「愛しているなら自閉症だなんて思わないでしょう」:発達障害や精神疾患に対する差別とHSP概念の関係①

前回の記事では、Highly Sensitive Person (HSP)と呼ばれるニューエイジ系アイデンティティ概念が世界的に広まった背景として、提唱した心理学者であるアーロン氏をはじめとする多くの専門家が大々的に一般に宣伝することでHSPブームを仕掛けた経緯があったと指摘した。

今回の記事では、アーロン氏の広めたHSP概念が発達障害や精神疾患を蔑む論調を繰り返すことで当事者や保護者を顧客化する戦略を見ていくために、主にアーロン認定セラピストになるための教科書内容について語るつもりだったのだが、書いていたら大変な量になってしまったので、記事をふたつに分けることにした。

今回はアーロン氏が自らのHSPサイトにおいてASDに対して差別的な発言を繰り返し、当事者からの批判が高まると「私はASDの専門ではなくASDのことはよく知らないんで」と開き直り、発達障害に無知であるにもかかわらずASDとHSPの別診断ができると主張していたという事実を自ら露呈してしまった事件について記述する。 “「愛しているなら自閉症だなんて思わないでしょう」:発達障害や精神疾患に対する差別とHSP概念の関係①” の続きを読む

HSPの流行を仕掛けたのは誰か

Highly Sensitive Person (HSP)と呼ばれるニューエイジ系アイデンティティ概念は、発達障害や精神疾患へのスティグマを強め、発達障害や精神疾患のある世界中の人々を惑わせ、搾取し、効果的な支援や治療につながる妨げとなっている。

HSP概念がそのような害を及ぼすに至った経緯として、提唱した心理学者をはじめとする専門家が

①HSP流行を主導した

②発達障害や精神疾患を蔑む論調を維持している

という側面はかなり大きいと思う。どちらも倫理的問題であり、このようなことが慣習化していくのを防ぐために注意喚起していく必要がある。

両方をひとつの記事で語るとものすごい量になるので、今回の記事は①の経緯を示し、②は次回記事のトピックとする。

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ハリー王子が公に語った精神的苦悩:精神の病、ナラティブ、スティグマと社会変革

先日(2017年4月16日)、英国のハリー王子がデイリー・テレグラフ紙とのインタビューにおいて自身が精神的な病に苦しんでいたことを語った。

30分におよぶインタビューは上記テレグラフ紙のリンク先で聞くことができる。インタビューにおいて、ハリー王子は社会的場面において fight-or-flight response(闘うか逃げるか反応 / 闘争・逃走反応)を起こすという不安症状に悩まされていたことを明かしている。同時期、自身からこみ上げてくる攻撃性に苦しんだこと、そこで兄であるウィリアム王子が専門的サポートを受けるようハリー王子に促したこと、カウンセリングを受けて回復へ向かったことが語られていた。

私がハリー王子のインタビューについて書きたいと思った主な理由は、彼が社会不安障害の症状を思わせる闘うか逃げるか反応について語っていたからでも、以前から彼がマスコミに社交不安的症状を明かしていたからでもない。彼の語りには精神を病んだ者が回復へと歩み始めるときに自らの言葉で語るあの独特の流れがあった。そこに社会変革へ向けた決意があった。

そのナラティブの構造を簡略にまとめると、きっかけとなる悲劇、まっすぐに向き合えば圧倒されてしまうほど強大な感情に対する体験の回避、感情を殺して生きてきた年月を経て家族に打ち明け治療を受け始める転換点、そして抱えつつも回復へと向かう未来への決意からなっていた。言葉には自身の体験と正面から向き合おうとする勇気、そして正直さに満ちていた。何よりも私が心を打たれたのは、個人的な理由からであり、それは彼の言葉が私自身の闘病経験と大きく重なるのを感じたからだ。

彼の話が聴く人の個別の異なる体験との重なりを可能とするのは、診断名や疾患名を一度も出さずに語ったことも関係しているだろう。一般に日常で使われる anxiety(不安)や aggression(攻撃性)といった単語でその症状を、自分の言葉でその「感じ」を語ったからこそ、多くの人々の体験と重なったのだと思う。

病んだ経験を語るのは難しい。

病を語るとき人はその病名に頼りがちであり、その病名への依存のせいで語れば語るほど本来語とうとしていたその病の経験の個別性を失い、病名という平たい板の下で自分の経験を不当に一般化してしまう。

ハリー王子は今回自分の言葉で個人的経験を語った。それ故に多くの人々の経験と重なり合い人々の感情を共起させた。 “ハリー王子が公に語った精神的苦悩:精神の病、ナラティブ、スティグマと社会変革” の続きを読む

正常と異常の狭間で

「あなたは普通のまともな人です。性格とか、個性のうちで、せいぜいちょっとした不調でしょう。精神疾患などではありませんよ」

と言われるのは相変わらずだが、そう言われるときの自分の反応は以前とはすっかり変わった。 “正常と異常の狭間で” の続きを読む

病んだ自分を差別する自己と向き合う

いまだこの疾患に対する一般的な認識というものは無理解に満ちているように思う。そして私がそうであったのだが、社会不安障害を抱える当事者自身が自分の疾患に対して偏見を抱いてしまいがちではと思う。 “病んだ自分を差別する自己と向き合う” の続きを読む

普通に精神疾患のお話ができるように

自分が抱く社会不安障害への考え方が変容してからは、一般の人が抱く社会不安障害についてのイメージってどうなんだろうと思うようになった。

きっと、ほとんどの人がそんな言葉自体知らないか、聞いたことがあっても、シャイな人達が病気にされている程度の認識なのかもしれない。

または社会不安障害も含めたメンタルの病気に対して偏見を持っている人も多いかもしれない。 “普通に精神疾患のお話ができるように” の続きを読む

社会不安障害への一般的なイメージを変えていく

前回までの記事で自分と自分の病(社会不安障害)との関係を変えていったことを書いた。

社会不安障害であることには、良いこと(変えなくてもよい真面目である等の特性)も悪いこともあり、悪いことのほうは認知行動療法などで無害化していける。

自分の病を知ることにより自分の病との関係を変えていった。 “社会不安障害への一般的なイメージを変えていく” の続きを読む