「愛しているなら自閉症だなんて思わないでしょう」:発達障害や精神疾患に対する差別とHSP概念の関係①

前回の記事では、Highly Sensitive Person (HSP)と呼ばれるニューエイジ系アイデンティティ概念が世界的に広まった背景として、提唱した心理学者であるアーロン氏をはじめとする多くの専門家が大々的に一般に宣伝することでHSPブームを仕掛けた経緯があったと指摘した。

今回の記事では、アーロン氏の広めたHSP概念が発達障害や精神疾患を蔑む論調を繰り返すことで当事者や保護者を顧客化する戦略を見ていくために、主にアーロン認定セラピストになるための教科書内容について語るつもりだったのだが、書いていたら大変な量になってしまったので、記事をふたつに分けることにした。

今回はアーロン氏が自らのHSPサイトにおいてASDに対して差別的な発言を繰り返し、当事者からの批判が高まると「私はASDの専門ではなくASDのことはよく知らないんで」と開き直り、発達障害に無知であるにもかかわらずASDとHSPの別診断ができると主張していたという事実を自ら露呈してしまった事件について記述する。 “「愛しているなら自閉症だなんて思わないでしょう」:発達障害や精神疾患に対する差別とHSP概念の関係①” の続きを読む

HSPの流行を仕掛けたのは誰か

Highly Sensitive Person (HSP)と呼ばれるニューエイジ系アイデンティティ概念は、発達障害や精神疾患へのスティグマを強め、発達障害や精神疾患のある世界中の人々を惑わせ、搾取し、効果的な支援や治療につながる妨げとなっている。

HSP概念がそのような害を及ぼすに至った経緯として、提唱した心理学者をはじめとする専門家が

①HSP流行を主導した

②発達障害や精神疾患を蔑む論調を維持している

という側面はかなり大きいと思う。どちらも倫理的問題であり、このようなことが慣習化していくのを防ぐために注意喚起していく必要がある。

両方をひとつの記事で語るとものすごい量になるので、今回の記事は①の経緯を示し、②は次回記事のトピックとする。

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場面緘黙児保護者を狙うHSCビジネスの拡大に伴う注意喚起

場面緘黙症とHSC(敏感・繊細な子)を結びつける記事を検索したら、この一年以内に書かれたものがたくさん出てきたので、簡単に注意喚起しておきたいと思った。

傾向のひとつとして、それらのビジネスは場面緘黙児を育てる保護者により運営されている。HSCで場面緘黙の我が子を克服に導いた親である私が教えてあげましょうというスタンスをとる。つまり、場面緘黙症やその他の不安障害の治療を実施する専門家ではなく、素人である。

もうひとつの傾向として、他の似非科学的な思想や療法を基にした「治療」や「カウンセリング」であること。「思考は現実化する」「親が変われば子も変わる」「栄養をサプリメントで取ればよくなる」など。結局のところ、昔からあるニューソート系の自己啓発セミナーやエビデンスに欠けた栄養療法を、HSCの流行に伴い焼き直した程度のものであり、新しいものではない。

もうひとつ。これはなぜだか分からないが海外在住者がネット上で集客するビジネスに多い。海外在住であることをセルフブランディングに利用して売り上げに繋げるのか、海外で収入に困って日本に住む日本人の場面緘黙症保護者を狙うのか、いろいろと事情はあるのかもしれない。

場面緘黙症の治療について検索すれば、様々なサイトに辿り着く。そのサイトに以下の特徴がひとつでもあったら、記事もサイト主も信用してはいけない。

・場面緘黙症とHSCを結びつけている

・HSC概念に無批判である

・NLP、栄養療法などを勧める記述がある

・場面緘黙の子ではなく親のカウンセリングをやろうとしている

・「私が我が子を克服に導いた知識であなたの子も克服できる」としている

・公認心理師や臨床心理士ではなく、海外の国家資格をもつクリニカル・サイコロジストでもない

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私のSAD的観点から見ると理不尽な世間一般の信念とSADの人々に向けられがちな誤解

今日はSADの人々が受けがちな誤解についてまとめてみた。

相手の目を見ない奴は嘘をついている

視線を合わせるのが怖い人々もいます。

視線を合わせるのが怖いのは悪いことをしているからだろう、ですか?

ちょっと待ってください。悪いことをしていたり、嘘をつく人は相手と目を合わせないとか目を合わせるのを怖がるいう根拠はあるのでしょうか。

すたっぷ事件のおぼちゃんや、あれこれ世間を賑わせる詐欺師の多くは、相手の目をじっと誠実な感じで見つめて、信用を得て、騙すけれど、視線を合わせるのが怖い様子はないですよね。まあ、視線を合わせるのが怖い嘘つきもいるかもしれない。それでも、視線を合わせるか否かが嘘つきの指標とはならないんじゃないかな。

世の中は多様な特性の人々で構成されており、中には視線恐怖に苦しむ人々もいます。誰かがあなたと視線を合わせられなかったとしても、その人があなたに嘘をつこうとしているとは限らないので、安心してください。 “私のSAD的観点から見ると理不尽な世間一般の信念とSADの人々に向けられがちな誤解” の続きを読む

正常と異常の狭間で

「あなたは普通のまともな人です。性格とか、個性のうちで、せいぜいちょっとした不調でしょう。精神疾患などではありませんよ」

と言われるのは相変わらずだが、そう言われるときの自分の反応は以前とはすっかり変わった。 “正常と異常の狭間で” の続きを読む

社会不安障害の治療は心理職(公認心理師)の国家資格化でどう変わるか:オーストラリアとの比較

現在、日本でも心理職を国家資格化する動きが強まっている。これが実現すれば、日本でも認知行動療法(CBT: Cognitive Behavioral Therapy)をはじめとするエビデンスの確立したセラピーを、現状よりも容易に保険適用で受けることが、将来的には可能となりそうだ。 “社会不安障害の治療は心理職(公認心理師)の国家資格化でどう変わるか:オーストラリアとの比較” の続きを読む

「シャイなのではありません。社会不安障害なんです」

外見で判断してしまうと本質が見えない。

社会不安障害(SAD)は、まさにそれ。外見(あるいは、症状の話を軽く聞いた感じ)からは、その表面的な特質のみからは、この病理的な不安のメカニズムを想像することは一般的に困難だ。

「それって、性格だよ。心配いらないよ」

と、優しく言われる。 “「シャイなのではありません。社会不安障害なんです」” の続きを読む

認知行動療法を受けたくても受けられない現状

日本での社会不安障害(SAD)治療を巡る現状について調べていたところ、世界で認知行動療法などのSAD治療の第一選択肢とされているエビデンスのある治療を受けられないでいる人達が多いようだ。 “認知行動療法を受けたくても受けられない現状” の続きを読む

『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』の主人公黒木智子が激しくSADであることについて思う

下の画像は世界のSAD(Social Anxiety Disorder:社会不安障害)当事者達の間で今話題になっているアニメの第一話のワンシーン。

“『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』の主人公黒木智子が激しくSADであることについて思う” の続きを読む