果てなく深刻になり思い悩み続ける癖


先日、近所の大学で軽くプレゼンした際、おやっと思ったことがあった。

私の感じ方と他の人たちの感じ方に距離があるのだ。

もちろん全てにおいてではない。これはものすごく重大で深刻な問題だ!と私が感じている対象について、他の人たちは随分と鷹揚に構えているのである。
具体的には、私がプレゼンを終えたときに、ある教授が質問した。「そこの、その部分。それはXXではないのかね」

XXというのはある概念なのだけれど、それはこの30年くらいの間に、分析を単純化するために考案されたものだ。しかし、実のところ単純化しようとすること自体間違っていたのだ。XXというもの。それは実在すらしない。楽をしようという研究者の怠け心が生み出した概念でしかない。

そこで私は言った。
「XXというのは、実は私は信じていないんです。そんなものはないんです。半世紀前に~(超有名な学者)さんがそう言いましたよね。私も同じ立場をとります」
その途端、聴いていた人たちはもう大喜び。手を叩いて声をあげて、「そうだ、そうだ」と笑っている。

どうなっているんだ、これは。わけが分からない。なにがそんなに楽しいんだ?

だって、それを言ってしまったら、XXなんて存在しないと言ってしまったら、この30年間多くの研究者が積み上げてきたものが一瞬にして塵と化すのだ。また最初からやり直しだ。今後、解決に向けて長年果てしない時間がかかるでしょう。楽しくもなんともない、この上なく深刻な状況にあるのだ。それなのに、そこに気づいているはずなのに、この人たちは深い悲観を私と共有してなどいないようだ。

思い返してみると、これまでの人生で似たようなことが何度かあった。私が超深刻に考えている事柄について、他の人たちはその深刻さは分かっているはずなのに、深刻な事柄についてそれなりの距離がとれていて、考え込み思い悩むほどのことはない。

こういうところも、社会不安障害を患う要因となっているように思える。

深刻さを認識して、その問題に真剣に取り組むのはよい。

けれどもその深刻さに心をすっかり奪われ不安に呑まれてしまう。何日も何年も悲観に暮れてしまう。そういうところが私にはあるようだ。

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