なぜ社会不安障害になってしまったのだろう

社会不安障害 (SAD: Social Anxiety Disorder) の発症は、生物学的要因と環境要因の複雑な相互作用の結果であろうというコンセンサスがある。SAD発病のメカニズムは複雑であり、ひとつの特定の要因が必然的にSADを発病させるというような単純な病因経路があるわけではない。

遺伝等の生物学的要因や、文化、生育環境、過去の心理的トラウマ等の外的(環境)要因が、複雑に絡み合っているところに、偶然と必然とが絶妙な按配に重なり合ったそのとき、

ビンゴ!

と、めでたく発病に至る。そんな感じだ。

おめでとうございます。あなたもですか。私もです。今日も元気に震えてますか?

By: Jessica F.

私の場合も元々の不安体質(生物学的要因)と環境(競争社会でのストレスやトラウマ体験)が相互作用して発症したように思る。

アメリカにいた頃、私のSADの症状は緩んだ。では、アメリカに生まれてずっとアメリカ人として生活していたとしたら、どうだったろうか。私はSADを発病しなかったろうか。

なんとなく、結局は発病していたんじゃないかみたいな気がする。遺伝的ベースもあるし。

なら、遺伝的なものがなかったとしたら、どうだったろう。

さあ、それがなかったとしても、過酷な環境のためにSADを発病してしまったりもありそうだ。

なら、同じ親で、異なる国に生まれていたら、どうだったろう。

あれだけ強烈な親のもとで育てば、それがどこの国であったとしても、SADやその周辺に散らばる障害を発病してしまう可能性はあったかもしれない。

なら、ゆるゆる~っとした生育環境だったとしたら、どうだったろう。

人生、なんらかのアクシデントで精神的トラウマを負い、そこからSADを発病してしまう可能性は、いつでも、誰にでも、あるしだろうから、親が厳しいと発症するとかしないとか、一概には言えないよね。

本人の意識に上らない要因も多くあろう。

まあ、このようにして結局判らないわけで、複雑な相互作用の結果で…と自分を納得させるしかなさそうだ。根拠もなしに、誰が悪い、どの国が悪い、とか言うのはいけない。

その複雑なところは横に置くとして、文化的な影響というものは興味深い。文化や社会が社会不安障害発症の主要因とはとても思えないが、文化といった人の生きる環境が与えるインパクトには興味がある。

私は日本で生活していたときはSADの症状が悪化しがちであったのに、アメリカで生活していたときは、SADの症状が出なかった点についてもう少し考えてみたい。

社会的場面で発言するような場合でも、アメリカにいるときはあまり不安にならない。とちりながら話しても、ある程度の基本ルールを守りながら、相手に敬意を示しつつ、真剣に話せば、それが相手とは反対の意見であっても、「意見を言ってくれてありがとう」と感謝され、受け入れてもらえると知っているからだ。

日本文化は高度に発達していて洗練されている。それは言い換えれば、社交場面も高度に洗練された儀礼的側面を帯びるということでもある。

相手との立場・年齢の違い、場面にふさわしい会話内容といった、会話が発生する場に関連するあらゆる制約を守りつつ発言しなければ、マナー違反となり、発言は無効となる危険がある。

「思うことを述べる」という行為は必ずしも歓迎されない。その場にいる人々の流れに反し、同調圧力をかわしながら、独自の意見を述べるには、高度なスキルを要する。だから不安も高まる。

これは、前々回『シャイなのではありません。社会不安障害なんです』の記事で述べたシャイネスとSADを直接に結び付けてしまう誤解とも関連している。

実際、多くのSAD患者はシャイではなく、人が好きで、自分の意見を人に伝えたいのだ。

本当にシャイであれば、社交は嫌だ。人と話したくない。だから、シャイであることが受け入れられやすく、大人しくしていることが美徳とされる文化でのほうが、生きやすいだろう。

本当はシャイではなくて、社交したくて、話したくてしょうがない。そんなタイプのSADの人達は、意見を述べることが美徳とされ、しかも意見を述べる際の制約や同調圧力が低い社会のほうが、不安を感じる要素が小さく、生きやすい。

ただし、これは私のような性格の者にだけに起こることなのか分からない。

ちなみに、上記の例は対人恐怖症 (TKS) ではないかという意見もあるだろう。TKSは他人を怒らせることへの恐怖と関連しているとされ、日本文化起因の精神疾患とされる一方、SADとのオーバーラップが指摘されていて (Kleinknecht et al. 1997)、TKSとSADを同一の疾患であるとカテゴライズすべきか否かという議論は果てしなく続いている。

けれども、私の場合日本を離れオーストラリアに来てからも、症状の悪化は続いたので、その辺を考えるとどうなるのか、と問われれば、何とも言えない。自分でも分からない。

他方、SAD社会捏造説は強い。特にアメリカの自国文化批判に乗り勢いを増していった。

例えば、ある社会史系学術誌に掲載されている論文 (McDaniel 2001) は、フェミニズムと関連付け、

昔のアメリカでは女性がシャイであり、意見を言わないでいることは美徳とされていたが、1970年代後半までには、女性がシャイであることは男性に抑圧された結果であると見られるようになった。すると、抑圧から解放されるべき、つまりシャイな性格は直すべきだと考えられるようになった。結果として、シャイネスを治療するために、近年では抗鬱剤プロザックやパキシルが使われるまでになった。

抗鬱剤プロザックやパキシルが処方されるのはシャイネスに対してではなくSADに対してであり、SADは主には薬物ではなく認知行動療法で治療するのが世界的には標準であるから、不正確な記述となっている。それに、「アメリカ社会において望ましいとされる性格の変化は、社会運動の歴史と関連している」という論旨を展開する上で、「シャイネスを治療するために近年では抗鬱剤プロザックやパキシルが使われるまでになった」という無関係な精神医療のあり方にまで言及する必要性や妥当性があったのか疑問である。

同時に、このような例は、SAD社会捏造説が社会の広い範囲で根強く信じられている現実を反映しているようにも思う。

SAD文化起因説

SAD文化起因説は社会捏造説と違ってSADを捏造だとか発明された疾患だと考えているのではなく、その名の示す通り、特定の文化に起因するもの、あるいは特定の文化に起因しがちであると考える。(c.f., 文化依存症候群

それにしても、前回『WHO国際調査の謎』の記事でも述べたが、文化とSAD発病との相関を探るという試みは複雑さを極め、何を拠り所とすれば文化の影響が測れるのか、妥当な尺度が存在するのかといった点で、非常に難しいと思う。

文化起因説を標榜するものではないが、文化と社会不安との関係を扱った研究は多くあり、アジア系、アフリカ系は社交不安レベルが高いという結果が主流だ (e.g., Hong & Woody 2007; Norasakkunkit & Kalick 2002, Melka et al. 2010)。

例えば、文化、自己アイデンティティ、社会不安の関係を扱ったものがある (Hong & Woody 2007)。韓国出身の人たちは欧米系のカナダ人と比べて、自己否定的な自己像を抱きがちであり、また、社交不安が大きいという結果が出ている。

他方で、SADをはじめとする不安障害や気分障害はアメリカのような個人主義的社会において発生しやすくアジアでは発生しづらいと考える流れもある。

個人主義的価値観が欧米の社会をバラバラにしてしまったために、欧米諸国の人々は精神の健康を害するようになったのだという見方で、アジアなどの伝統的規範が機能していて協調を重んじる社会においては、欧米諸国で発生しているような精神疾患に罹りづらいとする (social-disintegration hypothesis [Paris 1996])。

これは過去の大小の規模の疫学調査、特に先のWHO国際疫学調査において、アジア諸国は欧米諸国と比べて気分障害の有病率が低いことから導かれた説 (e.g., Hofmann et al. 2010) でもあるが、前回の記事で指摘したようにこれらの疫学調査も十分に信頼できるものとは言えない。

だから、結局のところ、分からない。相反する調査結果が飛び交っているところで、それらを総合してみても、文化とSADの明確な関係は、分からない。

 

文化と性格のミスマッチ説

そこで、文化と性格のミスマッチ説 (personality-cultural clash hypothesis [Caldwell-Harris & Aycicegi 2006])。

この説が面白いのは、文化と精神疾患の関係が一律ではなく複雑さの網にあることを端的に示しているからだ。

文化と精神疾患の因果関係は単純な一枚岩的なものではなく、性格と文化のミスマッチによって生きづらさが起こり、それが精神疾患発病と関連しているのではという仮説だ。

Caldwell-Harris and Aycicegi (2006) の研究はトルコとアメリカとの比較研究であり、個人主義的で自己主張の強い性格の人達と集団主義的で協調を重んじる性格の人達との間でSADを含む各種気分障害の発病に違いがあるかを調べた。

トルコは協調を重んじる文化、アメリカは自己主張を重んじる文化。

結果、トルコでは個人主義的で自己主張の強い性格の人達はそれらの精神疾患を発病しやすく、集団主義的で協調を重んじる性格の人達は発病が少なかった。そしてアメリカではその逆だった。だから、性格と文化のミスマッチが生じるとストレスがたまり、精神疾患を発病しやすくなるのでは――ということを示唆している。

私のSADの症状がアメリカにいたときに和らいだ経験についても、ミスマッチ説なら説明できる。

もちろん、この説についてもはっきりしたことは言えないけれど、特定の文化、あるいは特定の性格が、SADを引き起こすといった単純な考え方がなされがちだったところに、特定の文化や性格といった個別の基準から抜け出し、それらの多様に絡まり合う要因の相互作用と発病との関連に着目したことは、興味深い。こういった新たな着眼点がSADを巡る誤解やステレオタイプを解いていくのではという気がする。

 

SADは普遍だ

そういうわけで、SADを発病したひとりひとりが、独自の個別なSADライフストーリーというものを有していることになる。

不安障害になりがちな体質でも、そうでなくても、発病する人としない人がいる。ストレスの多い社会で生活していても発病する人としない人がいる。生育環境が苛酷であっても、発病する人としない人がいる。男でも女でも発病する。世界中どこの文化にも発病する人がいる。

ところで、近頃、「不安記憶は遺伝する」ことを示唆するエピジェネティックな研究が注目され、それは不安障害者にとっては一瞬びくっとするものではあるけれど、実はグッドニュースなのではないかと思う。

だって、個々人の生きた記憶・経験は遺伝子に影響を及ぼすほどの力があるってことは、これからの生き方次第で、これからの記憶のアップデート次第で、遺伝子にプラスに影響を及ぼしていくほどの変化を及ぼす可能性もあるかもしれない。生命は相互作用により柔軟にその姿を変容させていく。

だから、絶望することはない。

文化環境的にきついものがあったとしても、絶望することはない。

生育環境的に悲惨であったとしても、絶望することはない。

精神はあらゆる可能性に満ちている。

いかなる要因があったとしても、きっと解いていくことができる。

 

References


Caldwell-Harris, C., & Aycicegi, A. (2006). When personality and culture clash: The psychological distress of allocentrics in an individualist culture and idiocentrics in a collectivist culture. Transcult Psychiatry, 43, 331–361.

Foucault, M. (1965). Madness and civilization: A history of insanity in the Age of Reason. New York: Pantheon.

Hofmann, S. G., Anu Asnaani, M. A., & Hinton, D. E. (2010). Cultural aspects in social anxiety and social anxiety disorder. Depression and Anxiety, 27(12), 1117–1127. doi:10.1002/da.20759

Hong, J. J., & Woody, S. R. (2007). Cultural mediators of self-reported social anxiety. Behaviour Research and Therapy, 45(8), 1779–1789. doi:10.1016/j.brat.2007.01.011

Kleinknecht, R. A., Dinnel, D. L., Kleinknecht, E. E., Hiruma, N., & Harada, N. (1997). Cultural factors in social anxiety: A comparison of social phobia symptoms and Taijin Kyofusho. Journal of Anxiety Disorders, 11(2), 157–177. doi:10.1016/S0887-6185(97)00004-2

McDaniel, P. (2001). Shrinking violets and caspar milquetoasts: shyness and herosexuality from the roles of the fifties to the rules of the nineties. Journal of Social History, 34(3), 547.

Melka, S. E., Lancaster, S. L., Adams, L. J., Howarth, E. A., & Rodriguez, B. F. (2010). Social anxiety across ethnicity: A confirmatory factor analysis of the FNE and SAD. Journal of Anxiety Disorders, 24(7), 680–685. doi:10.1016/j.janxdis.2010.04.011

Paris, J. (1996). Social factors in the personality disorders: A biopsychosocial approach to etiology and treatment. New York: Cambridge University Press.

Scheff, T. . (1966). Being mentally ill: A sociological theory. Chicago: Aldine.

投稿者: administrator

Mental health blogger, researcher, social anxiety/selective mutism survivor.