私のケースでは行動療法が最大の回復への鍵を担ったと思っている。もちろん、行動と認知を分けるのではなく、行動と認知が相互に作用しあい、新たな認知を根付かせていった。そういうふうにして回復できたと私は思っている。
認知療法が学科としたら、行動療法は技能みたいなものだろうか。
実際に人前で話す練習を徐々に無理なく積んでいくことで、湧き上がる不安はコントロールできること、不安は生じても減少していくことを学習できた。
認知療法から始めて、不安が起こってもコントロールできるはずだという認識に達してから、行動療法(社会不安障害では主にエクスポージャー)を開始した。不安は生じても平気だという認識ができていたので、それまでひどい回避癖であったもののチャレンジできた。
治療を受ける前の認識―つまり、人前で話し始めるやいなや、必ず不安発作が起こるという認識―これを変容させていったのだった。
初回が一番緊張した。不安が起こって、それに巻き込まれてしまいそうになった。
そして以前はすっかり巻き込まれてしまっていたところを、いや、今回はできるはずなのだと自分を奮い立たせて、なんとか続けた。
エクスポージャーを幾度か経て、これは自転車に乗る練習に似てるなあと思いました。
その都度できるようになることは、たったひとつの小さなことであるけれど、積み重ねれば徐々にバランスをとれるようになる。
バランスを崩すと倒れてしまうけれど、少しずつバランスのとり方を学習していき進めるようになる。
そのうち自分が苦手なことを練習中であることを忘れ、進むことに集中できるようになる。自分が不安場面に挑んでいることを忘れ、喋っている内容に集中できるようになる。
これはバランスをとる練習だったのだと理解した。
そして技能をマスターしていくことで認知も再構成されていく。
プロのサイコロジストにつき、適切な方法で練習することで、無理なく上手になっていく。自己流に苦しみながらひたすら努力するというのではなくて。
私は以前から大抵のものは毎日コツコツと努力を重ねればできないことはないと考えていた。
けれども、社会不安障害の治療については、当てはまらないことを知った。これだけは、努力してもダメ。人前に立つと必ず不安が起こり、すべてがダメになってしまう。
「必ず不安発作が起こりすべてが失敗に終わる」そんな絶望的な認識から自由になり、適切な助けを得て無理なく進んでいけば軽快していく。