場面緘黙症を発症した日のこと

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幼稚園初日。その日、年少クラスで実施された活動はなんとフリータイムであった。そして私が場面緘黙症を発症したのはそのとき、つまりそれ以来話せなくなった。

正確な意味での幼稚園初日である入園式はクリアできた。ごく普通の子供の顔をして写っている入園記念写真がある。入園式のことは憶えていない。入園式では親と行動していたせいだろうか、不安を感じなかったために記憶にないのだろう。

だが、あの登園初日のフリータイムのことは今でも鮮明に憶えている。なんと初日から場面緘黙児の多くが苦手とする集団活動のひとつ――自由行動が課されたのだ。

普通の子供にとっては、幼稚園や学校の自由時間、休み時間は、最も楽でうれしい活動時間のようだ。しかし、私にとっては、何も決められていない不確実な状況は、最も苦手とするものであった。タスクが決められていればそれをこなせばいい。だが、フリータイムに放たれると、混乱する。たぶん、普通の子供と正反対なのだろう。

 

その日の朝、私は初めて幼稚園バスに乗った。

バス停で母親と別れバスに乗るのは、簡単だった。バスを待っているとき、近所の同じ年の子供たちと一緒だった。皆、激しく泣いていた。私以外。

幼稚園に行くから、お母さんと離れるのが悲しいんだな。みたいなことを思った。なぜ皆が悲しさを感じているのか、それは理解できた。

私だけ泣いていないな。とも思った。そして、私だけ悲しくない、不思議だ、と思った。

「えらいわね。泣かないで、良い子ね、うちの子と全然違う」他の子のお母さんたちは泣き叫びしがみつく我が子をなだめつつ、口々に私をほめた。

何かが変だ、と思った。私だけ悲しくない。母親と離れるのを不安に感じていない。(注)

当時、母親が嫌いだったのではない。他の子が不安になっている理由も理解できた。ただ、私だけ、皆と同様の気持ちがひとつも生じないのだった。

 

これまでの人生で、精神が奥のほうから崩れる感覚に見舞われた経験が二度ある。

直近では、大きな学会で口頭発表を行う最中に、不安発作を起こしたときだ。社会不安障害を患っていると知っていたのに、治療も受けずに無茶なことをやってしまったと思う。

もうひとつは、この幼稚園初日。

両者の記憶とも忘れることにして長年が過ぎた。そんなふうに記憶をも回避し、社会不安障害が悪化するのみだったのが認知行動療法を受けて回復した。それは直近のほうの記憶からの回復でもあった。

もうひとつの、幼少時のほうの記憶。これは長らく触れたくなかった。気持ちが悪いからだ。

思い出すと、あのときの、あの感じが、蘇ってくる。胃がしぼんでいくような感覚。手足の神経は張り、のどが固まっていくような締め付けられるような感覚。それがのどからじわじわと広がり私の体を支配していく。体が私の意思を離れて、別のものに支配されていく。それを感知すると同時に、私の思考は危うくなる。逃げなければいけない。高速で勝手に回転する何かが、私の思考を勝手な方向に展開させていく。気持ちが悪い。

バスが幼稚園に到着し、教室に案内される。

教室にはたくさんのおもちゃが床中に設置されていた。

それまで泣いていたり、不安そうな面持ちだった子供たちは、途端に軽やかな表情になり、おもちゃに向かって一目散に走っていった。

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教室は夢中で遊ぶ子供たちの声で賑やかで、たぶん、普通に考えれば平和な光景だったのだろう。

歓声のけたたましく響く教室で、私はひとり立ち尽くしていた。どうしよう。どうすればいいんだろう。

体がうまく動かない感じがあった。思考もうまく動かない感じだった。どうしよう。私はそこに立ち尽くしていた。ものすごく困っていた。

 

先生が何もできず立ち尽くしている私に気づき、手をつないでくれた。「何して遊ぼうか」と教室を一緒に歩いて周った。

先生は誰も使ってないおもちゃに私を導くのではなく、すでに複数の子供たちが一緒に遊んでいるグループへと導いた。「おままごとは好きかな」

何も言えない。何を言えばいいのか分からない。おままごとが好きかどうか。そのような質問はそのときの私からすると極めて的外れに思えた。

「じゃ、あっちに行こうか」先生は硬直している私の手を引き、別の女の子たちのグループへと導く。「入れてあげてね」そう女の子たちに言い、先生は去って行った。

なんてこった。

女の子たちは大きな木のおうちみたいなおもちゃで一緒に遊んでいる。皆、無心に遊び、互いに喋っている。

私はその子たちのグループに体だけ置かれた状態となり、何もすることもできず、そこに佇んでいた。そこに存在している。現実の渦中に身を置いていることが、ただただ苦痛であった。

長い時が経過したように思えた。女の子たちは固まっている私のことなどすっかり忘れているようで、無心に遊び続けている。

先生が再び私の様子に気づき、声をかける。「別の遊びがいいかな」

私の手をつなぎ、教室を一緒に歩いて周り … しかし、何度繰り返しても、だめなのだった。

 

精神が奥のほうから崩れる感覚と言ったが、大人になってからの不安発作と幼少時の緘黙状態とでは、その崩れていく様子は異なる。

不安発作は突発的で単発的。短時間しか持続しない。そして激しい。

緘黙状態は持続的であり、見えない何者かにじりじりと脅され続ける感じ。静的であるため、外から見れば、私の様子はどの子よりも落ち着いているように見える。私の内部で起こっていることは誰にも見えない。

内部で何が起こっていたのかを説明するのは難しい。あえて比喩的に表現してみると、こんな感じだ。

体中を縄で縛られ自由を奪われている子供に、何者かが刃物を突き付けている。ところが、縄も、刃物も、危害を与えようと執拗にじりじりと脅す何者かも、誰の目にも見えない。子供は執拗に脅され続け、怯えきっている。そこへ、先生が笑顔でやってきて、

「何して遊ぼうか」

遊んでる場合ではない!

こんなふうで、先生の優しい問いかけが、私には限りなく異様で場違いに聞こえるのだった。

だって、縛られた子供を発見すれば、助けるだろう。刃物を突き付けられている子供を発見すれば、なんとかして救おうとするだろう。そして助け出した暁にはトラウマが少しでも癒えるよう尽くすだろう。

仕方がない。目に見える形で恐怖を与えられた場合と異なり、見えない恐怖に陥った場合、救出も、癒しも、期待できないのだった。そこには終わりがなく、毎日、何時間にも渡り、何年にも渡り、恐怖の中に留まる。

そして、様子がおかしいことに気づいてもらえても、優しい言葉をかけてもらっても、常にどこかが激しく的外れにならざるを得ないのだった。この圧倒的な分かり合えなさ。説明不能な危機的状況。

優しくされても、褒められても、多くの場合、私の中に生じるのは的外れで場違いな印象であり、誰かと楽しんだり悲しんだりという経験も、感動を分かち合うという体験も、ほとんどなかった。これが毎日、何時間にも渡り、何年間も繰り返されれば、大人になっても孤立した感覚が拭えないのは自然なことのように思える。

どこに行っても、何をやっても、周囲と異なる感覚に襲われる。私の内部に生じるその異様な内的状態は外からは見えない。表現することもできない。閉じ込められ、ひとり、誰にも見えない孤独の中に生きる。

今でも、あの孤立した感覚の中に閉じ込められている錯覚は頻繁に自然に生じる。

 


(注)

これは私の場合は分離不安がなかったという話であり、場面緘黙児に共通の傾向ではない。小規模の調査であるが、14%の場面緘黙児が分離不安障害(separation anxiety disorder) を併発していたという報告もある (Carbone et al., 2010).

 

References

Carbone, D., Schmidt, L. A., Cunningham, C. C., McHolm, A. E., Edison, S., St. Pierre, J., & Boyle, M. H. (2010). Behavioral and Socio-emotional Functioning in Children with Selective Mutism: A Comparison with Anxious and Typically Developing Children Across Multiple Informants. Journal of Abnormal Child Psychology, 38(8), 1057–1067. http://doi.org/10.1007/s10802-010-9425-y

投稿者: administrator

Mental health blogger, researcher, social anxiety/selective mutism survivor.