「死んではいけません」から当事者の主体性を尊重する支援へ:自殺予防のための安全プラン

「絶対に死なないと約束してください」

と治療者に言われても、オマエ、何様のつもりだ!と思う。

また、何様のつもりだ!と思う程度の関係にある治療者に約束してみたところで、約束を守る気持ちが起こるかどうかは疑わしい。

約束するか、約束を守るか、実際のところ、それは相手との関係によるだろう。

セラピストのジャネットさんは、初回のセッション時、私に個人的に携帯電話の電話番号をくれた。「精神が危機的状態になったり、死にたくなったりしたら、いつでも私に電話しなさい。夜中の2時だってかまわない。決して躊躇してはいけない」

約束しろなどとは言われなかった。

仮に、のちにジャネットさんが、「絶対に自殺しないと私に約束してください」と言ったら、私は迷うことなく約束するだろう。

約束したものの死にたくなってしまったら、そうしたら、約束のことを思い出すだろう。そして、きっと、死なずに済むよう最大に努めるだろう。

約束相手は、私の精神の健康と安全に対してコミットすることを言葉と行動で示した人である。だから私もコミットする。最大限にコミットする。

もしその相手が数回、それも一回につき3分程度診てもらった関係にある治療者で、営業(診察)時間外は決して邪魔するなといった態度でありながら、「約束しろ」だったら。

もちろん、診察時間以外にオーヴァーワークなどしてはいけない。そんなことをやっていたら治療者が壊れる。けど、そういう条件下で「約束しろ」はいらない。命令にコミットできない。

「あなたが死んだら~さんが可哀そうでしょう」

これも。誰かのために生きる。それは美しいことなのかもしれない。

しかし、生きるのは誰だ。

自分だろう。

生きるのは自分なのに、誰かに依存するのか。その誰かが人生から消えてしまったら、もう生きられないのか。後ろ向きで消極的な姿勢で、いつまでもつのか。

誰かのために生きる。その姿勢は危うい。

誰かに約束するのでも、誰かのために生きようとするのでもない。生きるのは、自分自身へのコミットメントである。自分のために生きる。

近年、多くの先進国において推奨される自殺予防介入は、自殺しないと患者が治療者に約束する いわば「やらない誓約」 (Drye et al., 1973; Ewalt, 1967; Stanford et al., 1994) から、希死念慮が発生した際に患者が自分の力で自主的にやれることを書き記しておく(Suicide Safety Plan)いわば「やる計画」 (Stanley & Brown, 2006; 2012) へ移行しつつある。

と言うのは、自殺しないと患者が治療者に約束することには自殺予防効果のエビデンスがない (Kelly & Knudson, 2000; Reid, 1998; Shaffer & Pfeffer, 2001; Stanford et al., 1994) 。また、その自殺予防効果に関する研究はその方法論から結果に至るまで一貫性を欠いた多様なものだ。

その多様な研究結果の中で、自殺しないと患者が治療者に約束することの危険性を最も顕著に示すのは Kroll (2000) の実施した調査であろう。自殺せぬよう患者が治療者に約束する介入を実施した患者のうち、のちに自殺を実行して亡くなったり、深刻な自殺企図を行った者は41%にものぼった。

では、自殺しないと患者が治療者に約束することが危険を導きやすいのはなぜか。

まず、”contract” (誓約・契約・約束)という言葉が問題を孕んでいる(Miller, 1999)。

希死念慮に苦しむ患者に「約束させ」その誓約に「従属させる」

患者は誓約の下に縛られ、自由を失う。その誓約下において患者の自主性は薄まる。

次に、”contract” (誓約・契約・約束)の行く末が治療関係に左右されるという点がある (Linehan, 1993; Rudd, Joiner, & Rajab, 2004; Rudd, Mandrusiak, & Joiner, 2006)。死なない約束を守りたいと思うか否か、それは治療者と患者の関係の質次第でもある。

たった1~2セッションしか診ていない患者なのに、初見でさえあったりするのに、その患者に自らの決心を保持する権利を放棄しろと要求するなど、想像しがたい。… おそらく、このような誓約が順守されるより破られがちなひとつの理由 (e.g., Dew, 2001) は、患者が激しい心理的苦痛にあるときに、有意義な治療関係を構築しないうちに、自殺を選択肢から外すなどという深いコミットを継続することができないからだろう。

It is difficult to imagine that having known the patient for only a session or two, perhaps even the first time we have met, we would ask the patient to relinquish the right to self-determination, particularly if we have yet actually to provide anything concrete in the treatment exchange, such as symptom relief or the necessary skills for effective selfmanagement. Perhaps one of the reasons that these agreements are more often violated than honored (e.g., Drew, 2001) is that the patient cannot make a meaningful commitment to remove suicide as an option forever during a period marked by intense psychological pain and before establishment of a meaningful therapeutic relationship.

(Rud et al., 2006, p. 247)

このような治療関係のテンションが孕む危うさに気づくことは、患者に誓約させるというエビデンスの伴わない介入法を試みるより肝要なことであるとされる (Linehan, 1993)。

そして、良好な治療関係が築かれたところに、患者が自らの人生哲学を明確にしていくのを助けていくプロセスにおいて、否応なく浮上してくるのが「死ぬ選択肢」であるとされている (Rud et al., 2004; Rud et al., 2006)。

We have found it useful to help the patient articulate his or her philosophy of living at the midpoint in treatment. Suicide as an option naturally emerges as a part of this process and can be more clearly addressed.

(Rud et al., 2006, p. 247)

「死ぬ選択肢」が浮上したらどうするか。

Rud et al. (2006) はこう提唱する。患者に自殺する権利の放棄を要求するのではなく、治療プロセスへの、そして生きることへの患者のコミットメント感を高めていく。「死なない」ことにコミットするのではなく「生きる」ことへコミットすることは、患者の自己コントロール感と個人的責任について、誓約の概念とは対照的なメッセージを、明示的および暗示的に患者に送る。介入の焦点を、権利を縛り制限することに合わせるのではなく、治療プロセス、つまりリカバリープロセスへのコミットメント向上に合わせるのだ。

It is intended to enhance the patient’s commitment to the treatment process and living, rather than request that the patient essentially give up his or her right to commit suicide. In contrast to the notion of a contract, making a commitment to living rather than not dying sends a very different message to the patient about control and individual responsibility, both explicitly and implicitly. The focus is not on restraining or restricting rights, but on enhancing commitment to a treatment process, a process of recovery.

(Rud et al., 2006, p. 246)

患者のコミットメントを高める。死ぬ選択肢と権利を患者の手の内に置いておく。死なない約束からのこのシフトは極めて大胆であり、かつ希死念慮に苦しむ者の人としての在り方を最大に尊重したものである。

私は、よく知らない治療者に自分の希死念慮をおもむろに掴まれ、その知らない他人の手の内に奪われ、そこで良いことか悪いことかジャッジされるのは嫌だ。

希死状態にある私を、隷属させようとする治療は嫌だ。

だいたい、オマエは何者だ。

人間は生きる義務がある。人間が自ら命を絶つのは罪である。死のうと思うなんて罪だ。

そのようなメタフィジカルな問いに対して、絶対的答えを導き得ない問いに対して、さらりと答えを出すとは何者だ。

全知全能の神様か?

死について。命を絶つことについて。それを治療者が語り、その是非をジャッジし、当事者に押し付け、当事者にスティグマを負わせ、選択肢も選択権も失い、当事者は追い詰められる。

そのような古い慣習から一歩進み、治療者が奪ってきた当事者の希死のナラティブと主体性を、当事者が奪回する。

そこに至り、初めて当事者は自らの希死念慮を自らの手に取り、冷静に見つめ、解決の糸口を練ることが可能となる。

答えのない問いには答えがないと認め合い、そこから協同して問題解決に取り組んでいこうとする。

そのとき、当事者と治療者は権力関係の歪みから解放され、敬意を払い合う人間同士となり得る。

さて、「自殺予防のための安全プラン」 (Suicide Safety Plan) は、希死にある患者に死ぬ選択肢の放棄を要求するという「奪う支援」に対する反省から生じた介入法のひとつである。

自殺予防のための安全プランは、認知療法から発展した介入法 (Brown et al., 2005) であり、 希死念慮を抱きがちだったり、自殺企図歴があったり、自傷を行う傾向のある人々が、個別的予防介入として治療者と協力して作る個人的な計画書のことだ。

個人的、とはどういうことか。それは希死の形がひとりひとり異なるために、誰にでも共通して妥当な計画などはないということ。自分の希死症状を徹底的に観察し作り上げた自分で自分を守るための計画書ということだ。

計画書には個人的な価値観や人生観が盛り込まれ、個人は自らの精神的危機に際して、自らの安全プラン従い行動する。

計画書は常に手元に置いておき、死にたい感じが生じたら、すぐに計画書を見る。そして計画書に書かれた手順に全的に従う。自らの人生のために、自らが作成し、自らがコミットすると誓った計画書に積極的に従う。

希死を抱える当事者が作る安全プランに関してウェブ上で無料で入手できる日本語情報は、私が調べた限りでは皆無に近かったこともあり、私自身が書いた自殺予防のための安全プランを見ながら、この計画書の意義について簡単に紹介してみたいと思った。

また、最初に断っておきたいのだが、私が現段階(2016年9月)に文献を調査した範囲内において、自殺予防のための安全プラン作成が自殺予防に効果的であるというエビデンスはない。

なんだって? 「自殺しないと患者が治療者に約束すること」 に自殺予防効果のエビデンスがないとあんなに下げまくった挙句、今回紹介する「自殺予防のための安全プラン」にもエビデンスは得られていない、だって?!

はい、そうです。

それにもかかわらず、紹介したいと思う理由は4つある。

ひとつは、「自殺予防のための安全プラン」に含まれる各要素にはエビデンスがあること。例えば、自らの希死症状の感覚を観察・記述しておくことで次回症状が生じた際に対応できるようにする等の認知療法から発展した手順 (Brown et al., 2005) や、自殺に使える道具を処分する等の手順 (e.g. Ludwig & Cook, 2000; Mann et al., 2005) は有効であろうと考えられること。

ふたつ目は、「自殺予防のための安全プラン」は「自殺しないと患者が治療者に約束すること」 と異なり、当事者から選択肢も人権も奪わず、希死を当事者の手の内に置いておくことでむしろ自己効力感を高める介入であるため、害を及ぼす結果は考えづらいこと。リスクが小さいこと。

みっつ目は、上記2点の理由により、現在複数の国(主に英語圏諸国)において「自殺予防のための安全プラン」が自殺予防介入として積極的に推奨されていること。

最後に最も重要な理由。それは私が好きだからだ。私は自ら「自殺予防のための安全プラン」を作成し、その後、希死念慮が始まりそうになった初期段階で自ら対応できるようになってきている。希死念慮に自分で対応できることから得られる自己効力感の増強ぶりは半端なものではないと感じている。希死を抱きながら、人間として尊重されている感じも、好きだ。また、自分の人生哲学を掘り下げていく過程で、なぜ自分は本当は死にたくなくて生きたくて、人生において何をやりたいのかが明確になっていくのが、好きだ。自らの主体性を信じコミットしていくのが、好きだ。

Safety planning interventions, which include the identification of warning signs, coping strategies, and sources of support in addition to restriction of access to lethal means, are also receiving welcome attention.

(O’Connor & Nock, 2014, p. 81)

安全プランは主に以下の要素を特定していくことで構成される。

  • 希死が生じ始めた自分の状態に気づけるようにすること
  • 対応策を講じること
  • 支えてもらう人や機関を知っておくこと
  • 死に至る道具を処分・遠ざけておくこと

ステップ0:普段からやっておくこと

普段、危機的状態ではない元気なときに、家の中の危険な物を処分しておく。

アメリカでは自殺に使用されるのは圧倒的に銃が多いので処分が推奨される。私は銃を持っていないので、これは問題ない。

過去にかかりつけ医院を複数変えた関係等で2週間分以上の薬が手元にありODが心配な人は、余分な薬を処分しておく。

自傷しがちな人は、いつも使う刃物を処分しておく。

首を吊ってしまいそうな人は、ロープや使えそうなベルトを処分しておく。

以前の企図時に使った物がまだ残っているけど、園芸に使えそうなんで捨てたくない? 肉焼くのに使うと結構うまいんだけど? うん、けど、死ぬために入手した物だよね。安全対策の観点からすると、それこそ断捨離の対象として元気なときに処分しておきたい。

ステップ1:原因と感情の把握

希死念慮が生じるところにはパターンがある。

何をきっかけとして死にたいという気持ちが生じるのか。トリガーは何か。身体的感覚は変化するか。どこにいるときに、いつ、死にたくなるのか。自宅にいるときか。ひとりで過ごしているときか。眠れない夜に生じるのか。冬の日か。雨の日か…

そのときの状況、気持ち、感覚をできるだけ具体的に書いてみる。苛立つ。気分が下がっていく。絶望的な気分になる。もうダメだという感じ…

書き出してみると、そこにパターンがあることに気づく。

パターンが掴めれば、次回希死念慮が生じ始めたときに、気づく。意識がすっかり希死念慮に取り込まれる前に、「あっ、これはいつものパターンだ」と気づく。

いつものパターンに過ぎないと気づくことができれば、それだけで希死念慮が弱まり消えていくこともある。自分の状態を客観化し、希死念慮を外在化することができる。

また、希死念慮が発生しやすい状況にできるだけ身を置かないよう(ひとりで過ごすなど)気をつけることができる。

これは、不安障害の症状への対処法として、自分が不安発作に至る特定の状況や心身の変化、自動思考のパターン等を理解していると、始まりの段階で気づき、体から力を抜いていくなど対応できるのと似ている。

Examples of warning signs include feeling irritable, depressed, hopeless, or having thoughts such as “I cannot take it anymore.” … Generally, more specifically described warning signs will cue the patient to use the safety plan, than warning signs that are more vaguely described.

(Stanley & Brown, 2012, p. 259)

結構、希死というのは、何ひとつ悪い状況になどないのに、苦しくも悲しくもないのに、ただ何らかのトリガーを前に発動するように生じるものなのだ。

駅のホームで電車を待っているとき、「今だ!」と脳が勝手に思う。

高層ビルの展望フロアへ行き、美しい夜景を見るとき、「この高さなら確実に死ねるじゃねえか!」と脳が勝手にワクワクする。

今ものすごく幸福であると感じる瞬間、「今死ななきゃ」と脳が勝手に思う。頂点に達したら下がるしかないのだ。「病が再発して苦しむ前に…」と脳が勝手に思う。

こんなふうに、希死には多様なトリガーがあり、トリガーごとに対応する感じ方を特定していくと、パターンがあることに気づくのだった。

つまり希死念慮に陥りつつあるときのステップ1は記入しておいたトリガーと感じ方のパターンを読み、なんだいつものように脳が勝手に反応しているだけだね、と確認することだ。

それでダメだったら、希死念慮が弱まらないなら、ステップ2へ進む。

 

ステップ2:自分でやること Internal Coping Strategies: Seeking Distractions

実は希死念慮がじわじわと膨らみ始めても、人に相談することなく、受診することなく、自分で解決できる場合は多い。

2段階目は、誰かに相談する前に自分で希死念慮を弱めたり外在化するためにやれることをやってみる。

以前に希死念慮が起こったとき、どんなことをやれば楽になれたか。気を逸らすことができたか。

ここで大切なのは直接思考に作用させようとしたり、希死念慮が渦巻く自分の思考を責めたりしないことだ。

仕方がないのだ。これは、パターン化された思考回路が何らかのトリガーにより触発されたことで起こっているのだから、直接的には自分の意志の問題ではない。

踏切で電車が通り過ぎるのを待っているときに、希死が生じたら、「嫌だ、私は変だ」と思わなくていい。代わりに、「電車の色は何色かな」と視線を向けてみる。背後を向き空を眺めてみる。そんなちょっとした行動で気を逸らす。

以前に希死念慮から気を逸らすことのできた行動、あるいは鬱に陥りつつあったときにやってみたら気分が上がっていったそんな行動をステップ2に記入しておき、やってみる。

例えば、リラクセーション法。弛緩法や呼吸法は体に作用させつつ心を楽にしていく。

マインドフルネス瞑想や慈悲の瞑想を30分ほどやれば、希死念慮と自己との距離がとれるかもしれない。自分に優しい気持ちになれるかもしれない。

運動もいい。ヨガ、ストレッチ、ダンベル運動など、家の中ですぐにできるもの。外に出られるのなら散歩するのもいい。

昔のアルバムを開き、楽しかったときの写真を眺める。その頃のことを自然に思い出し楽しい気持ちになれる。

好きなものを食べる。こんな美味しいものをまた食べたいから生きよう。単純なことに栄養が体に入るだけで気分も上がっていく。

好きな曲、好きな映画、好きなテレビ番組…、散歩に行く、インターネット上で遊ぶ、シャワーを浴びる、ペットと遊ぶ、本を読む…。好きなことをたくさんこの欄に書く。

行動活性化は希死念慮にも有効なのだ。

Such activities function as a way for patients to distract themselves from the crisis and prevent suicide ideation from escalating.

(Stanley & Brown, 2012, p. 259)

書いたことすべてやってみて、ダメだった? まだまだ大丈夫。ステップ3がある。

 

ステップ3:生きる理由・目的・ゴール

生きるとは、目的なしに遂行するには大変ハードな作業だ。

それでいて、生きることに絶対的・普遍的な意味など見出し得ないのだから、本当に人生というやつはタチが悪い。

<目的なしに生きるのはハード>という条件をさらにハードにしているのは、人間は目的なくして生きられないのに、目的なしに人生に投げ出されるという人間存在の条件だろう。「さて、そろそろ、~の目的のために、人生でも始めてみるとするか」という明確な意思をもって生まれてきたのではないのだ。

気がついたら生まれていて、生きるのは自分の意志ではなかったのに生きている。

まったく、人生に突き付けられた条件の無慈悲なこと、この上ない。自分の意志ではないのに、無慈悲に提示された条件に従い、人生の目的を見出して生きないことには苦しい。もうひどすぎる。

大変理不尽な状況であることは間違いないが、この件に関してはクレームを入れる相手も存在しない。仕方がなく諦めて、自分なりに苦しくなくそれなりに楽しめるよう人生の目的を見出すことにする。

それが第3のステップ。自分なりに生きる理由を明確にしてみて、死にたくなったら生きる理由を思い出そう。

このステップについても普段から(調子の良いときに)自分の人生のゴールや方向性について考え、記入しておく必要がある。人生について自分なりの価値観を研ぎ澄ませておく必要がある。

生きている限り、続けてみたいこと。

自分の人生を楽しく豊かにするもの。好きなこと。好きな人。

これまでの人生で出会った素晴らしいもののこと。好きな場所。好きな食べ物のこと。あのレストランのあの料理が美味しいんだな。そんな人生で巡り合ったささやかな、それでいて大好きなものを書いておく。

ゴールと言っても、成し遂げるべきものとか、義務的なもののことではない。自らの価値観に沿った方向性である。

希死念慮が力を帯びてくると、思考を巻き込みはじめ、死ぬことしか考えられなくなる。

生きる理由はいくらでもあるのに、考えられなくなるのだ。希死念慮に囚われ、他の思考から隔離されてしまう。その檻から出られない。

そんなときに、記入しておいた安全プランを見れば、思い出せる。そうだ。私は本当は生きたいのだ。やりたいことがあるのだ。そしてもういちど食べたいあの美味しいジェラートがあるじゃないか。

2年前、私が希死念慮の只中にあったとき、医師が私に言った。

 

image

 

これは、なんとなく聞いたのではなかったのだろうと私は今では思っている。人生の目的を思い出すことで、自動思考的に続く希死念慮から抜け出せるという知識から出た問いだったのだろう。私が生きる理由を思い出し、希死念慮から抜け出せるように、ちょうどよいタイミングで聞いてくれたのだと思う。

さて、自らが明確化した生きる理由を読むことで、希死念慮は弱まっただろうか。

変わらない? 今回のはかなり重い?

心配はいらない。次のステップに進もう。

 

ステップ4:気晴らしに人と会う  Socialization Strategies: Seeking Distractions

さて、この欄に記入される人の名は特に親しい間柄でなくてよい。

と言うのは、このステップにおいて人と会うのは希死念慮を打ち明けるためではなく、気持ちの焦点を死から逸らすためだから。

会うと楽しい、話しているだけで自然に別のことで気持ちを埋めてくれるような人。無理なく希死念慮から気持ちを逸らせてくれる人。

したがって鬱友は残念だがこの欄に入る資格はなかろう。やたらに哲学的な友人も要注意だと私は個人的偏見から思ってしまっている。

生きる意味とは何か。人間の存在理由とは。科学で解決できない問いをいつまでも飽くことなく語り続ける人々。いや、元気なときなら、互いに深い議論ができるのは愉しい。しかし希死念慮の気晴らしにはなるかと言えばその可能性は低い。

友達は鬱友しかいない。知り合いが皆、人間の存在理由の探究を続けるような人々だ。類友と会ったら、心中状態だよね。どうしよう。

そんな状況の人でも、このステップはやれる。このステップで重要なのは人と気晴らし活動を行うことなので、会う相手は友人と呼べる人でなくてもよい。

サークルや趣味の会に参加してみても人と会って話せる。

人と会ってみたが、家に帰ったら再び希死念慮が襲ってきた?

そんな場合は次のステップへ進む。

 

ステップ5:相談できる友人・家族と会う

ここまでの、誰にも打ち明けずに内的な問題に自ら取り組む戦略から、人に希死念慮を開示する段階に進む。その点において、このステップはここまでのステップとは大きく性質が異なり、また勇気を伴うかもしれない。

このような重い話題を共有できそうな人をリストアップしていく。

家族や親しい友人となるだろう。自分のことを大切に思ってくれる人をリストアップしていく。

そのリストの中から、自分が希死念慮に襲われている最中に実際に話す気になれると思われる相手をさらに見極めていく。

このステップにおいて勧められているのは、その相手の人たちと自分の書いた安全プランを共有しておくこと。

つまり、元気な状態である現在において、自分が希死念慮もちであることを打ち明けても構わないと思える人ということだ。

自殺予防のための安全プランを見せる。そんなことをしたら驚かれる、と思うかもしれない。しかし、「今は平気なんだけど、危ないこともあると思うから念のためこれを持っていて」と元気なときに言われるのと、「今、私は死にたいと思うんだ」と突然言われるのとどちらがショッキングか。

前もって安全プランを共有した人なら、実際に希死念慮に見舞われたときも、ひどく驚いたり動揺したりはしない。落ち着いて話を聴き、サポートしてくれるだろう。

この欄に書いた人に電話して、会う。そして自分の抱える問題について話をする。それで解決するようなら、それでいい。

それでも解決しないなら、まだ死にたい気持ちが継続するなら、ステップ6へ進む。

 

ステップ6:治療担当者や各サービス提供機関に電話する

さて、ここまで来て希死念慮がさらに膨れ上がるようなら、プロにお願いしよう。

まず一緒に安全プランを練ってくれた医師またはセラピストに連絡する。この欄は治療者が自らの連絡先を入れるように促すことになっている。(ただ、日本でそれをやってくれる治療者がどれだけいるのかは不明である)

また、危機的状況にあるそのときに、特定の個人に連絡がつくとは限らないので、自殺を考えている人のための相談ホットラインなどの電話番号も書いておく。

さらに、実行したくてたまらなくなってしまった際のために、救急車の番号も書いておく。(希死念慮で救急車を呼ぶことが現在の日本で社会的に受け入れられるのかは知らない)

ここまで計画通りに進められたなら、たとえ、最終段階まで達し、救急車を呼ぶ結果となり、入院したとしても、なんら恥じる必要などなく、むしろ誇らしく思っていいのだ。熟考の上、自ら練り上げた計画に、自らに誓約した計画に、最後まで主体性を維持して立派に従ったのだから。

 

私の自殺予防のための安全プラン

p

 

 

参考になるサイト(英文)

Safety planning guide: A quick guide for clinicians

Suicide safety planning

How to make a suicide safety plan 

Safety plans

Safety first – not last! Suicide Safety Planning Intervention (SPI)

 

References


Brown, G. K., Ten Have, T., Henriques, G. R., Xie, S. X., Hollander, J. E., & Beck, A. T. (2005). Cognitive therapy for the prevention of suicide attempts: a randomized controlled trial. JAMA, 294(5), 563. http://doi.org/10.1001/jama.294.5.563

Drew, B. L. (2001). Self-harm behavior and no-suicide contracting in psychiatric inpatient settings. Archives of Psychiatric Nursing, 15(3), 99-106.

Drye, R. C., Goulding, R. L., & Goulding, M. E. (1973). No-suicide decisions: Patient monitoring of suicidal risk. American Journal of Psychiatry, 130(2), 171-174.

Ewalt, J. R. (1967). Other psychiatric emergencies. Comprehensive textbook of psychiatry, 1179-1187.

Kelly, K. T., & Knudson, M. P. (2000). Are no-suicide contracts effective in preventing suicide in suicidal patients seen by primary care physicians?. Archives of family medicine, 9(10), 1119. http://doi.org/10.1001/archfami.9.10.1119

Kirwood, A., & Bennett, L. (n.d.). The Shift from ‘No Harm Contracts’ to ‘Safety Plans’ for Suicide Prevention and Treatment: A Literature Review. Institute of Rural Health, ID: Idaho State University.

Kroll, J. (2000). Use of no-suicide contracts by psychiatrists in Minnesota. American Journal of Psychiatry, 157(10), 1684-1686. http://doi.org/10.1176/appi.ajp.157.10.1684

Linehan, M. (1993). Cognitive-behavioral treatment of borderline personality disorder. New York: Guilford Press.

Ludwig, J., & Cook, P. J. (2000). Homicide and suicide rates associated with implementation of the Brady Handgun Violence Prevention Act. Jama, 284(5), 585-591. http://doi.org/10.1001/jama.284.5.585

Mann, J. J., Apter, A., Bertolote, J., Beautrais, A., Currier, D., Haas, A., … & Mehlum, L. (2005). Suicide prevention strategies: a systematic review. Jama, 294(16), 2064-2074. http://doi.org/10.1001/jama.294.16.2064

Miller, M. C. (1999). Suicide-prevention contracts: Advantages, disadvantages, and an alternative approach. In D.G. Jacobs (Ed.), The Harvard Medical
School guide to suicide assessment and intervention
. San Francisco: Jossey-Bass.

O’Connor, R. C., & Nock, M. K. (2014). The psychology of suicidal behaviour. The Lancet Psychiatry, 1(1), 73–85. http://doi.org/10.1016/S2215-0366(14)70222-6

Reid, W. H. (1998). Promises, promises: don’t rely on patients’ no-suicide/noviolence “contracts.”. J Pract Psychiatry Behav Health, 4, 316-318.

Rudd, M. D., Mandrusiak, M. & Joiner Jr., T. E. (2006).The case against no-suicide contracts: The commitment to treatment statement as a practice alternative. J. Clin. Psychol., 62: 243–251. http://doi.org/10.1002/jclp.20227

Rudd, M. D., Joiner, T. E., & Rajab, M. H. (2004). Treating suicidal behavior: An effective, time-limited approach. New York: Guilford Press.

Shaffer, D., & Pfeffer, C. R. (2001). Practice Parameter for the Assessment and Treatment of Children and Adolescents With Suicidal Behavior. Journal of the American Academy of Child & Adolescent Psychiatry, 40(7), 24S–51S. http://doi.org/10.1097/00004583-200107001-00003

Stanford, E. J., Goetz, R. R., & Bloom, J. D. (1994). The No Harm Contract in the emergency assessment of suicidal risk. Journal of Clinical Psychiatry, 55(8), 344-8.

Stanley, B., & Brown, G. K. (2006). Safety planning to reduce suicide risk. Unpublished manuscript, Columbia University and University of Pennsylvania.

Stanley, B., & Brown, G. K. (2012). Safety planning intervention: A brief intervention to mitigate suicide risk. SPECIAL SERIES: Working with Suicidal Clients: Not Business As Usual, 19(2), 256–264. http://doi.org/10.1016/j.cbpra.2011.01.001


いのちの電話

http://www.find-j.jp/

 

精神福祉センター

www.mhlw.go.jp/kokoro/support/mhcenter.html

 

保健所

http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/hokenjo/index.html

投稿者: administrator

Mental health blogger, researcher, social anxiety/selective mutism survivor.