出来事と感情を区別するのは、認知行動療法でやるコラム法・認知再構成法でも基本のひとつと理解している。それでいて、何年やってもこれが難しい。
何が難しいかって、出来事の記述が難しい。自動的に湧き上がる感情は遭遇した出来事と割れ目なくくっついている。割れ目のないところに適当に見当をつけて、割れ目を作り、引き剥がしてみるのだ。きれいすっきりとは引き離せない。難しい。
たとえば、私は「大人しいね」と言われるのが嫌いである。
大人しいと言われた途端、すごい速さで自動的に不快感が生じ不安と混じり合い、慌てる。言葉はおろか、形も、輪郭もない、心身を高速で巡っていった不快な何かを言語化してみる。
「まともに喋れないのがバレた。変な奴だと思われているに違いない」
「大人しいね、だって? なんて、野暮なことを言うんだろう」
「もうダメだ。普通の人ではないのがバレたのだから、今後この人とはまともな関係は築けないだろう」
「これ以上の醜態を晒す余裕は私にはない。二度とこの人と会わないようにしよう」
不安、怒り、絶望、回避思考… 次々に出てくる。 “感情を交えず出来事を描写することの難しさについて” の続きを読む