そもそも「恐怖麻痺反射」とは何か:原始反射統合を唱える不穏な動きについて

原始反射の統合ワーク?

「恐怖麻痺反射という原始反射があります。恐怖を感じると動けなくなる反射です。胎児が胎内で生物として進化していく過程で消失するものなのですが、お母さんの胎内にいるときお母さんがストレスを感じたりすると、生まれてからも赤ちゃんに恐怖麻痺反射が残存するため、恐怖を感じると固まり、その子は場面緘黙になるのです。でも大丈夫。残存した恐怖麻痺反射を他の原始反射と統合していけばいいのです。身体アプローチで統合していきましょう」

上記のように 「恐怖麻痺反射」を病気・障害をはじめとしたあらゆる生きづらさと結びつけ「統合ワーク」「身体アプローチ」に誘導していくビジネスは今に始まったことではないが、廃れる様子もないのが気がかりだ。

怪しい

まず、「恐怖麻痺反射」という原始反射の存在は確認できていないこと。したがって、恐怖麻痺反射が存在することを前提とした統合ワークなるものの効果も期待できないこと。効果が期待できないにもかかわらず、発達障害やあらゆる生きづらさを抱えた人々をターゲットに症状が解消する効果を謳い集客していること。さらに、効果が認められていないにもかかわらず、これら統合ワークセッションは概して高額設定(ワンセッション数万円)であること。またさらに、資格ビジネス化していて、受講者が統合ワークの講師になれると謳う高額講座へと誘導されるものもあること。

何者が統合ワークなるものを開催しているのか

統合ワークはリトミックや 体操教室という形をとったり、 作業療法士、整体師、理学療法士、稀に臨床心理士といった広い領域の職種の人たちが、感覚統合療法の一種として実施していたりもする。ブログを通して個人が主催していることも多い。いずれの場合も体を動かしたり、体の一部を押したり引っ張ったりすることで、脳に働きかけ、「残存した恐怖麻痺反射」を統合できると唱える。

場面緘黙 は「恐怖麻痺反射」なのか

場面緘黙を恐怖麻痺反射に結びつけるのは、日本で始まったことではない。原始反射を統合していけば障害を解消していく効果があるのだという考えのもとで英語圏において広まり、不安障害や場面緘黙にも飛び火していった。英国を中心とした英語圏は「この体操をやれば頭が良くなる!」的な神経神話が公教育に入り込み(ブレインジムなど)、根拠に欠けた妙な体操を学校の授業でやらせて似非科学を広めた黒歴史がある。

このようにして世界を席巻していく「恐怖麻痺反射」だが、場面緘黙と恐怖麻痺反射の関連を示す論文はPubMed検索してもヒットしない

「恐怖麻痺反射」と言い出したのは何者か

文献を調べてみたところ、「恐怖麻痺反射」 [fear paralysis reflex] が乳幼児突然死症候群の原因ではないかとする仮説が1980年代後半に提唱されていた 。しかし、この仮説で言われていた「恐怖麻痺反射」は現在発達障害界を中心とした場において語られる「恐怖麻痺反射」とはかなり異なるものだった。

仮説を提唱した Kaada (1987) によると、「恐怖麻痺反射」という言葉は、動物の仔に実際には危険な状況は迫っていないのにもかかわらず恐怖反応が生じるのは、戦うことのできない時期を生存していくための適切な行動であり、その発達段階において適応的とした Leyhausen (1967) の文脈で使うとした。

Kaada (1987) の語る「恐怖麻痺反射」は、音や孤立等の恐怖にトリガーを受けて体が動かなくなった状態 [immobility] のことだった。その静止状態が徐脈をもたらし、乳児が静かに亡くなる。つまり恐怖死である...という仮説だった。Kaada (1987) によると、「恐怖麻痺反射」は生得的・先祖返り的 [innate, atavistic] 反射 であり、他の哺乳類においても見られるのと同様の反射が人間の乳児に生じるのでは...という内容だった。

あくまでも、 乳幼児突然死症候群は乳児の恐怖反応(恐怖麻痺反射)ではないかとする仮説であり、恐怖麻痺反射の統合ワークを行うことで子の恐怖反応が解消するなどという記述はなかった。

Medical Hyotheses という査読なしで論文を載せてしまうジャーナルに載っていたこの仮説のその後を追ってみたが、同一著者が複数のぱっとしない媒体に同様の仮説を提唱していた他には、過去に突飛な仮説があったよねといった調子の文脈で稀に引用されているのみで、既に忘れられた仮説として終了扱いのようだった。仮説としては残念なものだったかもしれないが、Kaada氏は似非科学化した「恐怖麻痺反射」を広めたり、根拠のない「統合ワーク」を売り出したりはしていない。

原始反射を統合することで発達障害などが治るとする文脈で持ち出される 「恐怖麻痺反射」の存在に言及する論文は、見つからなかった。

「恐怖麻痺反射」を脚色しマネタライズしたのは何者か

データベースを探っていったところ、英国のメジャーな新聞の記事 (The Times, 1986) にKaadaの提唱する乳幼児突然死症候群に関する仮説が紹介されているのを見つけた。 「恐怖麻痺反射」が、生得的・先祖返り的な反射であり、身体的な反応(固まる)を及ぼすという仮説も併せて紹介されていた。

原始反射統合に見られる、個体発生は系統発生を繰り返すとする19世紀の思想および 進化の過程における適切な発達を刺激するパターニングと呼ばれる体操は、60年近く前に提唱され既に似非科学と確定されて久しいドーマン法 (Doman, 1960) に倣ったものとされる (Doman-Delacato technique) 。

そもそも、学習障害や発達障害を対象としたブレインジムや Hands on Learning Solutions 等のプログラムの主張するように、複数の原始反射が適切な発達段階を超えて持続しているなら、重篤な脳の病気や損傷の兆候であり、学習障害の兆候などではない。原始反射統合は全くのナンセンスであると神経科医に切り捨てられている。

Neurologist Steven Novella further confirmed my opinion that it was utter nonsense by pointing out that if these reflexes persist beyond the appropriate developmental stage, they are signs of serious brain disease or damage, not of learning disabilities.

sciencebasedmedicine.org

できる限りの検索を実行したが、現在巷で語られる「恐怖麻痺反射」概念を
何者が 創作したのかは分らなかった。


ここから先は、複数の事実の時系的な繋がりを踏まえて私が想像したことだ。

英国のメジャーな新聞に 「恐怖麻痺反射」の仮説が紹介されたのなら、英語圏および世界中の多くの人々が読んだろう。また、同じ時期、他のメディアでも紹介されたかもしれない。

もしかしたら、この時期にブレインジムの創始者や中心的な信奉者が「恐怖麻痺反射」という言葉に触れ、 生得的・先祖返り的な反射とされるところや他の哺乳類で見られる恐怖反応が人間の乳児に残っているとされるところあたりにヒントを得て、現在広まる「恐怖麻痺反射」概念を創造したのかもしれない。ドーマン法の思想や技法をベースに、原始反射を統合する体操プログラムとして売り出すヒントを得たのかもしれない。実際にブレインジムやそれに類する身体アプローチを販売する少数の英語サイトで Kaada が引用されているのを見つけた。ただし、まるで Kaada が現在彼らの唱える「恐怖麻痺反射」の存在を発見したかのような曖昧で不適切な引用のされ方をしていた。

ブレインジム

ブレインジムとは1987年に設立された教育キネオロジーと称される体操プログラムを提供する組織であるが、これまでに多くの批判を浴びてきている。「恐怖麻痺反射」を含む原始反射の統合ワークを障害のある子を対象として推奨したり、「脳のボタン」を押す体操や指を動かす体操をすれば 思考が明晰になるとしたり、 (謎の)エネルギーを流せるようになるとしたり、水以外の液体を飲んでも体は食べ物として処理するので水分として摂取されないなどという驚きの主張をする。控えめに言っても似非科学パラダイスだ。

ブレインジムは実証されていない「効果」を唱えて高額プログラムを売っていると指摘されている (Hyatt, 2007; Bailey, 2017; Bailey et al., 2018) 。 エビデンスがない代わりに、私的な体験談に過剰に頼り”over-reliance on anecdotes and testimonials” マーケティングを展開していることも似非科学の特徴だと指摘されている (Bailey, 2017, Bailey et al., 2018) 。さらに、ブレインジムの体操をやることで得られる認知的な効果は他の通常の運動の場合と同様であったとする研究結果もあり (Cancela et al., 2015) 、ブレインジムの主張するような心と脳と体の統合云々には根拠が示されないにもかかわらず、効果を謳い高額でプログラムを売っていることや、英語圏の公教育がブレインジムプログラムを取り入れることで税金が無駄に使われていることが問題視されている (The Guardian; SMH)。

Kaada (1987) の冒頭には、同様の内容で1985年にの口頭発表を行ったことと1986年にモノグラフが刊行されていることが記されている。

ブレインジムの設立時期とKaadaの仮説が一般に紹介された時期とが重なる。

日本で現在もなお広められている「恐怖麻痺反射」概念

一般書はエビデンスのない治療法を世間に広めたいときに便利だ。「恐怖麻痺反射」という言葉をそれまで聞いたことがなかった人が、一般書に活字化されているのを見せられたら、信じてしまうのも自然なことだろう。神経神話であると知らなければ、これが最先端の脳科学概念であるのだと思い込んでしまうかもしれない。原始反射統合ワークをやれば障害が改善するのだという思想に洗脳され、お金と時間を費やすことで、回復の確率が高い治療を受ける機会が失われる危険性もある。それなのに、「エビデンスは私」的な「私はこれで治ったんだから皆もやるといい」「私は自分が体験したことだけを信じる」等のスローガンにのって、不安障害でも何でも治る万能の方法であるかのように原始反射統合ワークが広められていく。「恐怖麻痺反射」という語を聞いたら、警戒する。そう憶えておくといいかもしれない。

 

References

Bailey R. P. (2017). Science, pseudoscience and exercise neuroscience: untangling the good, the bad, and the ugly, in
Physical activity and educational achievement: Insights from exercise neuroscience. Meeusen, R., Schaefer, S., Tomporowski, P., & Bailey, R. (Eds.). Routledge.

Bailey, R. P., Madigan, D. J., Cope, E., & Nicholls, A. R. (2018). The Prevalence of Pseudoscientific Ideas and Neuromyths Among Sports Coaches. Frontiers in Psychology, 9, 641. http://journal.frontiersin.org/article/10.3389/fpsyg.2018.00641/full

Cancela, J. M., Vila Suárez, M. H., Vasconcelos, J., Lima, A., & Ayán, C. (2015). Efficacy of Brain Gym Training on the Cognitive Performance and Fitness Level of Active Older Adults: A Preliminary Study. Journal of Aging and Physical Activity, 23(4), 653–658. http://journals.humankinetics.com/doi/10.1123/japa.2014-0044

Doman, R. J. (1960). Children with Severe Brain Injuries: Neurological Organization in Terms of Mobility. JAMA, 174(3), 257. https://doi.org/10.1001/jama.1960.03030030037007

Hyatt, K. J. (2007). Brain Gym®: Building Stronger Brains or Wishful Thinking? Remedial and Special Education, 28(2), 117–124. http://journals.sagepub.com/doi/10.1177/07419325070280020201

Kaada, B. (1987). The sudden infant death syndrome induced by ‘the fear paralysis reflex’? Medical Hypotheses, 22(4), 347–356. https://linkinghub.elsevier.com/retrieve/pii/0306987787900296

Leyhausen, P. (1967). On the natural history of fear. Politische Psychologie, 6, 94-112.

The Times (1986)”Science report: Playing possum linked to cot deaths.”[London, England], 4 June 1986. Academic OneFile.

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Mental health blogger, researcher, social anxiety/selective mutism survivor.