HSPの流行を仕掛けたのは誰か

Highly Sensitive Person (HSP)と呼ばれるニューエイジ系アイデンティティ概念は、発達障害や精神疾患へのスティグマを強め、発達障害や精神疾患のある世界中の人々を惑わせ、搾取し、効果的な支援や治療につながる妨げとなっている。

HSP概念がそのような害を及ぼすに至った経緯として、提唱した心理学者をはじめとする専門家が

①HSP流行を主導した

②発達障害や精神疾患を蔑む論調を維持している

という側面はかなり大きいと思う。どちらも倫理的問題であり、このようなことが慣習化していくのを防ぐために注意喚起していく必要がある。

両方をひとつの記事で語るとものすごい量になるので、今回の記事は①の経緯を示し、②は次回記事のトピックとする。


HSPと似たニューエイジ系アイデンティティ概念はこれまでも多く出没した。しかし、エンパスやインディゴチルドレン、クリスタルチルドレンなどといった他のニューエイジ概念と比べて、HSP概念の拡散力は際立っている。

今回の記事では、

  • エビデンスも有用性も乏しく害悪しかないHSP概念が専門家主導で広められたことの倫理的問題
  • このような非倫理的行為が学術の一領域において慣習化しつつあること
  • その慣習が一般の人々に及ぼすリスク

について注意喚起したい。その過程で、学術側がポップ心理学の流行を仕掛けるケースについて (Cassidy, 2005)、心理学者の利益相反 (Conflict of Interest: COI) 非開示問題  (Chivers, 2019)、科学と非科学の境界が権力者側のご都合で引かれる傾向があるとするバウンダリーワーク (Gieryn, 1983) に言及する。

心理学者が計画的にブームを起こす

学術側が自己啓発ビジネスに搾取されるのではなく、学術側が主導で自己啓発ビジネスを生産するという構図には馴染みがないかもしれない。

学術側が搾取される例でよく知られているのは、量子力学やフラクタル幾何学など学術の世界で発展した学問を自己啓発ビジネスが勝手に自分たちの理論的基盤であると主張し、本来のものとはかけはなれた滅茶苦茶なものを科学的に強固な基盤があるかを装い、販売する。学術の世界で発展した用語を自己啓発ビジネスが冠する多くの場合において、学術側が自己啓発ビジネス側に搾取される関係となっている。

学術側が主導してブームを起こしているHSP概念は、搾取されるのではなく搾取する側であり、構図が異なる。

始まりからおかしい

HSPを巡る状況で最も尋常でないのは、論文と一般書が同時執筆されている点だろう。一般書も論文も著者は米国の心理学者アーロンである。

まず、ニューエイジ色満載のHSP一般書が刊行されている (Aron, 1996)。著者はエレイン・アーロン。最初のHSP論文はHSP尺度を開発したとするものでエレイン・アーロンとその夫であるアーサー・アーロンの共著 (Aron & Aron, 1997)。最初のHSP論文と自己啓発HSP本は、時期を同じくして同一著者によって執筆され、一般書が論文より少し前に刊行されたということだ。

論文のほうもアレだが、一般向けHSP本の内容は本当にひどい。HSPは障害や疾患ではなく才能であるとか、HSS系HSPなどの複数のHSPタイプがあるとか、発達障害や精神疾患は忌み蔑むべきものとされ、抗うつ剤は才能を消すのでHSPは抗うつ剤を飲むなと唱え、HSP概念に否定的な医師を無知とバカにして、医療から遠ざける。そこには「HSPカウンセラー」やその後世界中で多数出版された「HSP自己啓発本」に見られる原型の全てがある。

さて、根拠に欠けたニューエイジ思想と反精神医療プロパガンダで満ちたアーロンのHSP本だが、それが「これはニューエイジスピリチュアル本です」という触れ込みで売れ出されたのなら、それほど問題ではない。だが、アーロンの本は、「この本に書かれたことすべてに強固な学術的基盤がある」という前書きのもと展開されたのだ。

 

Aron (1996)

“Everything in this book is based on solid research”

私はこの部分を読んだとき驚き呆れた。まともな研究者なら”solid research” なんて、再現を経て確立された知見を語るとき以外には使わない。同時期に発表された論文のほうだって、ツッコミどころ満載であり、その論文を以てして学術的基盤が確立できたなどと主張するには程遠い。最初のHSP論文から30年近く経った現在でも、学術的HSP概念は「曖昧で反証可能性に欠ける」(Hellwig & Roth, 2021) と批判されるレベルの代物である。

それでも、「この本に書かれたことすべてに強固な学術的基盤がある」と提唱者である心理学者が宣言すれば、一般の読者はエビデンスレベルを調査したりはしない。多くの読者はHSP本に書かれていることはすべて事実なのだと信じるだろう。

マスコミだってそうだ。「敏感であることは従来見做されていたような脆弱性ではなく、実は才能なのだ」という主張の目新しさ。大衆の関心をひきそうな話題性。そんなおいしいネタを、心理学者がお墨付きを与えた科学的に強固な基盤がある発見として報道できるのだ。心理学者がそう言っていて、心理学者の書いた本が出ていて、論文があり、HSPの専門家は取材に積極的に協力しHSP概念にお墨付きを与えてくれる。

だから世界中のマスメディアがHSP概念に飛びついた。

他方、インディゴチルドレンのような似た内容のニューエイジ概念は、HSP概念とは異なりスピリチュアル界で発生した。それらの概念にお墨付きを与えたがる専門家もいないなら、記事化しても怪しげなだけだ。そういうわけで、マスメディアは通常のニューエイジ概念は扱いたがらないが、HSP概念には飛びつく。マスコミにとってHSPは極めて魅力的な概念だろう。

HSP概念はそのようにして世界中のマスメディアに受け入れられ、科学的に実証された確かなものであるかのように世界中に広められていった。

HSP概念の提唱者であり、同時に執筆・発表された最初のHSP論文と自己啓発HSP本の著者であるアーロンとその支持者達はさらなるHSP一般書の執筆、HSP映画の製作、講演とHSP販売活動を広めている。アーロン氏のウェブサイトでは、アーロンのDVDと本を買いアーロンの試験に合格した世界中のアーロン認定HSPセラピストリストが載っている。これに載せてもらえれば「アーロン認定HSPセラピスト」を名乗れるし、世界中に溢れるほど存在するHSP自認者をカモれるし、アーロン氏はアーロン認定セラピストになりたい人達をカモれるし、ウィンウィンだ。

(アーロン認定資格取得のために買わねばならない教科書であるアーロン著の『HSPのためのサイコセラピー』ではHSPを診断する(diagnose)という不穏な内容や、発達障害や不安障害にスティグマを植えつけ敏感さ・不安をまるっと脱医療化してまるっとHSPとしてクライアント化する内容が展開されている。その件については次回の記事にて述べる)

さらに注目すべきことは、アーロン認定セラピストページには驚くべき注意書きがあり、

「エレイン(アーロン)は試験に合格しリストに載せたセラピストをおススメしているのでもなければ、リストに載っているセラピストはアーロンが認定したということでもありません」

一体何を言っているのだろう。

認定しているのに、認定していないと言う。

資格商法であるのに、資格商法ではないと言う。

アーロンが資格商材を買わせ、アーロンがの作成した資格試験を受験させる。なら合格してリストに載ったセラピストはアーロンが認定したということだろうが。

おススメもしない、認定もしないと言うなら、資格商材を買わせたり、試験を実施したり、合格したセラピストをサイトにリストアップしたりしなければいいだろう。

「ススメていない、認定していない」と言っておけば、「実質的アーロン認定セラピスト」がクライアントを傷つけたり損害を生じさせ(それは十分にあり得ることだ)アーロンに苦情を入れても、アーロンはそのページの注意書きを見せ「私はそのセラピストをススメても認定してもいません」で済ませられる。免責事項。人々が害を被るようなアイデンティティ・ラベルを売るだけ売って、実際に害を生じさせても、その責任は負わない。よくできている。

心理学者がメディアや一般書を駆使し、主導してHSPブームを引き起こした。マスメディアや自称カウンセラー等が学術的基盤のあるものを好き勝手に歪めて人々を搾取したのではない。

心理学者のCOI非開示問題

最初のHSP論文と自己啓発HSP本は同時執筆され、自己啓発ビジネスで主張する内容に「強固な学術的基盤がある」根拠として論文を提示する。このように論文が著者に利益をもたらすコンテクストにあれば、論文は著者等の利害に合う内容となりがちである。論文の内容が利害関係により歪められている可能性がある場合、COIを開示する。

COI非開示例として最も悪名高いのは自閉症MMRワクチン起因説のウェイクフィールドかもしれない。ウェイクフィールドは、麻疹単独ワクチンの特許申請中であったことも、MMRワクチンに対する訴訟に向けて反ワクチン団体から多額の資金提供を受けていたことも論文に開示していなかった。

アーロン論文にもCOI開示がない。アーロン論文を取り巻く利害関係も開示されていない。

心理学者が後に講演や一般書出版等で儲けることを想定しながら論文をCOI開示すらせずに発表し、その後講演や一般書等で内容に学術的基盤があるかのような論調で語る。そのようにして莫大な利益を得るのが一部有名心理学者の間で慣習化していることが近年問題視されている (Chivers, 2019)。(全文アーカイブリンク

講演等で多額の利益を得ているとされる有名心理学者の論文60報をNatureが調査したところ、ほぼ全てがCOIはないとしているかCOIについて言及されていないかのどちらかであった。

これは英語圏で顕著な傾向なのだろうが、ある米国の心理学者によると、講演の場が大学なら1~2万ドル、業界団体なら4万ドルまで貰えると言う。

one US-based psychologist — who didn’t want their identity revealed by Nature, to protect their privacy — said that they get between US$10,000 and $20,000 for speaking at universities, and up to $40,000 for speaking to trade groups.

Chivers (2019)

COIを開示せずに利益を得ようとする心理学者達は、自分らの見解を堅持し、否定的な証拠を無視して、講演ツアーや一般書を出し続けている。

they have held steadfast to their views, discounting the disconfirming evidence, and continue to do speaking tours and books

Chivers (2019)

「公表すべきCOIが開示されないのは心理科学の信用にかかわる。心理学は、何がCOIを構成するのか、いつ、どのように開示されるべきなのかについて徹底的に議論する必要がある」とClinical Psychological Scienceの編集長であったスコット・リリエンフェルドは強調する (Chivers, 2019)。

HSPの件も、「強固な学術的基盤がある」として派手にHSPビジネスを展開したのに、1997年のHSP論文にはCOIが開示されていない。論文と同時に自己啓発本を執筆していて、自己啓発本のほうが論文よりわずかに早く刊行されているのに。HSP概念の提唱者が一般向け商品としてHSP概念を世間に大々的に売り出すことを見込んで論文を発表していたようなのに。

サイエンス・コミュニケーションを装った宣伝

HSP研究の倫理的問題はCOI非開示にとどまらない。HSP研究者はサイエンス・コミュニケーションという名目で新聞、各種雑誌記事、ネット記事、一般書、テレビ番組等マスメディアを最大に利用し、HSPを一般に広める。

心理学の専門家が主導して一般に流行を仕掛けるのはHSPに始まったことではない。

1990年代の英国ではポップ進化心理学が流行した。その広まりを仕掛けたのは、学術の側だとの指摘 (Cassidy, 2005) がある。以下にキャシディの指摘を要約する。

サイエンス・コミュニケーションとは学者側が確立した知見を一般の人々に伝えるものだと思うだろう。だが、逆のケースがある。サイエンス・コミュニケーションの形をとることで、確立していない知見を一般に広め、世にブームを引き起こす。高まる一般の関心に応えねばならないからという名目を掲げ、黎明期にあるエビデンスに欠けた研究領域の学術界におけるシェア拡大を正当化する。そうやって先に一般の関心を高めることで、アカデミア内での居場所を確立する。

1989年にコスミデスとトゥービーが進化心理学を学術界で提唱後、一般書 (e.g., Cronin, 1991) が次々に刊行され、一般にブームを引き起こした。しかし学術進化心理学とポップ進化心理学の間隔が短すぎるのは、両者の関係性に疑問を生じさせるものがある。

This seemingly short interval between the appearance of EP in the academic and popular domains raises questions about the precise relationship between the two, especially when considering that the first popular book to discuss evolutionally psychology, although less explicitly was published in 1991 (Cronin, 1991).

Cassidy (2005, pp. 116-117)

キャシディはさらに1990年代の英国における進化心理学に関するマスメディア報道数と学術的刊行数を調査・比較した。結果は、メディア報道数が学術的刊行数を圧倒的に上回っていた。そして、2000年以降になると学術的刊行が増加し、メディアによる報道が減少していたのだった。

1990年代当時、進化心理学者は研究を行い論文を書くより、世にポップ進化心理学ブームを巻き起こすのを優先していたのだろうとキャシディは指摘する。学術的基盤が欠如していながら、進化心理学者達はテレビ番組の公開討論(男女脳関連などの関心を集めやすいトピックのもの)に参加したり、一般向けの記事を執筆したり、一般書を出版したりすることで、進化心理学への世の関心を高め、そうすることで、進化心理学のシェアをアカデミア内で確立させたのだろうとキャシディは論じる。

HSP研究は進化心理学と隣接、あるいは重なり合っている。そして時期的にも、アーロンのHSP一般書と論文が出版されたのは1990年代後半である。そして先に述べたように学術心理学HSPとポップ心理学HSPは時期を同じくして発表されている。

さて、HSP研究の論文を読んでいると、「一般の人々の間でHSPの関心が高まっているからHSP研究を発展させねば」という内容の記述に遭遇することが多々ある。

From a societal impact perspective, SPS has gained substantial popularity in the public and media, with programmes being developed and professionals trained to coach and support highly sensitive employees, leaders, parents and children (e.g. https://hsperson.com/resources/coaches/). However, basic, translational and applied scientific research on SPS is lagging behind, creating an imbalance between the need for information from society and the scientific knowledge collected so far. This easily leads to misinterpretations of what SPS is, and comes with risk for misinformation and potentially even harm to the public, and neglects the societal responsibility of science.

Greven et al. (2019, p. 288)

社会的インパクトに関しては、SPSは世間やメディアで人気を博しており、敏感な従業員やリーダー、保護者や子供たちをコーチし、サポートするためのプログラムが開発され、専門家が育成されている(例:https://hsperson.com/resources/coaches/)。しかし、流行に対してSPSに関する基礎、応用、橋渡し研究は遅れており、社会からの情報ニーズと今日までに集積された知見との間に不均衡が生じている。そのせいで、SPSとは何かについての誤解が生じがちであり、誤情報の広まりや一般の人々に害をもたらす危険があり、科学の社会的責任を疎かにしている。

上記直接引用文はHSP研究の「クリティカルレビュー」からとったのだが、アーロンも共著者として名を連ねているせいもあるのか、内容としてはHSP概念に関する問題点を論じていくという形態をとりつつ、HSP研究を盛り上げようとする。当然、最もヤバい問題には決して触れない。筆頭著者もアーロンのサイトでHSP概念についての講演やインタビューのためのメンバーとして名を連ねているくらいだから、まあこんなものだろう。

「環境感受性(Sensory Processing Sensitivity: SPS)(HSP研究者達によるとHSPはSPSが高いとされる)は世間やマスメディアで大きな人気を得ている」

世間の関心自体が自分らで作り上げたものなのに。

「HSPの専門家育成」

専門家育成の例として、なんとあの「アーロン認定HSPカウンセラー」サイトへのリンクが入れられている。まるでアーロンの資格商法が肯定的に紹介され、なにかとても良いものであるかのごとくだ。

「社会からの需要と研究の間のバランスが取れていないために、人々がHSPを誤解したり被害にあう状況である。科学の社会的責任が人々をネグレクトしてる」

自分らでブームを創り、自分らがエビデンスも妥当性もないニューエイジ概念を世間に売り、発達障害や精神疾患へのスティグマを深め、人々を適切な診断名と支援から遠ざけておいて、誤解も何も。一般の人々に被害を与えているのが自分らであることには蓋をして、HSP流行で被害が生じているという現実を自分らの利に適うよう還元させ、HSP研究が正当化され維持されるシステムが廻り続ける。見事だ。悪い意味で。

科学には人々の興味に応え誤解を正し被害を防ぐ社会的責任があるのに、ネグレクトしてる!だからこそ社会要請に応えHSP研究が発展すべきだ!という方向に問題提起することで、HSP研究発展の一層の必要性を唱え正当化する。そうすることで、その学術領域全体が資金を得やすくなるという側面もあるだろう。「HSPへの関心が世間で高まっているのに研究が追い付いていない。社会の要請に応えるためにHSP研究をやらねば」と研究費申請書に書ける。その世間の関心自体がどのようにして発生したのか、その関心が妥当なものなのか、研究が応えるべきものなのか、学術側が一般の人々にHSP概念を生産販売しその流行をフィードし続けている経緯といった問題には、言及しない。そこに倫理というものはないようだ。

アーロンに続けとばかりに繊細アイデンティティを生産販売するHSP研究者

各種メディアを利用し世間にエビデンスに欠けたアイデンティティ概念を売り利益を得るHSPの「専門家」はアーロンだけではない。

『HSPは預言者か』というタイトルのガーディアン紙の記事。HSPを預言者とするタイトルだけでもお腹いっぱいだが、最大の問題は、専門家が記事の内容をエンドースしていることだろう。記事内では、有名なHSP研究者であるプルース氏が「HSPは自閉症とは異なると思うよ」と根拠も挙げずに述べたり、クリニカルサイコロジストのジェネビーブ・フォン・ロブ氏がHSPの「強み」について語る。

プルース氏のサイトを見ると、HSPはASDやADHDとは異なると主張FAQでもそう答えている。

「感受性の高い人がASDの人のように人混みなどを避ける傾向があるのは過剰な刺激を感じるからです。ASDの人は社交スキルが限られているから人混みを避けます。ASDの特徴は社交が困難であることですが、HSPは人間関係の理解が深く、高い共感性をもっています」

「感受性の高い人はADHDの人のように刺激の強い状況で気が散りやすいけれども、静かで穏やかな環境では特に強い集中力を発揮します。対して、ADHDの人は静かな環境でも集中力に問題を抱えるのです」

HSPについては一貫して能力が高いかのように語るのに、発達障害についてはHSPと対比させて一貫してスティグマを深め蔑むような語りぶりである。さらに、

「感受性の高い人が自閉症やADHDと誤診されるリスクがあるので、感受性の強さと発達障害の明確な区別を確立するために、より多くの研究が必要です」

そして現時点でHSPと発達障害の区別が確立できていないと言う。

疑問が次々と生じる。

誤診されると言うが、HSPと発達障害の区別が確立できていないのに何を以て「誤診」のケースと断定できるのか。発達障害と診断されたならHSPではなく発達障害だと考えればいいのではないか。区別が確立できていないのにHSPと発達障害は異なるという主張をするのもおかしい。より多くのHSP研究が必要? そもそもHSP研究がなければ、発達障害なのにHSPだと思い込んで支援機会を逃すという悲劇もなかったのでは。HSPと発達障害の区別を確立するため? 発達障害をHSPの除外基準にしたいという希望を最初から提示しているっておかしくないか? 研究目的の設定がズレてないか?

そして注意書き。

「感受性の尺度は診断ツールとしては適していないので、ASDやADHDの心配がある人は、専門医の診断を受け、適切かつ専門的な治療を受けることが重要です」

ちなみに同様の注意書きはアーロン氏のHSPサイトにもある。

The contents of this website and the self-tests it contains are not meant to diagnose or exclude the diagnosis of any condition.

A parent with even a suspicion that something is odd should get a professional evaluation involving several specialists (pediatrician, speech therapist, psychologist, etc.)

障害や疾患のある人達が支援機会を失うリスクのない概念なら、注意書きも不要のはずだが、HSPを信じて適切な医療にかかる機会を逃した人たちから文句を言われたら、「注意書きを読みましたか」「読んだのに受診しなかったのですか」と言い返せる。HSPを信じたために適切な治療の機会が得られなかったのは、ユーザー側に責任転嫁され自己責任となる。散々HSPと障害や疾患とを混同させるような記述や、障害や疾患へのスティグマを高めるかの主張を繰り広げつつ、「障害や疾患の疑いのある人は医療機関へ」という注意書きがそこら中に散りばめていれば、HSP概念に取り込まれることで適切な支援を受ける機会を逃した人々からの訴訟回避にも役立つだろう。

ガーディアン紙のHSP記事に登場するもうひとりの専門家であるクリニカルサイコロジストのジェネビーブ・フォン・ロブ氏は「HSPはギフトであり、治療対象ではない」と語っている。記事でもHSP/HSC専門クリニカルサイコロジストとして活動していることが示されているが、アーロン認定HSPカウンセラーリストに載っているのだと自らのウェブサイトで宣伝していた。

そしてHSCを育てる親御さんのためのコーチング商品を販売している。

2005年には、繊細カテゴリーの数はHSPと非HSPからみっつに増やされ、それらには「オーキッド(蘭)」、「チューリップ」、「タンポポ」(Boyce & Ellis, 2005) というキャッチーな名がつけられた。適切な環境にあれば美しく開花する蘭のような繊細な人、雑草のようにどんな環境でも育つタンポポのような人、それらの中間がチューリップと言う。そしてやはり一般書が出版された (Boyce, 2019)。

プルース氏の業績を見たところ、環境感受性の研究者であり発達障害の研究者ではなかった。調べている過程で、この研究者自身が「オーキッド」自認であることを知った。アーロン氏も自身をHSPだと言っているし、他にも自らをHSPと主張するHSP研究者は多い。もしかしたら全員かもしれない。

そして最大の矛盾。SPSは正規分布すると言いつつカットオフ値を設けカテゴリカルに扱う (Aron et al., 2012; Aron & Aron, 1997; Lionetti et al., 2018)。これはHSP研究界の矛盾 として知られている (Hellwig & Roth, 2021)。

そういった矛盾も学術の世界でやっているだけなら一般社会に害は生じないので構わない。だが、敏感さのカテゴリーをキャッチーなアイデンティティ・ラベリングに仕上げ、一般に販売するとなると、話は別である。研究倫理がイカれている。Child/PersonをつけHSC/HSPとしたり、オーキッド等の花のメタファーを使ったりといった方法でカッコイイ響きのアイデンティティ・ラベルとするのは、一般に売れるようにする以外の合理性がない。オーキッド・チューリップ・タンポポ だって?

仮に研究上みっつのカテゴリーに分ける必要性が生じたなら、ラベリングはhigh, medium, lowで事足りるはずだ。

「オーキッド」も、HSP概念の成功に続こうと専門家が一般書、講演等を駆使し世界中に流行を起こし専門家に成功と利益をもたらしたこうと売り出されたアイデンティティ概念なのだろう。HSP概念と共に新たな「繊細な人」概念を広めるマスメディア記事にHSP研究者などの専門家が登場し肯定する。HSPの専門家がHSPはこんな人達、HSCはこんな子達、オーキッドは…、と類型論化して語る。

たとえば、『お子さんはオーキッド?、チューリップ?、それともタンポポ?:オーキッドのように人一倍敏感な子は適切な環境にあれば成功すると専門家は述べる』というニューヨークタイムズ紙の記事。これはオーキッド・ラベリングのあからさまな宣伝記事にしか見えない。

記事にはこのお花メタファーのアイデンティティ・ラベリングを肯定的に語る複数の専門家が登場する。最初に登場するのは先ほど紹介した記事にも登場したプルース氏。次にクーパー氏。クーパー氏は繊細ながらも刺激を求めるという「HSS系HSP」の一般書の著者として有名であり、HSS系HSPに関するアーロンとの共著論文(2023)もある。

記事では、HSPを知らない教師たちは高い感受性を社交恐怖、ASD、ADHDと間違えてしまうと主張している。しかし、「間違えている」といかにして判断するのかには触れられていない。そもそもHSP概念自体が曖昧ないのに、間違えるも何もない。クーパー氏はそのような発言ができるほど不安障害や発達障害に詳しいのだろうか。そこで彼の業績を調べた。複数のHSP一般書、わずかな数のHSP関連論文地味目のジャーナルに載っているほか、ギフテッド界の似非科学で有名なダブロウスキーの唱えるギフテッド界に広まるエビデンスに欠けた理論のPositive DisintegrationとHSPとの関連についてプレゼンしたらしい。不安障害や発達障害に関する研究をやっている様子はなかった。不安障害や発達障害に詳しくないのに、「不安障害や発達障害と間違われる繊細な子どもたちがいる」なんてどうしたら言えるのだろう。

ひとつ確かなのは、お子さんが既に診断を得ていたり、障害があるのではと不安になっている親御さんの多くは、「無知な教師たちは感受性の高い子どもたち(HSC)を社交恐怖、ASD、ADHDと間違える」と「専門家」が伝えるこの記事を読めば、我が子もHSCかもしれないと信じたくなるのも無理はないということだ。

クーパー氏のウェブサイトを見つけた。

クーパー氏は他のHSP研究者と共にアーロン氏のHSP映画にも出演したという。映画を放映すれば儲かるだけではなくHSP概念もさらに広く宣伝できるだろう。クーパー氏のサイトによると、Dr.クーパーに講演を依頼してHSPのお話を聴きましょうということだった。

ニューヨークタイムズの記事で語るもうひとりの専門家オーロフ氏は、精神科医である。「感受性の高い子たちは不安な状況から離してあげればいいだけだ。感受性の高い子供たちの特性を抗うつ剤や抗不安剤で抑圧せずに、子供たちの美しい能力を受け入れる手助けをしましょう」と言っている。アーロン氏の本でも抗うつ剤はHSPの能力を奪ってしまう、薬を飲まないほうがいいと一章まるごと使って力説しているので驚かないが、不安に苦しむ子を不安対象から引き離してばかりで薬も否定し認知行動療法も実施しないなら、それは悪手の反精神医学であり、不安は悪化するだけだろう。

オーロフ氏のサイトを見つけた。

オーロフ氏はエンパスのためのカウンセリングとかそういったビジネスをやっている。エンパス関連一般書も出しているし、医療者のためのエンパストレーニングとか、もちろん講演依頼も受付中ということだ。

こんなふうで、次々にHSP概念と利害関係にある専門家とマスメディアが手を取り合いHSPやオーキッドを広める。マスコミ側としては専門家が喜んで語りお墨つきを与えてくれるし、敏感なのは脆弱性だけではなく能力なのだと読者受けする逆張りをやれるのだから、マスコミ側としては飛びつかない手はない。専門家側としても自分らの商売が潤い、アカデミアでの領域の位置を拡大させられる。

このようにマスメディアと専門家が協働でHSP概念を広めている例は英語で検索すれば多数見つかる。直近では繊細な親であるオーキッドの子育てについて とか繊細な子どもたち(Highly Sensitive Child: HSC) についてとか。HSP概念に利害のある研究者とマスメディアの関わりは終わりそうもなく、発達障害や精神疾患の人々を惑わすアイデンティティ概念の流行も終わりそうもない。

日本でもHSP概念がマスメディアと専門家との協働で広められている例は多数あり同様の状況にある。先月、NHKがHSP番組を全国放映し、HSP本の著者や監修者となっている複数の専門家(社会不安障害へのCBTで有名な精神科医とHSP研究者)が全国にHSP概念を肯定的に伝えた。

アーロンに続き、研究者、精神科医、クリニカルサイコロジストといった専門家が次々にマスメディア等を通してHSPを広める。それは専門家とマスメディア双方の目的を達成する仕組みとしては成功しているのだろう。

科学と非科学の境界

英語圏や日本と同様のHSP流行は、私が調べた限りでも、ドイツ、スウェーデン、オランダ、韓国、中国、スペイン語圏で起こっている。

HSPを科学的に実証された確かなものと伝えるHSP本が世界中で各国語に翻訳され、マスコミが飛びつき心理学者、精神科医、クリニカルサイコロジストといった「専門家」と組んだサイエンス・コミュニケーションを装う記事が量産され信憑性のあるものとして一般に広められ、それに伴いHSPをトピックとする講演、テレビ番組、書籍がさらに増え、「専門家」が様々な利益を獲得し、無資格の非専門家も各種HSPビジネスに参入し、世界中で「発達障害や精神疾患ではなくHSP」と信じる人々が増え…

となると、さすがに疑問を抱く人も増えてくる。

「HSPは心理学の概念っていうけど、怪しい研究やってんな」

HSP研究への不信が一般にも芽生え、英語圏を中心に発達障害や精神疾患の当事者によるアーロンをはじめとするHSP研究者に対する批判が高まる中、日本ではHSP原理主義と呼べるような現象が生じた。HSP概念が巷に広まり人々に害を及ぼしているがそれはHSP研究とは関係がなく、清く正しいHSP研究とHSP概念が存在するのにHSPブームのせいで風評被害を被っている…というふうな印象が広まった。たとえば、この記事

HSPブームとはアーロン(学術側)が仕掛け、続くHSP専門家が共に一般に広めた結果だが、そのことについては全く言及されない。HSPがどのように世界に広められたかの背景知識なくこの記事だけを読んだ人は、学術外の自称カウンセラー等の素人ビジネス集団が学問の世界で研究されているHSPの名称だけを借り勝手にニューエイジ概念化したのだと解釈するだろう。記事本文では日本でのポップHSPのルーツとして、武田さんの”自己啓発本がマスメディアに取り上げられた”ことがハイライトされ、”上述のように、日本で広まったHSPは、自己啓発本をルーツにしている”として、武田さんの本がルーツと位置付けられている。

表2に列挙されているポップHSPの特徴。それらの出所がアーロンだという事実が明記されていないために、武田さんをはじめとする日本人非専門家が独自の歪め方をして広めているかの印象を与える。実際には武田さんも他のHSPビジネスもHSPのポジティブ面を強調したからこそ売れたのだが、ポップ心理学のHSP概念は全体的にネガティブとされている。また、学術HSPは正規分布なのに対してポップHSPはHSPと非HSPのカテゴリカル分類だとされているが、正規分布と言いつつカテゴリカルに扱っていることは学術HSP側の矛盾として知られていることだ (Hellwig & Roth, 2021)。記事のみからの情報に頼れば、学術が正規分布としたのに日本の俗流の人々が勝手にHSPと非HSPというカテゴリカルな対立概念としたかの印象を得るが、実際それはアーロンが始めたことである。さらに、○○型HSPのようなタイプ分けもアーロンが提唱したものであり、最近ではアーロン夫妻を共著に含むツッコミどころ満載の○○型HSP関連論文 (Acevedo et al., 2023)  が発表されている。これでHSS型HSPなどの細分化されたアイデンティ・ラベルもますます「強固な学術的基盤がある」ものとして売られ続けるだろう。

この記事を読んで思い出したのが、科学と非科学の境界論で有名なジーリンのバウンダリーワーク (Gieryn, 1983) である。ジーリンは、科学と非科学を分けるのは再現性や反証可能性と言われるが、境界は曖昧であり、現実社会においてその境界が引かれるとき境界線を引こうとする権力側の都合やイデオロギーに沿うところに線が引かれがちであると論じた。

When the goal is monopolization of professional authority and resources, boundary-work excludes rivals from within by defining them as outsiders with labels such as “psuedo”, “deviant”, or “amateur” … when the goal is protection of autonomy over professional activities, boundary-work excepmts members from responsibility for consequences of their work by putting the blame on scapegoats from outside.

Gieryn (1983, p. 792)

プロとしての活動独占が目的なら、ライバルを科学の外側に位置づけ、「エセ」「逸脱」「素人」などのラベル付けを行う。活動の妨げから自由を維持するなどプロとしての自律性保護が目的なら、バウンダリーワークを実施し境界線を引き、外部に位置づけたスケープゴートに妨げの責任を負わせることで、内部メンバーを自分らの仕事の結果に対する責任から免除する。

再現性も反証可能性もない学術HSP概念自体に科学的基盤が欠けている。HSP研究者達がHSPブームを仕掛け続けている。そういった背景が伏せられたまま、HSP概念のさらなるオカルト化を批判しても、マスメディアや一般のHSPカウンセラーへの責任転嫁による科学と非科学の境界設定を許容するなら、障害者搾取を可能とする構造はますます強化されるだろう。HSP流行の責任はマスメディアやHSPカウンセラーが単独で負うべきものではないだろう。学術側が流行を仕掛けマスメディアとの協働で拡大・維持されていることに蓋をしたまま批判しても、HSP研究側がHSP流行をフィードし続けるのをやめなければ、発達障害や精神疾患の人々がHSP概念に騙されスティグマを負わされ搾取される状況は変わらないだろう。


最後に大切なことを強調したい。

ここで私がHSP研究を批判するのは、エビデンスに乏しいからでも、再現性がないからでも、反証可能性がないからでも、構成概念まわりがトートロジーに陥っているからでもない。そのような状況の学術研究トピックはたくさんある。そのような学術領域に学問の自由が認められ批判されないのに、HSP研究はダメなのはなぜか。それは、HSP研究が倫理を侵しているからだ。

感受性の研究を行う自由はある。ただし、その自由は倫理を守り一般の人々に害を及ぼさない範囲に限る。HSP研究はCOIすら開示されずに発表され、人々を惑わせ障害者に害をもたらした。専門家による障害者搾取を可能とする概念が、販売戦略を駆使し今もなお広められている。倫理的に許されることではない。

最も弱い立場にある人々に対する専門家側の不正義の行使とそれを可能とする権力構造の維持を、私は不安障害の当事者として決して許容しない。

 

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Mental health blogger, researcher, social anxiety/selective mutism survivor.