私の過去は社会不安障害(SAD)特有の様々な悪循環で満ちていた
と以前書いたが、社会不安障害の悪循環というやつは極めて強力である。
悪循環が生じたと気づく前に自動的に嵌っている。特定のトリガーに対する反応がひとつしかなくて、例えば「電話」に不安がある場合、
- 電話が鳴る(トリガー)⇒ダメだ、喋れない、電話を取らず無視しようと思う(特定の反応)
- 電話をかけねばならない状況(トリガー)⇒恐ろしいので先延ばし(特定の反応)
- 人前で喋らねばならない状況(トリガー)⇒また不安発作が起きるに違いない(特定の反応)
というふうに、トリガーに対する決まった反応へと流れていく。別の反応へ向かわない。もちろん、現実における不安場面は毎回微妙に異なるためトリガーも微妙に異なる様相を呈する。が、多少トリガーが異なっても、反応は変わらない。
- 震えて全然喋れなかった
- 震えつつも意図は伝えられた
どちらでも、いつもの「大失敗だ!」という悲劇的ルートへ向かう。
毎回、まっすぐ、もれなく、悪循環ルートを行く。レールの上を自動走行する電車のように。
そこには選択肢がない。
そもそも私はそこに選択肢が生じ得るなど思ってもみなかった。
それでは悪循環から抜けられないのは当然だ。と今では思うけど、SADが最悪の状態の頃は、この鎖の連なりに選択肢やら別の反応やらが入り込む余地があるなんて考えたことすらなかった。
パニックを起こす状況に身を置くと、アレルギー発作のごとく必然的にパニックが引き起こされる
と思っていてそこに疑いすら抱かなかった。
だって、実際にそうだと思っていたから。これまでの経験からして、不安場面に身を置くと必ず不安発作が起こったと思っていたから。「思っていたから」とつけたのは、実は結構うまく話せたことは多々あったのだが、そういう経験は記憶から削除されて、私の意識の中ではなかったことにされていたので。悪循環は成功体験の強力な“delete”キーとしても機能するのだ。
トリガーが導く結果に選択肢があるかもとも、選択肢が生じる余地があるなどとも思わなかった。そこに複数の選択肢があって、それら選択肢の中から私が反応と行動を選び取れるなどと夢にも思わなかった。ひとつの悲劇的な結果が必ず導かれると信じて疑わなかった。そんなふうに、お馴染みの根付いた思考と行動パターンに陥っていた。
“選択肢を増やして悪循環から意識を逸らす” の続きを読む