マインドフルネスをやってよかったこと

マインドフルネス瞑想はセラピストのジャネットさんのガイドでやったのが初めてで、3年ほど前のことだ。真面目に毎日実践し始めたのはこの1年ちょっと。

今回の記事で書くことは、あくまで私自身がマインドフルネスをやってみた限りにおいての印象であり、一般化できる種の内容ではない。

マインドフルネスを実践してきて、自分の精神的な症状、特に不安障害の症状にとって良かったと思っていることは以下の8点だ。

  1. 呼吸の変化を感知できる
  2. 体の様子の変化を感知できる
  3. 不安に巻き込まれずに場面に意識を集中できる
  4. 場面がゆっくりと進行するので対応できる
  5. 自己がひとつになる
  6. 幸せな場面に気付く
  7. トラウマ体験へのエクスポージャーが楽にできる
  8. 現実とストーリーを分けられるようになる

 

By Henck van Bilen

1.呼吸の変化を感知できる

マインドフルネス瞑想では呼吸に意識を払う。自分が呼吸をしている感触に集中する。それをやっていると次第に意識が呼吸から離れ彷徨い始める。そのことに気付き呼吸に意識を戻す。その繰り返し。

そのように呼吸を拠り所とした瞑想をほぼ毎日続けていたところ、普段の生活でも自分の呼吸の変化を感知できるようになってきた。

不安が発生し呼吸が速くなる。そんなとき、気付き、呼吸に意識を向け、穏やかな呼吸の動きに戻していく。これができるようになると、あの不安障害の症状である過呼吸に達する前に、呼吸は緩やかになり、再び確かな拠り所として精神の安定のために機能してくれる。

 

2.体の様子の変化を感知できる

マインドフルネス瞑想、特にボディスキャンと呼ばれているものでは、自分の身体感覚に意識を集中させる。体のひとつずつの部位に意識を払い、その様子を見つめるように感じていく。自分の体が、今、この場にあるというその感覚に意識を払う。

それをやっていると、うん、今日は肩こってるな、とか、腹減ってるな、とか体の様子の微妙な変化に気付くようになる。これは私にとって非常に大きな発見なのだ。

なにしろ、多少、体に不調が生じ始めても、気付かないことが多かった。空腹なのに気付かず昼食も摂らずに何かを続けていたりするという困った習慣があった。こういうのは精神的な病を抱えている人には多いと思う。食べないでそのまま。自分の体が必要としていることに注意を払えない。自分の内部感覚に鈍感なのだ。

続けていると、自分の身体感覚に意識を払い、体の様子の変化を感知できるようになってくる。すると空腹であることを感知できるようになり、何かを食したりといった適切な対応を施すことができるようになる。

また、不安場面等で自分の首の筋肉がこわばり始めると、すぐに気付く。「おっ!」と気付いた瞬間、息をゆっくり吐きながら余計な力を抜いていく。だから不安発作に至らない。このテクは漸進的弛緩法にも通じるところがある。

 

3.不安に巻き込まれずに場面に意識を集中できる

不安場面において自分が取り組んでいる行為に集中できなくなり、目の前にある自分が行うべきことがやれなくなるのはなぜか。

心に生じた不安がものすごい勢いで膨らみ、意識が不安に巻き込まれてしまうからだ。

内側で膨らむ不安に気付きつつも、その不安に巻き込まれずに、外側―つまり今現実にやるべき任務に集中する。それができればいい。ついでに言えば、巻き込まれてしまってもいい。巻き込まれたことに気付き、現実に帰って来られれば、それでいい。

そんな状態を達成する、あるいは戻って来るコツを得るにも、マインドフルネスは役立つ。

マインドフルネス瞑想中、心があれこれ考え始める。昨日のこと。明日のこと。後悔していること。心配なこと。

そんなふうに不安が心に生じていても、それを離れて見つめられるのならいい。巻き込まれずに、「おやっ、不安なんだね」、みたいに遠くで興味深く眺めていられるなら、自分の心の動きを否定したりジャッジしたりせずにいられるならいい。

そんなジャッジしない状態。マインドフルネス瞑想中に発生する思考をジャッジせずに遠くで見つめる。これに慣れてくると、日常生活で不安が生じても、「おやっ、意識がくらりとして、おもしろいね」くらいの感覚で、不安が遠のき、巻き込まれなくなってくる。

瞑想中に思考に巻き込まれたら、気付き次第、戻ってくればいい。

今自分のやっていることから心が離れていっては、気付き、戻る…を繰り返すうちに、日常生活において不安に巻き込まれても、気付き次第、今自分のやっている行為、たとえば電話の会話なりプレゼンなりに、速やかに戻ることができる。しかも、穏やかな心持で戻る習慣ができてくるので、戻るときに慌てることもない。

私自身の直近の出来事では、予約していた美容院に到着したとき。

そのとき私の苦手とする情報の不確定性に出くわした。

情報の不確定性。それは日常会話などに見られる乱雑な情報の交換のことだ。会議や議論などの、目的に向かって進行する会話が情報の確定へ向かっていき安心感が得られるのに対して、日常会話においては人々は目的もなく会話を始め、どこにも辿りつかない会話を楽しそうに継続させていく。

情報が乱雑なまま乱雑であり続けることを目的とするかのような会話が飛び交う中、掴んだかと思うと変化していくトピック。そんな情報の確定し難い交流場面に身を置くと、私は混乱に陥る。

受付のお姉さんが “Hello, how are you?” と笑顔で言う。

そんなとき、状況の意味が確定されていないことを嫌う私は、

(元気か? それなりに元気に決まってるじゃん。だってここに来て、立っているんだから。それに受付に来たってことは客だってことであり、元気かどうかなんて関係ない。予約時間に現れた客にきまってる。それなのに標準的な人々はビジネスの話をする前に延々と乱雑な会話を続けるのだ。ああ、普通の会話って耐え難い…)

とすごい速さで思う。と、その瞬間、内側で発生する思考に囚われつつあることに、「おっ♪」と気付き、その場に戻って来る。

「元気ですよ。あなたは?」と普通に返してみる。さて、そのとき。

マインドフルになれなかった頃の私は相手が答えると同時に「~時~分に~さんとのカットの予約をしています~です」

と一気に言ったものだった。すごい速さで、息継ぎなしに一気に言うのだ。なぜそんなに急いで言うのか?

不確定な感じが嫌だからだ。私がここに立っていて、受付のお姉さんが目の前にいて、それなのに、私が何のためにここに立っているのか相手にとって不明であるという情報の乱雑さが耐え難いからだ。だから、情報を速やかに整理させるために、私がここに存在している理由を確定させるために一気に急いで言う。そういうことなのだ。

そんなとき、私の体は固くなっている。私の言葉は自然な抑揚を失い、ロボットのセリフのようになっている。意識が不安に巻き込まれているのだ。

さて、マインドフルであるイマココの私は、もはやそういうふうではない。

「うーん、あんまり元気とも言えないね。忙しくって、肩凝るしぃ」

それだけ言う。私が何のために美容院の受付に来たのか不明である。その不明な感じを継続させ楽しもうとする。

「私もですよ。午後は眠いしねぇ」とお姉さんも言う。

そのとき、私の背筋を冷たいものが走る。心に不安が生じる。ああ、この乱雑な感じ。言いたい。一気に言いたい。私がこの場にいる理由を一気に言って、我が存在理由を確定させ、全てを解決させたい。

そのときだ。マインドフルになっている私は気付く。不安に巻き込まれたことに気付く。そこで、イマココに穏やかに戻って来る。戻って来ると、お姉さんが大きなオパールのネックレスをしていることに気付く。

「おおっ、それカワイイ」

「うんうん、カワイイでしょ、ママが買ってくれたんだ…」

そんなふうに乱雑で確定され難い会話をしばらく続けた後、やっと本題に入るのだ。その頃には私はすっかりマインドフル化しており、現在自分がやっている外側の事柄に注意を払えるようになっている。

今、現実に生じている現象に、内側で生じる不安感覚に囚われることなく、対処可能であるという感覚が続く。

だから、マインドフルネスは不安場面で場面にじっくり意識を払いつつ不安を十分に感じ続けるためのテク(曝露療法のためのテク)としても有効だ。

 

4.場面がゆっくりと進行するので対応できる

マインドフルに場面を感じられるようになってくると、場面においての事象がゆっくりと進む感覚が芽生えてくる。これが私に起こったとき、とても不思議な感覚だと思った。

なにしろ、対話場面等の不安場面は、それまでの私にとって、ものすごい速さで進行するように感じられていたのだ。捉えどころのないスピード。だから戸惑う。不安になる。

もちろん、変わったのは物事の生じる速度ではなく、私の感覚のほうなのだろう。

マインドフルネス瞑想中、体に生じる微細な変化のひとつひとつに意識を向けていくことを続けているうち、日常場面で起こるひとつひとつの変化に意識を向けることができるようになってきた。捉えられる。

だから、以前と比べて物事がゆっくりと進むように感じられるのだろう。

ゆっくりと物事が進むので、会話相手が綺麗なネックレスをしていることに気付けたりする。そんな毎日が楽しい。

 

5.自己がひとつになる

社会不安障害がひどかったとき、私はひとつではなかった。

理性、心、体。

それぞれが、ばらばらだった。それはホームページに書いた通りだ。理性は恐怖を感じるべき場面ではないと分かっている。誰も私を悪く評価してなどいないと分かっている。それなのに心はひどく掻き乱され、体は震えている。

そんなふうに理性・心・体・が互いに乖離していく。そのことが最も怖かった。自分がばらばらになっていくのが怖かった。

マインドフルネス瞑想はこの互いに離れていく理性・心・体をひとつにまとめていく。

それがなぜ可能なのか。それはたぶん、心に生じる不安や身体症状を理性が否定しなくなるからだと思う。

不安が生じて、「ダメだ!不安になっては。しっかりしろ。不安になるべき場面じゃないだろ」と生じた不安を否定する。

体が震え始めて、「ダメだ!震えては。震えを抑えるんだ。震えている場合じゃないだろ」と身体症状を否定する。

そんなふうに理性と心、理性と体が離れていく。私は理性でもって心と体を自ら乖離させていたのだ。

マインドフルネス瞑想では心に生じる不安や苦しみを否定しない。体に生じる変化や感触を否定しない。

代わりに、心や体に生じる変化を見つめる。ジャッジせずに見つめる。穏やかに慈悲深く見つめる。

すると、初めての感覚に包まれる。自己がひとつになる。初めてひとつになる。

あの全的にバランスのとれた感覚が得られる。その感覚の中には、生きているというそれだけのことから生じる幸福感のようなものがあるのだった。

 

6.幸せな場面に気付く

マインドフルになっていると目の前に生じている事象に心を留める。過去の後悔や未来への不安に心を奪われずに、今、目の前で発生している些細な出来事に興味を向ける。

昨日までは蕾だった花が今朝美しく咲いた。子猫が気持ちよさそうに眠っている。そんな小さな出来事を、心一杯に感じる。そうなのだ。mind-ful (心一杯)に物事を感じとる。

そんな習慣が身に付くと、自分の周りで生じる小さな出来事に心を一杯にして感じることができるようになる。

誰かが挨拶してくれたこと、笑顔を交わしたこと。そんな日常の出来事のもつ美しさに気付く。

幸福とは何か。

大きな社会的成功を得ることか。金持ちになることか。豪邸に住むことか。それら全てを手に入れても不幸な人は不幸なのだ。全てを手に入れても自殺に至る人だってたくさんいるのだ。

幸福とは、何かを新たに得ることではない。毎日の何気ない物事にどれだけの美しさを見出せるか。これまで見えなかった豊かさにどれだけ気付くことができるか。

幸せな場面はそこら中に散らばっているのだ。

 

7.トラウマ体験へのエクスポージャー(曝露)が楽にできる

不安発作の記憶。概してそれはトラウマになっている。あの震えているときの恐怖。恐ろしい。思い出したくない。

だが治療は思い出すことを要する。不安が起こるあの一瞬の自分の状態を再体験していく。

そのときの心の変化、身体感覚の変化を綿密に観察するのだ。すると、不安発作が起こるときの、自分のパターンが分かるようになる。思考パターン。身体的な感覚の変化のパターン。

そこまで分かれば、以後、同じパターンが出現しそうになると、「おっ」と気付き、発作に至る前に、力を抜いていくという次の段階に進める。

恐ろしい。思い出したくない。そんなふうでもマインドフルネスを継続していると、恐怖などの困難な感情と距離を置いて向き合うことができるようになる。

つまり、恐怖は消えるのではなく、やはり起こる。そのとき、「おや、私は怖いのだな」と気付き、その感情を見つめる。

ジャッジせずに見つめる。これができるようになると、トラウマ体験を再体験していく際、恐怖に巻き込まれることなく、起こっていること(起こったこと)を詳細に観察していくことができる。

このようにマインドフルネス状態で過去の記憶を再生していくテクは、子供時代のトラウマやPTSDにおける内的記憶、恐怖記憶へのエクスポージャーにおいても使える。

 

8.現実とストーリーを分けられるようになる

人という生き物は出来事に遭遇する度にストーリーを創る。

就職活動中、一社から不採用通知を受け取る。すると「私は一生就職できないんだ!」と、ひとつの出来事から一生に渡るストーリーを創る。

プレゼンを始めたら、不安発作に見舞われる。すると「私はこんな単純なこともできないダメな奴なんだ!」と、ひとつの出来事から自己の価値を完全に否定するストーリーを創る。

仕事中、頭痛がする。すると「こんなに痛いんじゃ、今日は何もできない!」と、ひとつの状態から自己が完全に不能化したという結末のストーリーを創る。

たぶん、人間は地球上で唯一言葉を抽象化しストーリーを紡いでいくという能力を持つ代わりに、自らが創ったストーリーに囚われてしまうという副作用にも苦しむのだろう。

けれども、この副作用のよいところは、それがストーリーでしかないことに気付けば苦しまなくて済むというところだ。苦しみ。それはオプショナルなのだ。

ひとつの出来事や状態を、ストーリーから切り離して見つめてみる。すると事態はさほど悲観すべきものではないことに気付く。

現実とストーリーを分けられるようになると、なんとか現実を進んでいけるようになる。ストーリーに囚われず解放されているのだから、当然だ。

 

さて、ここまで読むと、なにやらマインドフルネスというのは全てを解決する万能薬のごときものといった感じがするかもしれないが、そうではない。

これだけやれば、不安障害がさくっと治ってしまうとか、そういうものでは断じてない。「治す」とか「症状がなくなる」とか「恐怖がなくなる」というものではない。

その効果は柔らかで、輪郭を欠いたゆらっとしたものであり、心身のバランスを整えるのに毎日やっていると、なんだかイイ感じだ!となる。まあ、その程度と言えばそうなんだが、結構それが大切なのだと思っている。

毎日、自分の心身の状態を見つめ、ちょうどよい按配のバランスを得ていく。だって、それができなくなるのが、病んでいくということなのだから。

投稿者: administrator

Mental health blogger, researcher, social anxiety/selective mutism survivor.