一回目の発表のときはクリニカルサイコロジストのジャネットさんに絵葉書を送ったけど、二回目の発表の報告はまだしてなかった。
二回目の国際学会発表も成功しました。まったく緊張しませんでした。
認知行動療法はとても効果がありました。ありがとうございました。
あなたのような有能なクリニカルサイコロジストに出会えたことは、私にとってとても幸運なことでした。
メールを送ったらすぐに返信が届いた。うまくいってよかった、おめでとう、とジャネットさんは書いた後、こう続けた。
It was a pleasure to be able to assist you – but it was you who did all the hard work!
あなたの役に立ててうれしいです。けれども、すべてはあなた自身が頑張って成し遂げたことなのです!
ジャネットさんったら相変わらず人格者だなあ。
その後仕事に明け暮れ、ジャネットさんの言葉を考えることはなかった。
が、夜寝る前になって、気がついた。いけない、また、以前の思考に戻っていた。
うまくいったこと、成功したことは、全て他人のおかげにする。自分の力で成し遂げたとは決して思わない。自分がやったのだという事実を忘れてしまう。
反対に、うまくいかなかったこと、失敗したことは、全て自分のせいにする。とことん自分を責めて、忘れない。
これでは同じではないか。
ささやかな成功体験のひとつひとつを、しっかりと記憶に刻んでいくことで自信に繋げていくことを習ったのに。過去の恐怖体験からの記憶を成功体験の記憶へとアップデートしていくための訓練を積んできたのに。
それに、私自身が成し遂げたことなのだと強調するジャネットさんの貴重な言葉を、人格者だなあと思うだけで、心に刻むことをしなかった。
誰からでも褒めてもらったり励ましてもらったりしたら、しっかり受け止めて自信に繋げていくようにする。そういうことを学習してきたのだった。
☆
日常の生活の中で、こういったことの大切さをすぐに忘れてしまいそうになる。
周りの人たちは、私が幸せに自信をもって生きられるよう、いつでも優しい言葉をかけてくれているのに。大切な言葉を受け入れることをせずに、受け取った瞬間、まるでその場で捨ててしまうかのように忘れてしまう。
褒め言葉を受け入れずに自分の糧としない。そんなのは美徳なんかじゃない。
支えてくれる人たちが私のためにかけてくれた言葉を確実に自分の自信を育む材料に繋げていくことが、周りの人達の優しさに応えることとなるのだった。