前回までの記事で自分と自分の病(社会不安障害)との関係を変えていったことを書いた。
社会不安障害であることには、良いこと(変えなくてもよい真面目である等の特性)も悪いこともあり、悪いことのほうは認知行動療法などで無害化していける。
自分の病を知ることにより自分の病との関係を変えていった。
けど、社会の側はどうだろう。社会不安障害という疾患を聞いたことすらなかったり、精神疾患に悪いイメージをもっていたりという人たちのほうが多いのではと思う。
私としては、社会不安障害についてのイメージアップに努めることでその社会的価値を上げていきたい。
ところで、私の長年住むオーストラリアはながーい白豪主義の歴史があった。80年代まではアジア人や先住民族などはかなり差別を受けていた。
この20年くらいの間、政府が多文化主義の浸透に努めたおかげで、近頃は私のような黄色人種でも生活しやすい。
それでも。
「アジア人っって、なーんかね」などと言うお姉さんの声が研究棟の壁の向こうから聞こえてきたりします。博士課程の学生さんだ。私(アジア人)が壁の裏にいるとは知りません。
その “なーんか” が具体的に示しているもの。
それは、アジア人は “なーんか” 信用できない、とか、人権を軽視しがちだ、とか、列に割り込んでくる、とか、移住してきてもオーストラリア社会に馴染もうとしない、とか、まあ、そんな偏見。
日本人だって言えば平気じゃない? 列に割り込むなんて、日本人はやらないし。
多くの白人にとってアジアはひとつであり、日本も、韓国も、中国も、インドネシアも同じ。実際、世界地図をみせても、どこに日本があるか知っている人はごくわずかだ。
しかも、日本人は一番キライダという怖い輩も多い。
第二次大戦とクジラのことでだ。
それでもそういうのは、“なーんか” 程度のイメージでしかないからさほど心配いらない。
人づてに聞いたことやメディアからの情報。本当のアジア人との現実での接触は少ないのです。
そういった “なーんか” 程度の偏見は人種差別と呼べるほどのものではない。
無知から来るのだ。知らないことは悪いことではない。
オーストラリアに住み始めたころは、偏見の多さに一時あまり人と喋りたくなくなった。けれども時が経つにつれ、ほとんどのケースはマジョリティがアジア人との接触が少ないことに起因していると理解してからは、さほど恐ろしくはなくなった。
おそらく偏見があるんだろうと思われる人と接するときも、いつでも、笑顔であいさつして、丁寧に接するように心がた。
すると、ほとんどの場合笑顔を返してくれるし、仲良くなってくれる。
おや、アジア人でもけっこう普通だね。
現実にアジア人との接触体験を繰り返すと、偏見はだんだん溶けてなくなってくる。友達になれる。
こうやって、少しずつ、社会のアジア人に対する価値観が変わってくる。
社会不安障害について社会に偏見があるとしたら、これも同じようなものではないかと思うのだ。
その症状や実態についてほとんどの人は無知でしょう。
だから「私、社会不安障害でね...」とポジティブな態度で話し始めれば、相手はおや、こんなに普通なことなんだな、まともな人たちも精神の病気になるんだな、と思ってもらえるでしょう。無知や偏見は飛んでいってしまうでしょう。
知ってもらえない、と嘆く前に、真摯に伝えていく姿勢を保ち続けることが大切なのだろう。