「普通」を捨て「あり得ない」を目指す:曝露療法

社会不安障害 (SAD) から一定の回復を得た後も、新たなる社会的場面に挑み続けることは、再発を防ぐためだけでなく、新たに再構成された認知を強固なものとし、日常において自分の生活範囲を拡大していくために大切なことだ。

私は現在、様々な場面に以前と異なるスタンスで挑戦することを心がけている。プレゼン等の業務上必要な場面は既にクリアしたので、日常生活に曝露療法を拡大させている。曝露療法 (exposure: エクスポージャー) とは行動療法のひとつであり、SAD治療を車の運転免許取得に喩えると、認知療法は学科、曝露療法は技能。免許を取っても、運転しなければペーパードライバーになってしまう。SAD治療も曝露を続けなければ、社会的ペーパー人間となってしまう。

参考にするために、SADのための曝露療法のやり方を色々と調べた。これが、あり得ない! の連続なのだった。

  • たくさんの人がいる街中で後ろ向きに50メートル歩きなさい。
  • ホテルのフロントで部屋を予約しなさい。その後、すぐに戻り部屋をキャンセルしなさい。「気が変わったから」と言いなさい。
  • レストランへ行き、水を注文しなさい。その後、すぐにレストランを去りなさい。
  • 銀座和光前に立ち、「銀座の和光で待ち合わせなんですけど、どこでしょうか」と通行人に尋ねなさい。または、「銀座のワヒカリはどこですか。あれ、ワヒカリの銀座だったかな」でもよい。

あり得ない。あり得ないよ!

しかし、ここで記憶に引っかかるものがある。

何だ?

そうだ。去年、私は『SADの私があり得ない!と思う状況あれこれ』というタイトルで記事を書いた。

 

SADの私があり得ないヨ、これって!と思う状況あれこれ

 

なるほど。これだ。SADの本質のひとつは。

あり得ない範囲が大き過ぎて、あり得る範囲が小さ過ぎるのだ。そしてあらゆる場面において、あり得ると思われる小さな範囲の的を射ようとするから、緊張する。

私があり得ないと感じることは、実際は、平和な日常の範囲内で発生している事象なのだろう。

他方、とある村の住民の方々は、これは文化の違いであり、私の「あり得る vs あり得ない」範囲は日本人としてOKであると言ってくれている。

 

はてなブックマーク

 

ところが、私にとっては、日本人だって、「あり得ない!」

ニューヨークにいたときのことだ。

「お~い」

遠くから日本語が聞こえてきたので振り向いた。あれ? 誰もいない。

遠くを見ると、70メートルほど離れた地点に日本人熟年夫妻。私が振り向いたのを見て、走ってくる。

なんだ。どうしたんだ? スリにあったのだろうか。パスポートを盗られてしまったのだろうか。領事館に連れていかないといけないかな。

ふたりは私のところまで辿り着くと、こう言った。「自由の女神へはどう行けばいいの?」

私は自由の女神へ向かう船のチケット売り場の場所を教えた。教えながら、思った。

あり得ない。あり得ないよ。自由の女神への行き方を聞くために、遠くを歩く日本人らしき人影に、70メートル先から大声で救助を求め、走ってくるなんて。

 

シドニーのデパートでのことだ。

「小さいの!」

日本語が聞こえてくるので見ると、観光客と見える日本人中年女性がふたり、商品の洋服を手に取り、店員に話している。

「もっと、小さいのがほしいの」

アジア系の店員さんをつかまえて、言い続ける。アジア系といっても、見かけは多少日本人に近くても、普通、英語しか話せない。

「ち! い! さ! い! の!」

もうひとりの日本人女性が、一音節ずつ、ゆっくり、大きな声で、言う。言いながら、両手を開き、そうっと小さく閉じる。

「これが一番小さいサイズなんです」店員さんは英語で言う。通じだのだ。

すごいコミュ力ではないか! 日本語と身振りオンリーでここまで通じるなんて。

だが、店員さんの英語はこのふたりには通じない。

ふたりは相変わらず、日本語と身振り手振りで小さなサイズを持って来させようと頑張る。「これが、一番小さいサイズなんです!」店員さんは、英語で言う。

このやりとりはいつまでも続くかに思えた。私はふたりの日本人女性に見つかる前に身を隠し、逃げた。在留日本人は、このような場面で、日本人観光客に見つかったら最後なのだ。

あり得ない。あり得ないよ。逃げながら、私は激しく圧倒されるのだった。

 

日本人だってあり得ない。

と言えば、日本でこの記事を読んでいるあなたは、「それは海外旅行中という特殊モードにある日本人だから」と思うかもしれない。

しかし、日常モードの日本人は、もっとあり得ない。

朝の整列乗車をまるで当然のように無表情でやってのける。これこそ世界中が「あり得ない!」と叫ぶだろう。

無表情の裏に潜む「座りたい」という個々の欲望が、平等第一を謳うシステムに統制されつつ勢いを増し車内になだれ込み隙間なく満たされると、全てが「正常である」とのコンセンサスのもと、電車は時間通りに発車していく。そんな朝の通勤風景を前に、究極の平等主義が全体主義の様相を帯びるのを感知して戦慄し、駅のホームでパニック発作を起こす私のような人がいれば、「変なの。みんながやっていることなのに。何もかも正常なのに」

あり得ない。海外旅行モードの日本人も、日常モードの日本人も、みんなあり得ない。

日本人だって、オーストラリア人だって、アメリカ人だって、地球人のやることなすこと、みんなあり得ない!

分かっている。それは私が宇宙人であることとイコールであるということ。

私は地球に馴染むために、もう少し頑張らねばならない。

 

さて、曝露療法セルフ実施にあたり、怠りなく準備を整えようと考え(これもSAD的傾向)複数の書籍を読んだ。いずれの書籍においても、場面に挑んでいく際の注意点のひとつに安全保障行動 (safety-seeking behaviors) の放棄が強調されている。

安全保障行動というのは、場面に挑むにあたり不安が生じるのを恐れて、無口になったり、意味もなく笑顔を浮かべたり、震えるのを抑えるために手を抑えたり、会合時に会話を避けるために携帯を見続けたり...といった、場面を無事に終了させるために社会不安障害の者がやる数々の行為のことだ。

安全保障行動をやりながら不安場面に挑む癖がつくとマズイことになる。

なぜマズイのか。それは、特定の場面において、安全のために何らかの行為を施すことで、「この場面は危険ですよ! 今後もこの場面では気をつけましょう!」と脳にシグナルを送ってしまう。すると脳が、不安を感じなくてもいい場面を不安を感じるべき場面であると自動的に認識するよう学習してしまい、特定の場面で生じる不安感が一層根強い強固なものとなるからだ。

なるほど。あの不安が強固になってくる感じ、自分でも思い当たる。

安全保障行動というセーフティネットを網をそこら中に張り巡らさなければ、不安場面に挑めないのはマズイ。

[社会不安障害における安全保障行動の]例としては、カップやペンを持つときに体をぴんと張ることで震えを抑えようとしたり、会話を継続させるために言うセリフを前もって計画する等がある。

(Butler et al., 2010, p. 13)

へえ、セリフまで前もって考えちゃう奴もいるんだ。笑える。と思ったところで、あれ? また記憶に引っかかるものがある。過去のブログ記事を漁ってみると、あった。一年半前のワイナリーへ行った時の記事だった。

 

旅行中に体験した様々な不安場面のこと

 

何だって? 「オイシイネ」としか言わないことに「決めていた」だって?

美味しいかどうかなんて、飲んでみなきゃ分からないじゃないか。そのための、ティスティングじゃないか。

私は一体何をやっていたのだ!

これこそが、まさに安全保障行動であった。

ワイナリーで職員と話すのが不安だから、この不安場面をなんとかこなすために、前もってセリフを考えるという安全保障行動をとったのだ。

それにしても、2013/01/30 記事の明るい文調ときたら...やたらと初々しい。どうやら、本人は不安場面をこなしたことに大満足のようだ。これはイタイ。

まあ、良いとする。やったのなら、良いでしょう。治療初期は安全保障行動をやりながら場面に挑むのもアリだという意見もある。今の私にとって大切なのは、この過去の記述を十分に検証し、今後私がセルフ実施する曝露療法を過去の問題点が改善された改良版発展型へと進化させることだ。

では、この初期型ワイナリー曝露療法は、今後どうあるべきか。

 

...「実はすべておいしいんですけどね」とお兄さんはにやり。

「なら、一番おいしいのを出してくださいよ」

「うちは Shiraz が有名でしてね」とお兄さんはなめらかな口調になめらかな動作をマッチさせてワインを注いでくれる。

私は一口飲み、顔をこわばらせる。

「マズイ! もしかして、一番安いのをくださいましたか? 私、そんなにビンボーに見えますか? このワイナリーで一番高級なものを持ってきてくださいよ!」

 

うん。こんな感じだ。洗練された発展型曝露療法としては申し分なかろう。

2013/01/30 記事によると、ワイナリーに寄る理由は、「常に世界で最高のものに触れるよう努め、最高のものを知り、自らが卓越した仕事をするための一歩とするため...」とある。

それが目的なら、最高級品を持ってこさせることで、目的と行動が一致する。以前は、安全保障行動が目的達成を阻んでいたということだ。こんなふうに、私は幾度ともなく可能性と機会を失ってきたに違いない。安全保障行動とは、人生のポテンシャル破壊兵器のごときではないか。今からでも遅くはない。安全保障行動を放棄して、人生の可能性を拓いていこう。

 

さて、ワイナリーは遠いので、今回の曝露療法は近所でやる。

安全保障行動を放棄するのは初めてであることから、ハードルの低いお店でやってみようと、1ドルショップにターゲットを定めた。

底抜けのチープさが店内を漂っている。イイ感じだ。曝露療法セルフ実施初回の舞台として、ふさわしいことこの上ない。

ということで、なんであの女1ドルショップの写真なんか撮ってんの? と人々が向ける視線をエクスポージャーオードブル(曝露の前菜)のごとく浴びつつ、実験予定現場写真撮影。どうだ、変な奴だろう、参ったか!

 

dollar

 

曝露療法を実施するにあたり、認知行動療法で通常行われるように、実施内容を「行動実験 (behavioral experiments)」として記述していく。これは、不安場面に挑む「前」、「実施中」、さらには挑んだ「後」への流れを客観的に記述することで、認知と行動の相互作用を活性化させ、効果的に学習できるようにするためだ。

 

実験タイトル:1ドルショップにおいて「あり得ない!」を目指す(注1)

 

1.序論:これまでの問題点

多くのSADの人々にとって、苦手なことのひとつであるように、レジで並んで会計を済ますことは、私にとって苦手科目である。

苦手ではあっても、回避することはなかったし、不安発作に襲われたり震えたりという症状が出ることもなかった。それでも、ぼんやりしていると、つい、体が勝手に反応して様々な安全保障行動をとってしまう。

たとえば、

  • カードの暗証番号を頭の中で幾度も唱える。

暗証番号。覚えているけど、いざレジで番号を打ち込む段階になって、頭が真っ白になり、番号をど忘れしてしまうのではないかという不安がある。手に暗証番号を書いてからレジに向かったりしたこともあった。

なぜそんなことをやるのか。

スムーズに支払いができないと、お店の人や後に並んでいる人々に迷惑をかけてしまう。カードを盗んだ不審な者ではと思われてしまうかもしれない。普通の人ではないと思われてしまうかもしれない。それが不安なのだ。

  • 黙々とやる。

とにかく喋ろうとしない。緊張して変なこと言っちゃうかもしれないし、それを考えると黙っているのが最も安全でしょう。

なぜそんなことをやるのか。

奇怪な言動により、お店の人に嫌な思いをさせてはいけないと思う。それにお喋りに時間を費やしてしまったら、お店の人や後に並んでいる人々に迷惑をかけてしまう。変なことを言って、普通の人ではないと思われてしまうかもしれない。それが不安なのだ。

  • 無駄なく動く。

素早くやらなくちゃと常に思っている。お財布は手に持ってからレジに向かう。支払いのときにコインを落としたり、のろのろ動いたりしてはいけないと思う。

なぜそんなことをやるのか。

動きが遅ければ、お店の人や後に並んでいる人々に迷惑をかけてしまう。ぎこちなければ、普通の人ではないと思われるかもしれない。それが不安なのだ。

 

なるほど。こう書き出してみると、不安思考と安全保障行動の関係が明らかになってくる。つまり、

安全保障行動をやらなければ、「人々に迷惑をかけ」、「普通の人ではないと思われる」、それが不安なんだね。幼少時から、常に私は普通の人々とは異なっていて、そのために生きていてはいけないような、存在していてはいけないような感覚が根付いたので、人に迷惑をかける可能性を生じさせたり、普通の人ではないと思われてしまうのが、怖いんだ。

それは、まあ、仕方がない。認めた上で、今後、自ら体を張って、これらの不安が妥当であるかを検証する反証実験を行うことで、自らの認知に働きかけていこうではないか。

ここで、実験前(以前)の思考・行動サイクルを描いておく。これは不安が増強化されるサイクルだ。

 

行動実験前の思考

(Adapted from Figure 6.5 Old system, new sytem in Butler et al., 2010, p. 122 )

 

今回の実験では、私がこれまで執拗に行ってきた安全保障行動が本当に必要であるのか、その効果を検証していく。

 

2.仮説:これまでの知見

レジでの支払い場面において、無口にしていたり、無駄なく行動する等の安全保障行動をとることで、普通の人のように場面を滞りなく進行させることができる。

仮説の確信度:70%

 

3.代替仮説:新たに検証すべき仮説

安全保障行動は不要であるばかりでなく、不安を増強させる。

代替仮説の確信度:50%

 

4.仮説検証方法

これまでとってきた安全保障行動を完全に放棄してレジでの支払いに挑むことで、本当に困ったことが起きるのか、生じる現象を観察する。

ここで、検証方法上、ふたつの問題点が生じる。

ひとつは、実験中の私に安全保障行動が完全に放棄できるか定かではないことだ。この期に及んで、私には自信がない。そこで私は、「普通を目指す」という普段の思考を反転させ、「あり得ないを目指す」ことにした。私の固執してきた安全保障行動が「普通を目指す」という目的達成のために行われるのなら、「普通を目指す」を放棄し、「あり得ないを目指す」に置き換えることで、安全保障行動は無効化される。すなわち、「あり得ないを目指す」ことで安全保障行動の放棄がスムーズに実現されるのだ。

具体的に、「あり得ないを目指す」ための行為として、

  • わざと誤った暗証番号を入れる
  • 変な発言をする

等を実行する。ここで、「変な発言」についてはあえて具体化しない。セリフを前もって決めることは安全保障行動に繋がる危険性があるので、変な発言はアドリブで行う。

ふたつ目は、私のやる気の問題だ。どうも、アホらしいような気がして、やる気がでない。実験と称してみたところで、ああ、また実験かよ、幾度繰り返しても新たなる知見となるような発見はないのでは...

うんざりしてくる。

そこで、私は自らの士気を高めるために、得意科目である逞しい空想癖の力を借りることとした。具体的には、私は今回の実験を、地球人への逆襲と捉えることにした。

地球人ったら、ひどいじゃないか。地球に馴染まない宇宙人の私に、毎日のように「あり得ない!」攻撃をかけ委縮させる。これ以上、耐え忍ぶのはイヤだ!

チープ感あふれるあの1ドルショップこそ、チープを飽くことなく追い求める地球人のシンボル。今こそ逆襲のときだ。あのチープな店にプチテロルとして忍び込み、「あり得ない!」攻撃で逆襲するのだ。そうだ、そうだ、そうしよう。

 

alien

 

5.実験結果

実験中の1ドルショップはセール中で底なしのチープぶりであった。チープな日用品などを買い物かごに詰め、いざレジへと出陣。

普段より混んでいたため、レジには人が並んでいた。ようやく私の番が回ってきた。並んでいる最中も、自分の番が来た時も、不安はなかった。

レジ担当のお姉さんは、高校生のバイトさんのようだ。地球人とはいえ、相手は子供だ。怯むことはない。

お姉さんは笑顔で品物をスキャンしていく。さて、何と言おう。変なこと言わなきゃ。

と考えているうちに会計となる。

私は実験計画通り、誤った暗証番号を入力する。(注2)と同時に、やだ、なんだか、楽しい。どうしよう。いたずらっ子はいつもこんなに楽しいのかな。

なにしろ暗証番号が異なっているので、なかなかプロセスされない。やった。やった。どうだ。参ったか。

と勝ち誇った気分で見たその瞬間、なんとお姉さんはカード決済端末機に向かって、楽しそうに歌い始めたのだ。

「びびでばびでぶ♪」歌いながら、ペンで端末機を軽やかにコンコンと叩いている。

ああ、そうか。端末のプロセス速度をアップさせるためのおまじないか...と納得すると同時に、あり得ない、あり得ないよ!

すると、端末機からペーパーがするすると出てくる。ああ、いけない、私のほうが圧倒されてしまう。敵は思ったより手強いようだ。何か変なことを言わねば。

「すごい! おまじないが効いたね」と言ってみる。いや、これじゃ、あまり変ではない...

すると、「イエーイ!」とお姉さん。「あれ、リジェクトされたみたい!」

「それは、私がブラックリストに載ってるからかな」と言ってみる。かなり変なことを言っていると思うのだが、これでイケるだろうか。

すると、お姉さん、「キャハハハハ!」と大笑い。なんだ、なんだ、楽しいか? 地球人ってほんと分からない。

とりあえず、もういちど番号を入力してあげる。今度は正しい番号を入れてあげた。

「ああ...いい匂い。おなか減ったぁ」

お姉さんは、そう言って、子供がひもじさを訴えるような無邪気な眼差しを私に向ける。

近くのフードコートでインドカレーを煮るチープな匂いが、チープな店内に漂っているのだ。なんてこった。あり得ない。

実験が崩れ始める。どうしよう。一体どうしたら、「あり得ない!」と思ってもらえるんだろう。

「噴水にシャンプー」とか言ってた人や、「ち い さ い の!」と日本語で続けた人達の姿が、私の記憶の中で光を放ち始め、偉大な高みに達した仙人のように見えてくる。努力を続ければあの人達のようになれるのだろうか。そうだった。あの方々は達人であった。

いや、と士気を奮い起す。他の人々にできることは、きっと私にだってできる。諦めてはいけない。がんばれ、負けるな、プチテロル。

「うん、スパイシーで美味しそうな匂いだぁ」と言ったが、いや、これでは全然普通ではないか、と反省する。「マネージャーにさ、カレーの匂いがしてきたら、トリプルタイムにしろって言いなよ」

トリプルタイムとは基本時給3倍額のことだ。オーストラリアでは、日曜に働くとダブルタイムといって、基本時給2倍額となる。平日の基本時給が10ドルであれば、日曜日8時間働けば160ドルもらえる。普段皆が休んでいる日に働かせて同じ時給では、労働者の権利が守られないからだ。それで、みんな効率よく稼げる日曜に働きたがる。

「美味しそうな匂いに囲まれて働くなんて、つらいじゃん。3倍額もらわなきゃ、やってられないじゃん!」言ってやった。どうだ。これは変だろう。あり得ない!って思うだろう。

するとお姉さんは目を輝かせて、「それ、いい!」とゲラゲラ笑い始める。

さらには、後ろに並んで待っていた中年男性が乗り出してきて、「トリプルタイムが始まったら、俺と替ってよ」。後ろで並んでいる人達も、それは good idea みたいなことを口々に言い喜んでいる。

なんてこった。カレーの匂いがしたら3倍もらっちゃおうなどという不真面目な考えに、喜んで湧くのみで、あり得ないと反応してくれる人がいないなんて、あり得ない。

買い物が済み、お姉さんは、”Have a good day!!!” とにこやかに見送ってくれた。

実験は終了した。

 

6.実験結果の分析:新たな知見

安全保障行動を完全に放棄したところ、何ひとつ困ったことは起きず、むしろ場面がスムーズに進行し、周りの人達も楽しそうだった。

異なる暗証番号を入力したが、それにより混乱を生じさせることも、その後正しい番号を忘れるようなこともなかった。

努めてあり得ない行動や言動をとろうとしたため、レジでかなりの時間を消費したにもかかわらず、迷惑そうに見る人はひとりもいなかった。普通に見られようと努めるのを完全に放棄していたのに、人々は私のことを普通の楽しい人として普通に受け入れてくれていた。

私は存在していてもよい。人の時間を消費してもよい。地球人は優しい。そういうことだ。

実験後(実験中)の思考・行動サイクルは下図のようになった。

 

実験後の思考

 

今回の実験は、以前の私が日常的に行っていた安全保障行動が保障していたものの本質を明らかにした。すなわち、安全保障行動が保障していたのは、「安全」ではなく「不安発生」であった。

安全保障行動という名のセーフティネットの網が、絡みつき体中を縛り、そのため私は動けなくなっていたのだった。

今回、安全保障行動を完全に放棄した結果、これまでにない開放感を体感した。体は全く張らず、自由に動き、発言することができた。

したがって、「安全保障行動 (safety-seeking behaviors)」は「不安生成行動 (anxiety-generating behaviors)」と改名したほうがよい。

この開放感をイメージとして可視化すると下図のようになる。

普通を的から外しあり得ないを目指す

挙動不審にならぬよう、きちんとした人のごとく完璧に行動し、成功にこだわり、「普通」の人ならこうするだろう、こう言うだろう、と予想される範囲(普通と感じられる範囲)の的を当てようとすると、途端にこわばる。

的を当てようとせずに、普通の範囲とはかけ離れた、「あり得ない」と思われる点(外れ値)を目指すと、力が抜け、解放される。小さな有限の範囲を捨て、無限に広がる空間に向けて矢を放っていく。

「当てる」のではなく「外す」のだ。

そして、数々の的を当てようとする思考も安全保障行動も一緒くたに放棄することを可能とするのが、「あり得ないを目指す」ことであるのだと、今回の実験により発見した。(注3)

そこで、実験後の仮説確信度:

仮説の確信度:0%

代替仮説の確信度:100%

 

もちろん、私は実験前から頭の中では、レジでの支払いが危険な場面ではないなどということは分かっていた。自分が存在していてもいいということも知っている。ところが、ぼんやりしていると、安全保障行動をとってしまう自分がいるのも事実だったのだ。

重要なのはここだ。

頭で分かっているのに、体が勝手に反応する。頭での理解と体の反応が乖離している。

その勝手に反応する体を、頭での理解に近づけて、ひとつにしていく。行動は、それら乖離していたものがバランスよく機能するよう回復させていく過程を動かす原動力となる。

難しいことではない。行動すれば、体は勝手に、これは危険な場面ではないんだね、と学習してくれる。

さらに、行動実験として、観察したこと、感じたことを、できるだけ詳細に客観的に記述することで、学習は強化・加速化される。

記述を行うことで、根強い核心信念が、新たな体験から得られる知識を、核心信念と異なるという理由で理不尽にも無効化してしまう力が及ぶ(メンタルフィルター)のを防ぐ効果もある。

今回も実験の成果を体と認知にしっかりと植え付けるために、たくさんの図を描いたりして学んだことの可視化に努め、幾度も反芻した。

 

認知と行動が双方向から相互に作用し学習していくメカニズムを最大に利用すれば、異邦人のようにぎこちなくても、頭で考えていることとのギャップは徐々に埋まり、適応できる。曝露療法には、単に不安に慣れる以上のものがあり、あらためて、奥が深いなぁと思う。

最後に、今回の実験で、体が恐怖反応を起こしているからといって、考え方がおかしいわけではないということを事実として体感した。体の反応と考え方は互いに影響を与え合えど、ふたつの異なる現象であり、それらの噛み合い具合を整えていくことが大切なのだとあらためて実感した。

行動を続け、一年後にこの記事を自分で読んだとき、コイツ、イタイ、未熟だなぁ、なんて思えれば、治療経過は上々だということなのだろう。

 

 

Reference


Butler, G., Fennell, M., & Hackmann, A. (2010). Cognitive-Behavioral Therapy for Anxiety Disorders: Mastering Clinical Challenges. Guilford Press.

 


1)できれば曝露療法はセラピストの指示のもとで行うほうが安全であるけれど、セルフで行う場合、知り合いのいない場(行くことのあまりない店等)を選び、違法行為に相当する行為は避けましょう。例えば、職場で後ろ向きに50メートル歩くとかはやめましょう。

2) 暗証番号を複数回間違って入力すると、カードが使えなくなったりするのでご注意ください。そんなの言われなくても知ってるよ!って思うかもしれないけど、 ウェブ上に記事を置くことで長期的には万単位の人々の目に触れるので、言っておかないと数人の外れ値的な人々が知らずにやってしまう可能性があることを、 私は2年間のブロガー経験から知っているし、私自身が外れ値そのものなので無視できないのです。

3)ここで私が「発見」と言っているのは、個人的かつ内面的な発見であり、普遍的な発見ではありません。したがって、他の人々も同様の発見・結果に至るかどうかは、各自が実験してみないことには分かりません。

作成者: administrator

Mental health blogger, researcher, social anxiety/selective mutism survivor.