メンタル資本とは何か

「体が資本だからね」とは言うけど、「心が資本だからね」とは言わない。ところが、心のほうが資本であると強調する政策プロジェクトがある。

”メンタル資本”という概念に出くわしたのは、日本で社会不安障害の有効な治療が充分に施されていないことで、どれだけの経済損失につながっているのだろうかと思っていたときだった。

鬱病や自殺による経済損失については語られることがある

社会不安障害による経済損失はどうだろうか。

自殺に至る病でもあることや能力があっても社会生活を送ることができなくなってしまうという疾患の性質、認知行動療法等の効果の高い治療が未だ充分にアクセス可能な形で提供されていなために回復が困難となり、結果として罹患者が福祉に頼らざるを得ない状況に陥りがちであることも考えると、相当の額の表面化しない経済損失が生じているのではと思われる。

そんなことを考えていたとき、 Nature 誌の記事 (Beddington et al. 2008) でメンタル資本という概念を知った。

記事は英国が打ち出した急進的なメンタル政策プロジェクト(Foresight Mental Capital and Wellbeing Project) について紹介している。英国はなんと二年がかりで国民の精神の充実と経済に関する大規模研究を実施。本気度の高さがうかがえる。

その研究結果に依拠して作成されたメンタル政策プロジェクトでは、国家が国民の精神の健康を揺り籠から墓場まで保障することを打ち出している。

国民一人ひとりが常に精神的に充実し能力を発揮できるよう導いていくこと、つまりメンタル資本を増大させていくような政策を実施することが、今後ますます国民が精神を病みがちな方向に複雑化してく社会において、国家が繁栄するための重要な鍵となると指摘する。

A key message is that if we are to prosper and thrive in our changing society and in an increasingly interconnected and competitive world, both our mental and material resources will be vital. Encouraging and enabling everyone to realise their potential throughout their lives will be crucial for our future prosperity and wellbeing.

主要なメッセージとしては、変容する社会、且つ、ますます密接となり競争化する世界において、我々が繁栄し成功するつもりなのなら、精神的、物質的な資源の両方が必要不可欠となるということだ。皆が一生を通じて潜在能力を実現できるよう奨励し可能にさせることが、我々の未来の繁栄と幸福のためには決定的に重要となってくるだろう。

Foresight Mental Capital and Wellbeing Project p. 9

精神を資本と結び付けて考えることには抵抗を感じるかもしれない。

しかし、現実的に考えると、資本と結び付けることで初めて実際に効果を導くことのできる抜本的な改革が可能となる。

実際に社会は複雑化し続けるし、原始社会には戻れない。現実的には、資本主義体制の枠内で、資本が動かしていく力を利用して心の健康に軸を置いた社会に変えていくことになる。

そのとき、局所的に見ていると動かせない。

例えばSADになり働けなくなっている人にしっかりしろと言ってみたり、現金を支給するなどの局所的対策をとってみても、適切な治療を提供するシステムが機能し始めない限り何も変わらない。

同様に、精神科医に薬を出すばかりで治療する気があるのかと責めてみても、そうすることでしか医院経営を成り立たせることができないシステム下では、不本意でも薬を出すだけの治療になる。

精神疾患者や社会的弱者がかわいそうだからというチャリティー的スタンスから動かしていこうとしても、大きな力は生じず、現実には制度は動かし難い。

局所的なそれぞれの部分が全て得をするように、大局的なシステムを動かしていくことで、メンタル政策プロジェクトを実現させていくことになる。

そんなふうにして、結果として、国民の精神の幸福・健康 (Mental wellbeing) が保障される制度が成立するのなら、目的は達成される。

By: John Abella

 

メンタル資本 (mental capital) とは何か

This encompasses a person’s cognitive and emotional resources. It includes their cognitive ability, how flexible and efficient they are at learning, and their “emotional intelligence”, such as their social skills and resilience in the face of stress. It therefore conditions how well an individual is able to contribute effectively to society, and also to experience a high personal quality of life.

The idea of “capital” naturally sparks association with ideas of financial capital and it is both challenging and natural to think of the mind in this way.

個人の認知・感情資源を包括するもの。それが含むのは、人々の認知能力、いかに人々が柔軟に効率的に学習するか、そして社会的スキル、ストレスに対峙した時の回復力といった”感情知能”である。ゆえにメンタル資本は、いかによく個人が効果的に社会に貢献することができるか、また、いかに高度な個人的生活の質を経験することができるかを条件づける。

”資本”という概念は自然と金融資本という概念を引き起こし、精神のことをこのように考えるのは、挑戦的であると同時に自然なことでもあるのだ。

(Ibid. p. 10)

精神の幸福・健康(mental wellbeing) とは何か

This is a dynamic state, in which the individual is able to develop their potential, work productively and creatively, build strong and positive relationships with others, and contribute to their community.

It is enhanced when an individual is able to fulfil their personal and social goals and achieve a sense of purpose in society.

動的な状態であり、そこにおいて人は潜在能力、仕事の生産性や創造性を伸ばし、強固でポジティブな関係を他者と築き、共同体に貢献することができる。

精神の幸福・健康は、個人が個人的・社会的目的を満たし、社会での目的意識を達成することができるとき、向上する。

(Ibid.)

精神の幸福・健康を保障する政策は、生きる意味も目的も見い出せない不幸な状況に人々を陥らせない、皆が生き生きと幸福に生きることを保障する政策ということになる。

 

メンタル資本と win-win の法則

この英国の急進的メンタル政策プロジェクトは、皆が得をすることに重点が置かれているため win-win であると言われていて、プロジェクト書面上でも win-win という言葉が使われている (p. 20)。

皆が得をするために、まず、メンタル系予防医療にリソースを注ぎ、教育・家庭の場での学習障害等への早期介入を可能にするとしている。そうすれば子供達のメンタル資本は減少されることなく、増加させることができる。そうすることで、成人後の精神疾患や二次障害を予防していく。

さらに、人々のメンタル面での充実が不可欠であるという前提に立ち、自己は常に社会の一員としてかけがえのない存在であるという感覚を養っていき、孤独に陥ることのないような高いメンタル資本を備える精神を育てる。成人して仕事に就いてからもメンタル面にダメージを与えていく可能性のある場面にも対応できるよう、様々な社会的スキルを伸ばす教育を施し、人々のメンタル資本を増やしていく。

そんな人々がメンタル系疾患に陥ることなく充分に能力を発揮できるメンタル資本豊かな社会では、福祉に頼らねばならない人は減り、社会保障費も抑えることができ、労働者も、企業も、国も潤う。

成年期以降は職場でのメンタルケアと効果的な精神医療へのアクセスを充実させること、老年期にも精神を充実させることで生じた余地を老年期のメンタル疾患以外の医療に充てることができるとしている。

そういうふうにして、揺り籠から墓場までの精神の健康を育む政策を、メンタル資本と精神の幸福を政策決定の中心に置く “placing mental capital and well-being at the heart of policy-making” (Beddington et al. 2008: 1060) という政策立案上の大変革を、皆が得をする形で実施しようとしている。

もちろん実際にはこれらの理想が簡単に実現するのではなく、様々な試行錯誤を経るのだろうが、実現すれば確かに皆が得をして、メンタル資本的に持続可能な社会が実現する。そして、まず最初に皆が得するということを具体的に強調しなければ、政治も国民も説得できないし、社会を変えていく力が生じず、何も始まらない。

反対に、何もしなければ、深刻な結果をもたらすとされている。”However, failure to act could have severe consequences” (Beddington et al. 2008: 1060).

日本のメンタルケアの現状はちょうどそこにあるのかもしれない。何ひとつ抜本的な改革を行うことができなかったために、既に深刻な結果がもたらされた状況。

 

メンタル政策を巡る誰もが損をする現状

Win-win の対極に lose-lose の法則がある。

負のスパイラルに嵌り、皆で敗れていく。

そこには誰もがもれなく損をするシステムがある。

ますます競争が加速化する社会に人々はついていけず、次々にメンタル系疾患に陥る。社会保険料を払っていても、精神医療システムが充実していないので、治るはずの疾患も治らない。鬱になり仕事を辞める人は減らない。ひきこもりは減らない。自殺者は減らない。多くの人達が福祉に頼る。生活保護基準を引き下げる等の政策が実施される。内容が明快に説明されないまま社会保障の充実の名の下で増税。精神医療に対するネグレクトは続く。

厚生労働省における自殺・鬱病等への対策を見ると、問題点は明快に認識されているし、精神科医療の改革、認知行動療法の普及が必要であること(柱5)も記されている。

それらの改革を実現させていくための具体策や、精神科の現場や患者が皆無理なく恩恵を受けられるように局所的なところの歯車をいかに動かしていくのかといったダイナミックな政策の姿はなかなか見えてこない。


p.s.

私自身の経験では、明らかに周囲の子供たちと様子が異なっていたにも関わらず、何ひとつ早期介入らしきものは行われず(「皆と同じように喋りなさい」と叱られるという不適切な介入を除いて)、高校卒業する頃には既にメンタル資本と呼べるようなものは枯渇していたように思う。適切な早期介入があったら、社会不安障害にもならなかったかもしれないとも思う。

p.p.s.

心が資本という考え方が社会に浸透すれば、「メンタル資本」という言葉が新語的に拡まり、日常的に使われるようになったりするかもしれない。

「メンタル資本減少中」: 疲れた。何もする気がしない。

「メンタル資本を増やそう」: しばらく休む。

同じことを言うにも、「メンタル資本…」で始めると、罪悪感が消え、突然、生産的でポジティブな響きを帯びてくるから不思議だ。

 


References

 

Beddington, J., Cooper, C. L., Field, J., Goswami, U., Huppert, F. A., Jenkins, R., … Thomas, S. M. (2008). The mental wealth of nations. Nature, 455(7216), 1057–1060. doi:10.1038/4551057a

The Government Office for Science, London. (2008). Foresight Mental Capital and Wellbeing Project (Final Project report). Retrieved from http://www.bis.gov.uk/assets/foresight/docs/mental-capital/final_project_report_part1.pdf

投稿者: administrator

Mental health blogger, researcher, social anxiety/selective mutism survivor.