先日(2017年4月16日)、英国のハリー王子がデイリー・テレグラフ紙とのインタビューにおいて自身が精神的な病に苦しんでいたことを語った。
30分におよぶインタビューは上記テレグラフ紙のリンク先で聞くことができる。インタビューにおいて、ハリー王子は社会的場面において fight-or-flight response(闘うか逃げるか反応 / 闘争・逃走反応)を起こすという不安症状に悩まされていたことを明かしている。同時期、自身からこみ上げてくる攻撃性に苦しんだこと、そこで兄であるウィリアム王子が専門的サポートを受けるようハリー王子に促したこと、カウンセリングを受けて回復へ向かったことが語られていた。
私がハリー王子のインタビューについて書きたいと思った主な理由は、彼が社会不安障害の症状を思わせる闘うか逃げるか反応について語っていたからでも、以前から彼がマスコミに社交不安的症状を明かしていたからでもない。彼の語りには精神を病んだ者が回復へと歩み始めるときに自らの言葉で語るあの独特の流れがあった。そこに社会変革へ向けた決意があった。
そのナラティブの構造を簡略にまとめると、きっかけとなる悲劇、まっすぐに向き合えば圧倒されてしまうほど強大な感情に対する体験の回避、感情を殺して生きてきた年月を経て家族に打ち明け治療を受け始める転換点、そして抱えつつも回復へと向かう未来への決意からなっていた。言葉には自身の体験と正面から向き合おうとする勇気、そして正直さに満ちていた。何よりも私が心を打たれたのは、個人的な理由からであり、それは彼の言葉が私自身の闘病経験と大きく重なるのを感じたからだ。
彼の話が聴く人の個別の異なる体験との重なりを可能とするのは、診断名や疾患名を一度も出さずに語ったことも関係しているだろう。一般に日常で使われる anxiety(不安)や aggression(攻撃性)といった単語でその症状を、自分の言葉でその「感じ」を語ったからこそ、多くの人々の体験と重なったのだと思う。
病んだ経験を語るのは難しい。
病を語るとき人はその病名に頼りがちであり、その病名への依存のせいで語れば語るほど本来語とうとしていたその病の経験の個別性を失い、病名という平たい板の下で自分の経験を不当に一般化してしまう。
ハリー王子は今回自分の言葉で個人的経験を語った。それ故に多くの人々の経験と重なり合い人々の感情を共起させた。 “ハリー王子が公に語った精神的苦悩:精神の病、ナラティブ、スティグマと社会変革” の続きを読む