

世の中は多様な特性の人々で構成されており、中には視線恐怖に苦しむ人々もいます。誰かがあなたと視線を合わせられなかったとしても、その人があなたに嘘をつこうとしているとは限らないので、安心してください。 “私のSAD的観点から見ると理不尽な世間一般の信念とSADの人々に向けられがちな誤解” の続きを読む

発達障害や精神疾患を標的とするカウンセリング詐欺等の特徴をまとめてみた

発達障害や精神疾患に苦しむ人々やその家族をターゲットとした詐欺や悪徳商法はとても多い。

疾患名、障害名、カウンセリング などのキーワードで検索すると、トップ10以内に複数の詐欺師のサイトが上がる。

それら詐欺サイトに「これは詐欺です」などとは書いてない。代わりに、「~専門のカウンセラーです」とか「~は治る」などの頼りがいのある言葉が前面を飾る。 “発達障害や精神疾患を標的とするカウンセリング詐欺等の特徴をまとめてみた” の続きを読む

傷ついた体験を伝えたいときは傷ついたと言わずに語る

こういう経験はないだろうか。

「傷ついた」と言ったら、どうも伝わらなかった。あるいは自分が傷付いた事実を否定された。

「つらい」と言ったら、どうも伝わらなかった。あるいはつらいと言ったことを咎められた。

自分の経験してきた障害や困難について伝えたいのに、伝わらないのだ。 “傷ついた体験を伝えたいときは傷ついたと言わずに語る” の続きを読む

変えられるものと変えられないもの:ニーバーの祈り

治す。克服する。

精神疾患や発達障害を語る際にどうも違和感を漂わせる言葉。

「治らないって言うのか? 治ると信じないなんて後ろ向きな姿勢だ!」

と言われても、いや、風邪が治るように治るというふうなものではないから…と口籠るように言うしかない。 “変えられるものと変えられないもの:ニーバーの祈り” の続きを読む

マインドフルネスをやってよかったこと

マインドフルネス瞑想はセラピストのジャネットさんのガイドでやったのが初めてで、3年ほど前のことだ。真面目に毎日実践し始めたのはこの1年ちょっと。

今回の記事で書くことは、あくまで私自身がマインドフルネスをやってみた限りにおいての印象であり、一般化できる種の内容ではない。

マインドフルネスを実践してきて、自分の精神的な症状、特に不安障害の症状にとって良かったと思っていることは以下の8点だ。 “マインドフルネスをやってよかったこと” の続きを読む

セラピストと患者の共依存関係と保険適応セッション回数限度

「あなたはもう来なくていい」

とセラピストに言われてしまった。

私は認知行動療法のフォローアップを月1~2回受けていた。これは去年半ばに鬱になったので始めたのだった。

楽しく通っていたのに、来なくていいなんて。 “セラピストと患者の共依存関係と保険適応セッション回数限度” の続きを読む