自己否定という言葉をブログで何度も使っていながら、しかもそれが私の不安の根源に関わっているにもかかわらず、一度もこの言葉が自分にとってどういう意味なのか定義したことがなかった。
自己否定。それは私にとって劣等感とは異なる。 “自己否定感と劣等感の違い” の続きを読む
自己否定という言葉をブログで何度も使っていながら、しかもそれが私の不安の根源に関わっているにもかかわらず、一度もこの言葉が自分にとってどういう意味なのか定義したことがなかった。
自己否定。それは私にとって劣等感とは異なる。 “自己否定感と劣等感の違い” の続きを読む
震えることについての追記。
それは、社会不安障害になって震えている張本人以外の誰一人として、その震えていることに意味を与えることができる人はいないのだ、ということ。 “なぜ震えてもいいのかについての追記” の続きを読む
社会不安障害の症状までは行かないけど、手に汗を感じることは今でもある。
ちょっと前に銀行で並んでいたときも手に汗を感じたし、つい先週、電話をかけたときもそうだった。共通して待ち時間中に起こる。レジで順番を待つときとか。ただただ場面を待たなければならないような、他のことをして気を紛らわせることが難しいようなそんな待ち時間中にそれは起こる。 “手に汗を感じたら” の続きを読む
一年間、自分の認知と取り組み続けてきて思うことがある。社会不安障害と向き合うということは、まずは自分自身との闘いから始まって、そこから自分の外の世界、対人関係や社会的場面とのバランスのとり方に広げていくということなんだということ。 “人はひとりで生きるのではない” の続きを読む
ほぼ消えていた社会不安障害の症状は、このところ、さらに溶けていくかのようになくなってきた。以前は体が硬直状態になっていたような場面でも、比較的楽にこなすことができる。 “他者との壁” の続きを読む
普段は物事に白黒つけたりしないのに、不安場面になるとすごい速さでこれは失敗だと決めつけてしまう。
社会不安障害の人の多くはおそらく他人に対してもおおらかで、客観的に物事を判断することができるので、「社会不安障害=白黒つけたがる」という図式を提示されても、ピンとこないかもしれない。 “絶対に震えてはいけない→絶対に伝えてみせる” の続きを読む
年の瀬も近づき、自分の人生で最も大きな転換を経たこの一年を振り返ると、とても感慨深い。
なにがそんなに大きな転換だったのか。それは具体的には、ものすごく単純でシンプルに言える。
震えてもいい。 “震えてもいい” の続きを読む
治療のおかげで随分と調子がよくなった。
これは治ったということなのか、克服したということなのか。考えてみるけれど、どちらもあてはまらないように思う。 “治らなくても解決はできる” の続きを読む
学校行事といったものに対しては以前から軽度の不安があった。
100を不安度の満点としたら不安度10くらい。ちょっとした不安対象。 “自然体でいい” の続きを読む