社会不安障害の症状までは行かないけど、手に汗を感じることは今でもある。
ちょっと前に銀行で並んでいたときも手に汗を感じたし、つい先週、電話をかけたときもそうだった。共通して待ち時間中に起こる。レジで順番を待つときとか。ただただ場面を待たなければならないような、他のことをして気を紛らわせることが難しいようなそんな待ち時間中にそれは起こる。
けど、その先には行かない。不安が膨らんで発作を起こしたりすることはない。たぶん、これは心に沸き起こった不安を感じたら、すぐにそこに処置を加えるからだと思う。
先週、私はインターネットプロバイダのカスタマーサービスに電話をかけた。
なんと我が家は2カ月以上前にネット接続不良が起こって以来、ネット接続できていないのだ。
その件に関するプロバイダ側の処置は済んでいるということだ。前回電話したときにプロバイダ側が言うには、「あと2日で繋がります」
ところが2日どころか5日経っても我が家のパソコン画面の右下にはインターネットアクセスなしのびっくりマークが出たままだ。
もう今回こそは本当に繋げてもらわないと。と思っていた。かなり真剣に思っていた。だからかもしれない。電話をかけて、応答メッセージが流れて、スタッフが電話を取るまで待つこと数分。
ここで手に汗を感じた。
えっ、なんで? また不安発作? なんでよ? 再発なの? これまで何だったの? 全然良くなってないの?
そこで、はっとして、思考を止めた。
そんなんじゃあないでしょう。こういう状況じゃ、ちょっとイライラしてきて、手に汗かいたりするよ。誰だって少し緊張するよ。と思考の方向を変えた。
中華系っぽい英語をしゃべるお姉さんが電話に出て、対応してくれた。中国出身の人達は、トーンがすうっと上がったり下がったりする歌うような英語を話すので、だいたいそれがわかる。比べて日本出身の人の英語はトントントンと機関銃のようなリズム。
結局私はきちんとしゃべれた(ちょっと機関銃気味だったかもしれないが)。なんだ、平気じゃん。そう。結構平気なのだ。前回の銀行のときだって、きちんとしゃべれたし。
震えるまで行かない。不安は自動操縦事故を起こす前に止まってくれる。
けれども治療を受ける以前は、こういうふうにはいかなかった。
大抵の場合、手に汗を感じると次には震えが始まっていた。たぶん、今では「震えてもいい」と思っていることもある。震えてはいけないと思っていると震えて、震えてもいいと思っていると震えない。震えてもいいのに震えないのでは、ちょっと残念な気すらする。でも、震えないのはそれだけじゃなくて、確かに私は不安が大きくなる前にそれを止めることができるようになっている。
以前は、膨らむ不安に気づくということがなかった。思考が自動的に流れるとき気づかなかった。
いちど湧き上がった不安は、ただただ、膨らんでいき、その不安の動きに自分の意識が介入することもなければ、不安が膨らみつつあると自覚することもなかった。
以前に電話をかけていて、不安に陥ってしまった時の思考を視覚化してみた。
ぐるぐると廻る不安を影つきで描画するなんて、オタク。悪趣味!
ちがうの。趣味でやってるんじゃないの。オタクなのは認めるけど。別にそれはいいじゃん。
不安を可視化すること。これは、一年近く社会不安障害と向き合い続けた私の経験上、大変効果があると確信を得ているから、あえてやり続けている。さらに手間をかけて可視化していく価値があると思っている。しかもやっていると楽しい。
こうやって一年近く治療日記を書き続け、あれこれとやってみたこと考えたことを記録しては読み返してきたことで、どんなふうに自分の状態が変わってきたのか、何が、具体的にどのように効果があったのかが、少しずつ自分の中で明確になりつつある。
手に汗を感じるとき、不安が心に広がり始めるとき、はっとする。
これができると不安発作が起こらない。小さな不安で終えることができる。
なら、どうして、はっとするようになったのか。以前は止まることなく一気に不安発作に向かってしまっていたのに。
はっとするようになったのは、今では自分の不安の動きのパターンを認識しているので、その動きが心に発生すると、あっ、いけない、またやってる! と察知できるようになっているからだ。
なら、どうして自分の不安の動きのパターンを認識しているのかというと、それは不安発作を起こしてしまった時のあのさらにさらに大きな不安に向かっていく自動思考を目に見える形で記録してきたからだ。
不安は目に見えない。言語化もされない。すごい速さで一気に心を不安の波に呑み込む。すると脳は非常事態が発生したと勘違いしてしまい、身体的症状として不安発作を引き起こす。
目に見えないままにしておいては、いつまでたっても不安の動きを感知することができない。小さな不安の芽が育ち爆発するのを止めるものがない。
赤信号でみんな止まるのは、赤信号の意味を知っているからだ。見たことがあるからその意味を知っている。赤の色がどんな色かも知っている。でも見たことがなければ知り得ない。赤がどんな色かを知らなければ、「赤信号で止まりなさい」なんて言われたって、止まることはできない。「不安になったら不安になるのをやめなさい」なんて傍から一般論を言われたって、うまくいくわけないのも同じこと。
捉え難い不安の動きを知るには、視覚に訴えるようにするしかない。その不安の始まりから終わりまでを、ひとつひとつ、言葉にしていく。ひとつひとつ、しっかりと認識するようにする。
そうすることで、次に不安が起こったとき、あっ、また自動思考が始まってる、とはっとして、「止まれ!」と自分で立ち止まり、不安を自分の手の内に置き対応できるようになる。
これは自分に制御装置を装備するような作業かもしれない。
電気毛布などで、制御装置がきちんと機能しなかったら、どんどん熱くなって火傷してしまう危険がある。そんなことが制御装置のなかったこれまでの自分に起こっていたように思う。止めどなく不安が高まり、心が火傷してしまう。
何度までが快適な温度で、何度からが火傷の危険があるのか。それが分かっていないと、エンジニアだって適切な温度で制御が機能するように適切にプログラミングできない。
同様に、どこまでがパフォーマンスレベルが向上する程度の適度の緊張なのか、どこからが危険な不安なのか、それを本人が理解していないと危険なレベルにまで達した不安を感知できず自分を制御できない。
だから、自動思考で起こる不安を書き出して、どこまでがOKな不安内容で、どこからが危険な不安内容なのか、理解しないと制御できるはずがない。
上に描いた、電話場面で起こるぐるぐる不安思考。外側2列くらいまではぎりぎりOKだと思う:
- 緊張してきた どうしよう
- 震えてしゃべれなくなっちゃうんだろうか
- せっかく電話したのに伝えられない
- なんだってこんな簡単なことすらできないんだろう
ここで、はっとすればOK。気づけば止められる。けどその先、内側2列はどうか:
- 電話なんてかける資格すらないんだ
- 用を済ませる資格なんてない
- もう人間失格だ
- 社会で生きていくための基本的なことすらできない
- 仕事なんてできない
- 死んだほうがましだ
ここまで来たら、大火傷でしょう。徹底的な自己否定。社会的な死。
- 曖昧な捉え難い流れとしてしか認識できていなかった不安をアウトプットしていく。言語化して見えるようにしていく。
- 見えるようになった自分の不安を整理していく。どこからがどう危険なのか認識する。
- 危険になる前の段階でセンサーが働き感知され制御されるようインプットする。
そんなふうにして、自分の精神においても制御装置は機能し得ると思う。
これは漸進的弛緩法などでの身体的な状態のコントロールについても同じことが言えるだろう。漸進的弛緩法を続けることで、体が緊張しているその感覚に対してセンサーのような装置が働くようになってくる。これは体の緊張を何度も意識的に作り出してその緊張した感じをしっかり認識として植え付けていくことで、日常場面で緊張し始めた時に、はっと感知して、力を抜いていけるようにしていく訓練だ。
そういうわけで、これからもさらに不安を視覚化していきたいと思う。上の描画では、不安の渦の外側から二列目あたりで制御するようにインプットしていけばいいのだろうと思う。可視化したことでどのあたりで制御すればいいのかを明確に認識することができる。
不安を弾き出して言葉に置き換えていくのは、最初は違和感がある。なにやってんだろ、みたいに思う。しかもうまく言葉にならなかったりする。けれどもそれは不安というものがそもそも継続して広がっていくような動的な類のものであるためで、ひとつひとつ数えられるような不安の意味のまとまりにきっちりと変換するのは不可能なのだろうと思う。私はだいたいこんな感じかなという調子で視覚化・言語化している。やり続けていると、結構楽しくなってきたりもする。趣味になってきてるのだろうか。そしたら、悪趣味になるのかもしれないけど、楽しいのはいいことに違いないから、まあ、いいか。

ちなみに、手に汗を握りつつ、せっかく電話したのに、我が家はいまだにネットが繋がっていない。回線にバグ発生していてT社にしか直せないんだが、言っているのにいまだに直してくれないと言われてしまった。確かに元国営企業であるT社が独占しているADSL回線はT社にしか修理できない。しかもT社、元国営だけあって働かない。
こういうとき、以前は自分が電話で強く主張することができなかったせいだとか思いがちだったけど、今はそう思わない。私のせいじゃないもん。こんな大規模の怠け企業が私個人の手に負えるわけがない。