危うい認知機能と向き合う

私は社会不安障害のくせに、迷ったらすぐに人に訊いてしまう。

前回学会旅行した時は、計100人くらいに道を訊いた。

と言うのは、前にお話ししたように超方向音痴のくせに、知らない土地をふらふら歩くのが大好である。

方向音痴であるものの、人に聞けばいいや、と思っているので、気楽に出てしまう。また、私は道を訊くのは不安ではない種の社会不安障害の人なのでここは問題ない。

「街へ出るにはどのバスに乗るんですか」

前回は、滞在中の大学から街へ出るために、まず学生さんに訊いた。「1番か4番のバスで行けますよ」

親切ですね。

バスが来て乗る。「美術館の近くへは行きますか」運転手さんに訊く。

「近くまで行くよ。最寄りのバス停に近づいたら教えてあげるよ」

運賃を払おうとしますが、お釣りがないと言われてしまう。国によってはバスの運賃はきっかり小銭で払わなければならないのだ。

「私、外国からの旅行者で、今朝空港に着いたところでね、だから小銭持ってないのよね」と言うと、

「じゃ、いいよ。今度ね」

運転手さんが教えてくれた停留所で降りる。「信号を渡って、左にまっすぐ行けばいいんだよ」と運転手さんは教えてくれる。

さて、教わった通り、信号を渡って、左に行く。が、なにしろ超方向音痴。瞬く間に迷ってしまう。そこですぐに歩行者に聞く。「あっちの斜め向かいの緑の建物ですよ」

そうやって簡単に辿り着けた。

 

どこ行っても道に迷う。慣れたはずの研究棟でも迷う。まあ、認知機能がちょっと危ういのだろう。子供の頃から方向音痴であり、すぐに迷子になるのだった。

ひとりで知らない土地を歩くことも多くなった十代の後半ごろ、私はやはり道に迷い続けていたが、人に道を訊くことができなかった。

恥ずかしい。知らない人に話しかけるのは怖い。

その後、大学でたくさんの人達と交流をもったり、アメリカ留学しているうちに、この “知らない人恐怖症” はほぼ問題ない程度になっていった。話しかける正当な理由があるのだから、おかしなことではないだろう。そう思えた。

で、道に迷ったら人に聞くようになったのだが、二十歳前後の頃は、同じ年頃の若い女性にばかり聞いていた。

自分が若い女性なので、同じような年代の女性に訊こう。男性や年配の人たちはちょっと怖い気がするし。→今思えば世間知らずの偏見でしかありませんでしたねえ。

そんなある日、私はまた道に迷った。人気のない道です。向こうのほうから年配の男性が歩いてきた。

私は咄嗟にあたりを見渡した。誰か、他の人はいないかな。年配男性には話しかけたくないわー ←超偏見

しかし、他には誰もいない。

私は勇気をふりしぼって、その男性に道を訊いた。

そうしたら

いやあ、これはもう、人生最大の目からうろこ事件と命名してもよい。

その男性はとても親切な様子で分かりやすく明快に私に道を教えてくれたのだ。

それまで女性ばかりに道を訊いていたが、こんなにも親切に、懇切丁寧に、しかも効率よく、よどみない口調で道を教えてもらったのは初めてだった。

この事件をきっかけに私は反省し、心を改め(また大袈裟だね)た。

まあ、私自身も道案内が苦手だったりする。こんなことがあった。

あるお友達が今度我が家に遊びに来ることになった。旦那と私とその友達で話していた。まず私が道順を教えてあげた。

「42番のバスに乗ってね、K町を超えたら、二番目くらいの停留所で降りて、左にあるマンションだよ」

するとお友達はちょっと怪訝な顔。まあ、不安なのね。そう思った私は言いました。「平気、平気 行けばだいたい分かるよ」

そこに旦那が口をはさんだのだ。「バスに乗ったら、進行方向左側に座って、それで20分くらい走ると、○×スーパーが左手に見える。そこのバス停から二つ目の停留所なんだけど、KFCが左手に見えるから、そのすぐ次で降りるんだ。そこから同じ進行方向15メートルくらいいくと左手に大きく655番地って書いてある。そこだよ」
するとお友達はすぐにメモって、「ありがとう とってもよく分かったよ」

そうだ。私は道を教えられない。

そんなこともあった後は、日本で道に迷ったら、ターゲットは定年退職したと思われる年配男性。彼らは、日本の戦後復興を担ってきた職場経験の長い世代であるせいか、効率よく話すのが得意である。しかもサービス精神が旺盛なので、とても感じが良い。←新たな偏見

高齢化時代を迎え、日本中どこに言っても街角には年配の男性が待機している。きっと道に迷った人々を助けようとお助けマンのように待機しているのでしょう。←また自分勝手な解釈

しかし、人に道を訊くことはどうでしょうか。訊くという行為のほう。

と言うのは、うちの旦那は人に道を訊かない。

いつか日本で、旦那はひとりで電車に乗り、「どうやら間違った電車に乗ってしまったらしい」と電話をかけてきた。

「あのね、私に電話したって、私はそこにいないし、わからないでしょう。その辺の人に訊きなさい」

すると旦那は困った風。

「すぐに私に電話をかけてくるのはやめてちょーだい。わたくしは、あなたのママじゃないんだから」

「...けど」

「あのね、そういうのは問題解決能力ね。問題に出くわしたら、最も簡単に解決できる方法を導かなきゃ。あなたの今現在の状況については、人に訊くのが一番の解決法でしょ。私に電話したってしょうがないの」

そう言い放ち、電話を切る。鬼妻だって? こういうときに厳しくしなければどんどんダメになっていく。

しかしこういうことは一度ならず何度もあった。

旦那は道を訊く程度の日本語なら話せる。でもやらない。オーストラリアで道に迷っても、あまり人に道を訊いたりしない。

かなり変じゃないか? 社会不安障害でもないくせに人に道を訊くのが嫌だなんて。社会不安障害の私にすら理解しがたい。

しかし、よく考えてみると、世の中の男性はあまり人に道を訊かないようにも思える。そこでいくつかの仮説を立ててみた。

仮説 その壱
高く道に迷ったという事実を明かすことが憚られる。道については自信があり、道を訊かれる立場でありたいと思っている。逆はあり得ない。助けを求めるなんてカッコ悪い。

義祖父が亡くなった時、看護師さんが言ったことを思い出した。

「それがね、いつも男性なんですよ。具合が悪ければ、すぐに医者に行けばいいのだけど、男性って助けを求めるのが嫌みたいで、いつまでも治療を受けない。倒れた時には手遅れになってる...」

そう言えば、男性のほうが社会不安障害が悪化しがちであるという研究が紹介されているのをアメリカのメディア記事を読んだことがある。それは不安障害であるということを医者に言うのが恥ずかしいとか助けを求めるのがイヤだからとかで、それで治療自体が始まらないからだということだった。

仮説 その弐
怪しい人だと思われるのがイヤだ。たとえば男性が見知らぬ女性に話しかけたりしたら、警戒される。警戒されるのがイヤだから、道も聞けない。

どうなんでしょ

投稿者: administrator

Mental health blogger, researcher, social anxiety/selective mutism survivor.