自分に厳しいのと意地悪なのとを混同していた

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一年前、クリニカルサイコロジストのジャネットさんに指摘されたこと。

「自分に対してだと途端に意地悪を言う。自分をいじめておいて自分で気がつかない。友達には優しくできるのに自分のことはいじめる。なんて不公平なの」

ほんと、そうだよな。

今ではそう思う。

けど、言われるまで、全く気がつかなかった。

毎日当たり前のように自分に意地悪な言葉を投げ、それがいけないことだと自覚することはなかった。

それどころか、美徳か何かと勘違いしてた。

自分に厳しくしている。そんなつもりだった。

自分に厳しいってのは、全く違うよね。

厳しくするっていうのは、その人が良い方向に向かえるように厳しくする。

自分に厳しいっていうのも、自分が良い方向に向かえるように厳しくする。しっかり能力を発揮できるようにバランスをとりながらがんばる。そういうことだ。

そもそも、同じ状況で同じように緊張していたとき、それが自分以外の人なら、「大丈夫。きっとうまくいくよ」と優しい言葉をかけ、

それが自分自身なら、

「なに緊張してんの? そんなちっちゃなことで震えてるんじゃない。一体いつになったらまともに振る舞えるようになるの? 意思が弱すぎるからそんなふうになるんだよ。ほら、今回も失敗だよ。大失敗。また、みんなに迷惑かけるんだよ。また全てを無駄にする気? 一体どれだけの人数の人の仕事が無駄になると思ってるの? もういい加減にしなさいよ。いつまでそんなふうに生きてるの? 生きてる資格なんてないんだよ」

すげー暴言。なんか、今、自分で書いていて呆然とする。

 

人としてどうなんだ。

そんなひどい言葉を投げるなんて。

相手が誰であろうと、そんな言葉を投げつけるなんて、人間としてあり得ない。自分自身だからいいってもんじゃない。そんな言葉を投げる。それ自体が暴力行為だ。

だから、やってはいけないことだった。こんな単純なことが分かっていなかった。

相手によってかける言葉が180度違うなんて、それもあり得ない。

ダブルスタンダード。

同じ人間から同じ状況に対してこれだけ異なる言葉が発せられるなんて、コワすぎる。

どっちが本当なの?

それを考えてみたとき、友達にかける言葉のほうが本当だ、そう思った。

友達のプレゼンはうまくいくよう願ってやまない。うまくいくとうれしい。

自分のことのようにうれしいという表現があるが、この表現が、この場合には当てはまらない。

なぜなら、自分がうまくいってもうれしくないからだ。自分の成功は過小評価して忘れてしまう。他人の成功は素晴らしいと思う。

徹底的なダブルスタンダード。

自分を上手に導くことができるようになって、そんな人間になれて、初めて人にかける優しい言葉に意味が生じる。今ではそう思う。

自分に対してかける言葉と他の人に対してかける言葉が異なるようでは、どんなに友達が幸せになるように願っても、その願いの言葉には意味も力も生じない。

一貫性のないところに意味なんて生じない。

たぶん、自分を大切にできるようになって、初めて本当の意味で周りの人達を大切にできるようになる。

自分の能力を発揮できる人間になって、初めて周りの人達の能力を伸ばす手助けもできるようになってくる。

だから、本当に周りの人達に幸せになってほしいなら、その一番の近道は自分を大切にできる人間になることなのだろう。

そんなふうになりたいと思う。

そんなふうになれる日がいつか来ることを信じて毎日がんばってみようと思う。

投稿者: administrator

Mental health blogger, researcher, social anxiety/selective mutism survivor.