私が場面緘黙だったとき生じていた不安

私は子供の頃、学校で喋りたくても喋れなかった。

私の緘黙状態を見て、大人しく可愛く見せようとしてわざとやっていると考える大人もいたが、 標準的な感覚の人達は、 学校という場に対して不安があるのだろう、学校で関わる大人やクラスメイトに慣れず不安で心を開けないのだろう、恥ずかしがりなのだろう、と解釈していた。だが、そういうわけでもなかった。

よく知らない相手だから何を喋ればいいか分からない、怖い、という人見知り的不安ではなかった。慣れない場に予測がつかなくなり緊張するといった場見知り的不安でもなかった。社交パフォーマンス上の不安、すなわち、きちんと喋れるだろうかとか、面白いことが言えるだろうかといった不安からでもなかった。

学校で関わる人達については、新学年が開始からひと月もすれば気心は知れるもので、私としては慣れていた。学校という場も、喋れないので楽しくはなく苦痛であったものの、突拍子のない事件が起こるのではなどという場見知り的な不安を抱くことはなく、その意味において慣れてはいた。

では緘黙モードになるとき、不安がなかったのかと言えば、不安はあった。たくさんあった。どういう不安だったかを下に羅列する。

学校で昨日まで喋らなかったのに、今喋ったら、変に思われるだろうな。

学校で昨日まで喋らなかったのに、今喋ったら、これまで喋れたのに喋らなかったのがバレてしまう。

学校で昨日まで喋らなかったから、今喋ったら、注目されるだろうな。

学校で昨日まで喋らなかったから、今喋ったら、大騒ぎになるだろうな。

学校で昨日まで喋らなかったのに、今喋ったら、これまで喋らなかったのはなぜなのかと質問攻めにあうだろうな

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イメージ修正再処理療法を自己実施する

小学校4年生のときのことだった。

放課後、同じクラスの友達ふたりが家に遊びに来た。しばらく遊んだ後、そのうちのひとりの家へ移動した。

「みんなでお料理しようよ」

そう言って、友達はレシピ本を出し、作る料理を決めた。その料理が何だったのかを私は憶えていない。

憶えているのは、そのレシピの材料欄に

「水カップ8分目」とあったこと。 “イメージ修正再処理療法を自己実施する” の続きを読む

成功体験を分析する

過去のうまくいかなかった社会的場面を認知行動療法的に分析していくことは大切だが、過去の成功体験、うまくいった社会的場面を分析して、なぜうまくいったのかを認識した上で、成功体験としてきちんと意識に植え付けることも大切だと思う。 “成功体験を分析する” の続きを読む

二段階のトラウマ:緘黙時代に形成された思考

認知行動療法のためにセラピストの扉を叩いてから一年になる。

セラピーは去年の前半だけ(7回)で卒業したのでもう受けていない。

認知行動療法は私の思考に潜む歪みやパターンを明るみに出していった。

そもそもなぜそんなに病むほどに歪んでしまったのか。 “二段階のトラウマ:緘黙時代に形成された思考” の続きを読む