私は人に頼むという行為が嫌いである。
具体的に言うと、自分の事情のために誰かに「これをやってください」と頼むのが嫌いだ。人に何かを言うのはOKである。たとえば、上の立場の人に生意気なことを言うのは平気だったりする。意見を申し上げて嫌われるのも平気だったりする。それなのに、自分の困りごとを他人に解決してもらうために話しかけ頼みごとをするのは嫌だ。
別件について頼む場合はOKである。自分のことでなければ。たとえば、「あの、すみません、ある方が今困っておりまして、あなたがあることをやってくだされば、その方は助かるのですが、お願いできませんか」と頼むのは難なくできる。躊躇すらしない。
が、困っている人が自分となると私の頭の中で事態は完全に別の方向を辿る。自分が困難を打破するために、誰かに事情を話して私を助けてくださいとお願いする。それは嫌だ。絶対に嫌だ。
そういうふうなので、一度困ってしまうと出口がない。考え込み、躊躇し、先延ばしにする。その間、なんとかして自分ひとりで解決できないものかとあれこれとひとり調査を重ねる。延々と誰かに頼まなくても済む方法が見つかるのを願いつつ、ひとり沈黙のまま、こそこそと作業を進める。それで解決する場合もある。なにしろ、そんな状態になった私はとにかくしつこいのだ。けれども、解決しない場合もある。
今回の状況は、頼まねば解決しない状況だった。認めねばならなかった。しかも、期日が迫っていた。さらに悪いことには、私が今誰かに頼まなければ、ある件である人が私のために着々と準備を進めてきた努力が無駄になるという状況だ。頼まねばならない。ああ、嫌だ。だがやらねばならない。
この件は、私が個人的によく知らない教授に頼まねばならないだろう、というところまで私の嫌がる思考は辿り着いた。
私がおかしいのだとは気づいていた。ここにこそ私の根強い信念がある。先送りにして、自分を袋小路に追い詰めてしまう、思考の悪循環がある。そんな匂いがした。そこで、思考記録表7コラムの形式に従い、今回の私の様子を綴ってみようと思った。 “「自分のために誰かに頼むのが嫌いだ!」の思考記録” の続きを読む