なぜ震えてもいいのかについての追記

震えることについての追記。

それは、社会不安障害になって震えている張本人以外の誰一人として、その震えていることに意味を与えることができる人はいないのだ、ということ。

私は学会でプレゼンしたとき、以前に持っていた認知:「周りの人達は震える私を変人だと思っている」 から 逆の認知:「周りの人たちは震える私を見てもランチに何食べようかとか自分のことしか考えてない」 に変換することでなんとかこなした。

けど、この認知は実は不十分なのだ。

そもそも、学会発表の壇上で震えて倒れてしまう発表者を見た人たちがそれをどう思うかなんて、関係ないのだから。

変人! 近寄りたくない。 と思う人もいるかもしれない。

がんばれ~。 と思う人もいるかもしれない。

どうでもいい、はやく飯食いたい。 と無関心の人もいるかもしれない。

変人! と思われるのも、がんばれ~ と思われるのも同様に無効なのだ。どっちだっていいのだ。

なぜか。

それは、震えた本人しか、震えたことの意味を構築できないから。

私が震えた時に誰がどう思おうと関係ない。その人達に私が震えたことの意味を構築するアクセス権はない。私にしかない。他人がどう思うかについて私にはアクセス権がないのと同様、自分の人生へのアクセス権は自分にしかないから。

ただそのまま自分の納得できるような人生を歩んでいけばいい。震えようが震えまいが関係ない。

とっても単純なこと。やっとわかってきた。

作成者: administrator

Mental health blogger, researcher, social anxiety/selective mutism survivor.