Be authentic

「真の自分であれ」とか「自分らしくあれ」とはSADからの回復関連の文脈でよく聞くアドバイスだが、そのような文脈で語られる真の自己とは何を指すのだろうと私は度々疑問に思う。

そもそも自己は常に変容しつつあるのだから、特定の自分のあり方を本当の自分と固定するのもおかしなことだ。

なら、真の自分というものを想定するのがおかしいのでは、と疑問を抱く。そのことについて長らく考えていたが、ようやくわかった気がする。そもそも、真の自分を想定しろなどということではないのだ。

“Be authentic” “Be yourself”という表現がSADの文脈で放たれるのは、SADの人が「自分以外の何か」になろうとしている場面だ。その自分以外の何かとは、想像上の存在であり、それは大抵において非現実的なレベルの超人であり、自分は否定されるべき存在であるという信念と自分を自分以上に見せたいという焦りから生まれ、SADの人を振り回し理不尽な不安に陥れる。

実際には、自分以外の何かにならないでいるほうが、人から好かれるし信用も得られるのに。

だから「真の自分」とは、余計な思いに振り回されない状態なのだろう。しっかりやらなければならない、自分を大きく見せなければならない、といった不安から解放されている状態。真の自分と呼ばれるものの実態は常に変容するのだけれど、不安に自分のあり方を操られていないという点で一定の存在なのだ。

 

 

投稿者: administrator

Mental health blogger, researcher, social anxiety/selective mutism survivor.