怖いのは特定の場面ではなくその場面で震えること

高所恐怖症を発症しそうになった事件と二度の学会発表を経てわかったことがある。

それは、恐ろしいと思っていたのは、特定の場面ではないということ。

とっても恐ろしいと思っていたのは、体が震えてしまうこと。

声が震えてしまうこと。

そして話せなくなってしまうこと。体のコントロールを失い、死にそうになってしまうこと。

不安発作が起こってしまうこと。それ自体が怖かったのだ。

私は症状が出るのが怖かったのだ。

当たり前のようでわかっていなかった。

そして、このことがわかるというのはとても大切なことだと思った。

なぜなら、このことがわかれば、特定の場面と不安発作の繋がりを断つことが可能であるとわかるから。

このブログの一番最初の記事で書いた。治療を受ける以前はパニックを起こす状況に身を置くと、必ずパニックが引き起こされると思っていた。

しかし、これは違う。根本からして間違っている。

なぜなら、当然のことながら、不安からくるパニック発作は、外界(体の外の世界の特定の場面)によって物理的に引き起こされるわけではないからだ。

本人が、ある特定の場面に身を置くと、必ず発作が導かれると強く信じている。

そのために、その場面に際すると(際する前からも:予期不安)、異常に緊張して、さらに以前にその場面で起きた発作や体の震えを思い出し、それらの恐ろしさが詳細に心によみがえり、以前発作を経験したときのように恐ろしくなり、結果として、再度その場面で発作が起きてしまう。

上に長く書いたが、その心のメカニズムは一瞬のうちに一気に起こってしまうものなので、本人にとってみれば、特定の場面がぱっと自分の中に発作を引き起こしたかのように感じられます。

電灯スイッチを入れるとぱっと明りがつくように。

けど、スイッチだって、配線に手を加えれば、部屋の明かりがつかなくなったり、別の部屋の明かりがついたりするのだ。

同じように、頭の中に出来上がってしまった配線に手を加えて、変えてみる。

別のところに明かりが灯るように変えてみる。

この作業を成功させること。

不安場面に身を置く。

不安が沸き起こる前に自分に言い聞かせる。

「この場面が怖いんじゃない。この場面と恐怖は関係ない。切り離すんだ。恐怖は自分の頭の中で起こることなんだ」

さらに、恐怖が起こるときの思考(「みんなが見ていて私が震える様子にきづく。きっと変だと思う」、とか)と正反対のことを考える。

「誰も私のことなど見ていない。みんな自分のことで忙しい。美味しいもの食べたいな、とか、宝くじ当たらないかな、とか思ってる。みんな自分のことにしか関心がない。そして、私がここで万一震え始めてしまっても、誰も特別に気にとめない。体調が優れないのかな、くらいにしか思わない。それに、世の中親切な人が多いので、もし私が本格的に震えはじめたら、『おっ、この人は具合が悪いんだ』と思った誰かが助けてくれる。それ以前にもし本格的に不安が始りそうなら、震えはじめのときに自分で『ちょっと具合が…』と言って、座りこむなりしてしまえばいい。息が荒くなるから発作になる。息を落ちつけよう。そして、落ち着いてから、行動を再開すればいい。それだけのことだ」

と一気に自分に語る。

過去のトラウマにより頭の中に出来上がっていた不安回路は別のところに繋げられる。

「なんとかなる」と思える。

そこまでいけば、「なんとかなる」

だって、回路を変えたから。不安が起こる回路は無効化されたから。

なんだ、こんな単純なことだったのか。

 

前回の記事で、高所恐怖症になりそうになったと書いた。逆に言えば、どんな恐怖症にもなり得るのだろう。

不安回路を作り温存する癖があるか、ないか。なければ、どんなことに関しても恐怖症にはならない。

誰でもちょっとした恐怖を感じることはあるでしょう。

最初はちょっとした不安感だったかもしれない。日常生活で感じたちょっとした不安。それがトラウマ化するのを防ぐ方法を知っていれば、過剰な恐怖なしに、大切なことを回避せずに生きられる。

前回の記事で、塔に登り始めたとき、私は不安発作にあった。

恐ろしいと思ったけれど、心を落ち着かせようと、呼吸を整えた。

そうしたら、不安は次第に弱まり、感じられなくなった。

さらに、登り始めのときに膨らんだ不安感は、息が荒れたせいだとわかった。

息が荒れると小さな不安感も肥大して心を蝕んでいくのだ。

さて、もし、あのとき、以前の私のままだったら、どうだったろう。

不安発作が起こり、心を落ち着かせるすべもなく、不安に呑みこまれていたかもしれない。

自分の心の中に起こっていることが、fight-or-flight response (闘うか逃げるか反応)だと気付かず、呼吸を整える方法すら知らなかったら。

おそらく、トラウマとなり、しっかりと高所恐怖症を発症していたことだろう。

日常生活に支障をきたすこととなっていただろう。

これらを逆に見ると、やはり特定の場面は不安とは関係ないということになる。

だって、過去のトラウマによって不安発作を起こす癖があれば、あらゆる場面が不安発作の原因となり得る。次々に不安発作を起こし、通常の生活を送ることができなくなってくる。

次々に不安場面が増えていく=場面と不安は関係ない

ということになる。場面は関係がない。ふとした偶然で感じた不安。小さな不安が起こるたびに、その不安が起こった場面が苦手になる。

わかってきた。当たり前のことのようだが、ようやく硬い殻が剥けた感じ。

医師が認知行動療法に行かなきゃよくならない、薬だけじゃよくならないと言っていた理由がわかった。今なら納得できる。

薬で頭をもやっとさせて不安を消しても、根本的には解決しない。

頭の中の不安が発生する回路は薬でもやっとさせたところで不安思考回路の方向を変えていくことはできない。

やっと、わかってきた。私が怖れていたのは恐怖それ自体だった。

投稿者: administrator

Mental health blogger, researcher, social anxiety/selective mutism survivor.