心理のプロに頼ることの大切さ

セラピーを受けて他人であるプロのセラピスト(クリニカルサイコロジスト)の手に治療を委ねる、いわば他人に助けを求めることは、多大な力を発揮するのだなということ。それが私が病と向き合うというプロセスについて感じていることだ。

認知の歪みとか、考え方の癖とかのことは、不安障害関係の本に書いてある。けれども自分の思考のパターンについて客観的に分析していくのは難しい。

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だって、自分の頭の中でだけで、ぐるぐる思考が廻っているのだから、自分の声で懸命に考えてみたところで、自分の声は同じぐるぐる回路を巡ってしまう。それは難しいだろう。

しかも、日常生活においては、社会不安障害の人は普通の人であり、少しおとなしい印象で、人に優しく、心になにかを抱えた人だとは思われない。外に出られないほどになってしまっても、「元気なのに、なんで? 甘えてるんじゃないの?」なんて思われてしまいがち。医療の助けが必要だと気づく人もいなければ指摘してくれる人もいない。

そして、ぐるぐる、ぐるぐる、自分の性格や努力不足の問題だと思い込み、何やってるんだ、しっかりしろよ、と自分を責め、無駄な努力を続ける。社会不安障害は悪化していく。

ぐるぐる、ぐるぐる、終わりがない。

 

私は、クリニカルサイコロジストのジャネットさんと出会って、初めて他者の声が自分の思考に介入することを許した。

もちろん、人と話していれば、その人の話す内容についてなるほどと思ったり感心したりはするものだが、人の意見が自分の頭の中で起こる思考の流れを止めたり、流れの方向を変えたりするほどの意味を持つことはなかった。

自分なりに考えられることは、ぶれずに考えを進めていけることは、概して良いことだ。

社会不安障害のぐるぐる思考を除いては。

一番治療で大きかったのは、セラピストの声を強く信頼できたことだと思う。

ジャネットさんは人の気持ちをくみ取りながら、私の思考がぐるぐると廻って落ちて行ってしまいそうになるたびに、私自身はそうとは言わないのに、絶妙のタイミングで感じ取り、即、舵を取り、私の思考を適切な方向に引っ張っていった。

たとえば、行動療法の1~2回。(過去記事1; 過去記事2 参照)

徐々に不安場面に曝していく行動療法。否定的な自分の声は幾度となく湧き上がった。その度にジャネットさんは肯定的な声をかけた。

するとふたつの相反する声が心の中で交差する。

いつもだったら、否定的な自分の声は絶対だった。けど、私はジャネットさんの声を絶対とした。絶対に間違うことのない、正しい声。治療に際して、そう思い込むことに決めていた。

最初は簡単なことではなかった。他者の声を絶対とするなんて、慣れないことはなかなかできない。

けど、いちどうまくいくと、ジャネットさんの言葉は正しい!ということを前提にして行動したらうまくいってしまうという経験を経ると、それがとっても楽なのだった。
それに不安場面に接した自分の思考はアウトオブオーダー。故障中なので、使い物にならない。だからジャネットさんに考えてもらえばいいのだ。だって、そうすれば、考えなくていいのだ。ジャネットさんの言葉の向きに合わせて流れていけば、それだけで、懸命に考えなくていいのだ。楽でしょう。

クリニカルサイコロジストの声が正しく、私はその声についていけばいい。

そうしたら、自分の中から湧き出てくる否定的な声に呑まれる前に、ジャネットさんの声に乗って逃げ切ることができるようになった。

さらに、ジャネットさんのいないリアルな状況でも、他の不安場面に際しても、ジャネットさんの発するであろう声を、不安の声と相反する声を、ちょうどよいタイミングでさっと心の中に投げ入れ、それに乗ってうまく不安に巻き込まれなくなった。

ようやく、学習できた。これは他者の声をもってなくしては、できないことだったように思う。自分だけでもがいていてはできないことだった。

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投稿者: administrator

Mental health blogger, researcher, social anxiety/selective mutism survivor.